サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 5
「詐欺だ」
「なにが?」
意中の相手を腕に幸せそうにステップを踏むハルトアイスに、ライラは恨みがましい視線を投げる。
「近衛騎士とか、師団長とか。思ったよりずっと偉い人だった」
「そんなことはないですよ。あー、あれです、大工の親方。あれと変わらない。腕があるから上に行くだけで。騎士だって、つまりは技術職ですから。弱い奴よりは強い奴が上に行く。ただ、それだけです。ついでに言うと現状は騎士ですが、戦時下における軍事階級は大佐です」
「また増えた⁉ 釈然としない!」
「あはははは!」
笑いながらリードするハルトアイスに合わせて、もう! と膨れながらターンを決める。
二曲目が終わり、椅子に座ると彼がレモン水を摂るように促した。
スローワルツとはいえ、初めてステップを踏むライラには重労働だ。
「うわぁ、ちょっと足がぷるぷるする……!」
「大丈夫ですか? いやぁ、ライラさんが思いの外食い付いてくれるから、つい動きすぎたかな」
「大丈夫です! でも、お姫様って大変なんだなぁ」
普段使わない筋肉の強張りに、ん! と伸びをする。
「靴を脱いで。足をこのオットマンに乗せると楽ですから」
テラスの椅子に備え付けられたスツールを薦められたが、ライラは苦笑いで断った。
「お金持ちや貴族のお嬢様は、お付きの方にお世話され慣れてるかもだけど、私はちょっと無理……かなぁ」
妙齢の娘が、堂々と男性の前でスカートをはだけて素足を晒すことに抵抗がある。
それを察したハルトアイスは、少しキョトンとした後悪戯に目を細めて
「なら、ライラさんが素足を晒すのは、俺の前だけですね。なんと言っても俺達は『恋人同士』なんですから、いや直に婚約者、そして夫婦になるんですから」
「えっ、あっ、えっ、えっ……!」
顔を染めて呆然とするライラを見つめ、これ幸いとその足から素早く靴を脱がせオットマンに乗せると、ふわりとその足に自身のフロックコートを掛けた。
「ばか! ハルトアイスさんのばかぁ!」
「はいはい、馬鹿ですよ。今もこれからも、俺はライラさん馬鹿で結構です」
「ばかぁああぁ!」
叫びながら自身のコートに頭から埋もれたライラを、それごとすっぽり腕に抱きしめて、ハルトアイスは幸せそうに笑った。
その後、もう一曲だけと二人は手を取り合うと、ハルトアイスは午前零時の鐘がなる前に可愛い恋人を自宅まで送り届けた。
馬車を降りる前、彼はライラの髪に飾ったエンブレムを外し手渡した。
「それ、指輪が仕上がるまで代わりに持っていて」
「でも……これ、大切な物なんじゃ」
「大丈夫、実はデザインはできてるんだ、後はサイズだけだから、すぐにできるから」
なんせ、今日、五年目にしてようやくこの手に触れられたから。
やっと指輪を仕上げられる。
だから、今度は俺から君に指輪とドレスを贈らせてほしい。
「ちょっと忙しくなるから、少しの間、お店には行けない。けど手紙を書くよ」
「うん」
「ライラさんも俺に書いてほしい。恋人として知りたいこと、知ってほしいこと、些細な日常のこと。バロンのことでも良いから」
「うん」
「約束だよ? 俺宛に国境の砦に出せば、すぐ届くから」
「うん!」
「名残惜しいけど。今夜はこのへんで。俺が馬車に乗ったらすぐに部屋に入ってね? じゃあ……良い夢を。できれば、俺の夢を見て」
ライラの家の扉の奥から光る金の双眸に気付く。
「バロンもまたな」
彼女の愛猫にハルトアイスは挨拶すると、そっと彼女の瞼に口づけを落とし、待たせていた馬車に乗り込んだ。
ぱたんと扉を占めると、ライラは手で顔を覆い叫んだ。
「バロン、バロンくん! どうしよう!」
「にゃあ」
「ハルトアイスさんが、こっ、こいびひょっ、いたっ……恋人だって!」
「にゃあ」
近寄ってきたふわふわの毛並みを抱きしめて、噛みっ噛みのライラはベッドに倒れ込む。
「お手紙をね、書かなきゃ。バロンくんのことはもちろんお兄ちゃんやお母さん、お父さんのことも書かなきゃ!」
「にゃあ」
「ハルトアイスさん、ダンス上手だった。カッコよかったなぁ」
ドレスのまま、エンブレムを胸に握りしめ、ころりと寝返りを打つと天窓から月を見上げる。
金の月がハルトアイスの髪の色を連想させ、ついでに優しくライラの足を包む、大きく無骨な手のひらを思い出し
「うわっ、うわぁ!」
と真っ赤になってバロンの背中に顔を埋めた。
「にゃんっ」
たしたしとライラの首に尻尾を叩きつけるバロンに、ライラは顔を上げて拗ねてみせた。
「わかってる、バロンくんはそんなことより、コレがほしいんだよね! 薄情もの!」
ライラの自宅の小さなテーブルには、ハルトアイスがいつの間にか用意した数個のドギーバッグ。
パーティーのご馳走が、バランスよく色とりどりにこれでもかと詰められている。
ハルトアイスがライラと留守番のバロン、パーティーに参加しなかったご近所さんたちのために、給仕に依頼して料理を詰めてもらっていたのだ。
「誰にも手を付けられず捨てられるなんて、食材もシェフも悲しいですからね。給仕の方々が喜んで、気合を入れて料理の殆どを詰めてくれました。俺も同僚に配ります」
「すごく美味しかったから、明日ご近所に配って、残りは一緒に食べようね。……嬉しかったなぁ、ハルトアイスさんが私と同じことを考えてくれてて」
ライラを好きでいてくれること。ライラと同じように作り手や食材に敬意を持ってくれていること。
もし、ライラが城のシェフなら、きっと手もつけられず捨てられるだけの料理を酷く悲しんだから。
小さなことだけど、これからも一緒にいるなら同じ感覚を持つことは、きっととても大切だ。
「だからバロンくんも、雑貨屋さんで一緒に便箋を選んでね。ハルトアイスさんが、その、好きそうなやつ」
「にゃーあ」
どちらに返事をしたのかは分からないが、大人しくライラにされるがままの猫が、のんびり長い鳴き声で応えた。




