サンドリヨンは向こう三軒のずっと先 1
カシャン!
独特の高音を響かせながら、そのガラスの靴は店の壁紙に叩きつけられて砕け散った。
「ああっ! 彼女の靴が……!」
「殿下! お危のうごさまいます!」
「きっ、貴様、何をする! 無礼であろう!」
無残に床に散らばるガラス片に、悲鳴と共にしゃがみ込む男。
嘆く男……いや、王子を破片から遠ざけようとする家臣団に、不届きな乱心者の主人に対する無礼な振る舞いに怒り狂って剣に手をやる騎士達。
そして、殊更冷ややかな目で彼らを見下ろす美しい金髪の男。
殺意の籠もったソレに飲まれ、先程まで息巻いていた家臣団や騎士達はひっと小さく息を呑んだ。
そんな中、呑気に主人の素足の上で悠然と香箱座りをしていたアビシニアンが、にゃぁと鳴いて立ち上がり、軽く男の足に額を擦り寄せ挨拶するとまた主人の元に戻った。
「はっ、ハルトアイスさん?」
そんな彼に恐る恐る声を掛けるのは、公衆の面前で強引に素足を曝されガラスの靴を履かされそうになっていた、小さな町の小さなレストランの看板娘、ライラだった。
「ありがとうバロン。それから、遅くなってごめん。大事はない? ライラさん」
外野の喧騒を無視し、ライラの声にのみ反応したハルトアイスと呼ばれた彼は、ゆっくり身体を反転しそう言うと、優しくとろけるような笑みを浮かべた。
同時に先程まで温度をなくしていたブルーグレーの瞳が愛しげに細められれば『ほぅ』と野次馬に紛れた女性陣から、思わずため息が漏れる。
低く、しかし耳に残る若々しい美声。
均整の取れた靭やかで逞しい肢体、煌めく金髪。
甘く整ったマスクには、宝石のように美しく低温にも高温にも色を変える双眸。
そして、彼の纏う黒に金を基調とした衣装は、隣国の。
そう。国と国の間に小さく存在する我が国よりはるかに大きな国の近衛隊騎士団服。その中でも師団長クラスのみが着用を許された、燕尾の軍用礼服だった。
隣国の騎士団と言えば、大国の名に恥じぬ騎士団ありと、諸外国に鳴り響くほどの精鋭揃い。
その中から王族警備に当たる近衛騎士は、個の実力のみならず勇猛果敢にして品格、忠誠、統制、規律、戒律に関しても他の追随を許さぬエリート集団。
その実動のトップが目の前にいる。
騎士の憧れ。
小国の一介の騎士にとってはまさに遙か彼方、天上の存在。
騎士らは慌てて腰の剣から手を離し、戸惑う視線を主人とハルトアイスに巡らせる。
しかしハルトアイスはそんな彼らを無視すると、その場に片膝を付き自身の足にライラの足を乗せ、彼女の手を自身の肩に置かせると、その素足に脱がされて放置されていた彼女の靴を丁寧に履かせた。
「大丈夫ですか? ライラさん?」
眉を下げて心配気に彼女を見上げるハルトアイスに、「はい」と小さく呟くと、その言葉に安心したように立ち上がり、彼女に向けて広げられた彼の腕の中に、ライラは迷いなく飛び込んだ。
愛しい恋人を腕に、ハルトアイスは猛獣のような怒りを滲ませて諸悪の根源に向かい言い放つ。
「で? この茶番について、是非とも俺に説明していただきましょうか? ねぇ?」
再び冷ややかな視線を王子一行に投げ、ニタリと好戦的に口を歪め、白い歯を見せつけるように彼は嗤った。




