02 冒険者になった令嬢は合流する
「ティナ、久しぶりだな」
「アヴィ! 一年ぶりかな」
「いいや、10か月ぶりだな。お前と別れたのは冬の少し前だからな?」
「そうだったそうだった。一人になった途端雪が降ったもんだからセリウスが怪訝そうな顔で見てきたんだよね。お前のせいか、みたいな」
「セリウスは頭のいい馬だからな。相変わらずの美人だ。な、セリウス」
「旅の合間に何頭もの雄が求婚してきては全部そっけなく振ってたよ。流石私のセリウス。美しいだけじゃなく誇り高いところなんて素敵だわ」
昼をとうに過ぎたころに辿り着いた山脈の麓にある町は、小さいながらも宿などを有している。この先にある山道の近くにあるというだけで旅人は必ずこの町を経由する。そこでティナは知人と待ち合わせをしていた。冒険者ギルドで受注した任務で何度か行動を共にしていた、剣を得意とする冒険者の男。アヴィと呼ばれているのは知っているが正式名は知らない。
冒険者は親がそうだったから同じように、というものもいればティナのように事情があり身分を証明するために冒険者になるものもいる。事情を抱えてるものも少なくない。冒険者の素性を本人が語るのは良くても、探りを入れるのは無粋というもの。
赤茶色の髪の毛は前髪は短く、後ろ髪は一つ括りが出来るほどの長さ。榛色の目、南方に多いとされる薄褐色の肌をしているアヴィは、ティナより年上らしい落ち着きがあると思えば、くるくると変わる表情が少年のように思えることもあり、実年齢が分からない。
連絡鳥がティナの元に辿り着いたのは一月ほど前。祖国が滅亡に瀕しているという情報だった。送り主はアヴィで、何時だったか零した言葉を覚えていてくれたらしい。
アドトレド国の滅亡の直接的な原因は、帝国による侵略とのことだ。じわじわといたぶるような侵略。帝国の王女であった王妃を除いた王族は捕えられており、国王と王子は一般牢に捕らえられている。更に一部の貴族も同様の対応をされている。
アヴィの情報はあまりにも詳細で、どうしてこのようなことを知っているのだろうと疑問に思うが、連絡鳥に付けられる紙は小さく、必要な情報だけしか記されていない。
そして一月後の夏の終わりに山脈の麓町で合流しようという誘いがあった。ティナは速やかに返事を書き、連絡鳥を空に放った。連絡鳥は特殊な訓練をされており、確実に、早くアヴィの元に辿り着くだろう。ティナが迷っている暇はない。彼女が今いる国は約束の地から一月ほどかかる場所にある。
愛馬を休みなく駆ければその半分くらいの時間で着くだろうが、そんな無茶はさせられない。
そうして彼女は出来る限り最短の道を通りながら約束の日に間に合うように旅をし、こうして到着した。
次第に祖国へ近づくごとに情報がかかれた情報紙を目にするようになる。帝国が活版印刷の技術を確立し、諸国に定着するようになって数十年。識字率も高くなってきた為、王都や近隣諸国で有名になるような情報は、情報紙として一枚の紙の裏表に印刷されて配られるようになった。辺境の村や町ともなればその紙が届くのに数か月かかる事もあるが、それでも何も情報がないよりも良いらしい。ティナがいたのは特に辺境の地であったので情報紙を目にする事は無かったのだが、約束の地である山脈の麓は他国とのやり取りが頻繁なので情報紙も優先的に送られるらしい。
アヴィが予約してくれていた宿屋の受付で宿泊者名簿に記帳すると、鍵を受け取る。アヴィとは隣同士の部屋らしい。愛馬のセリウスは宿が所有する厩舎に預けたのだが、幸いにして馬は少ない。アヴィの愛馬である黒馬のリュリュの隣の馬房があいていたのでそこに入れてもらう。知っている匂いだったからか、セリウスは落ち着いていた。リュリュは既に休んでいるらしく、敷き藁の上で寛いでいた。
部屋に入り荷物を置くと、宿に併設している風呂に入ることが出来た。温泉が近くに湧いていてそれを引いている為、贅沢にも湯舟があるそうだ。男女は分かれているが、貸し切りではない為に他の客が入浴していることもあるがいいか、と聞かれたが昔のクレメンティナならいざ知らず今のティナは気にしない。何日も水を浴びていない状態の方が気になって、速やかに汚れを落としたかった。
アヴィには入浴することと洗濯をすることを伝え、それが終わってから夕食という話になっている。洗濯場は風呂場の近くにあり、こちらは沢の水を引いてきているので気にせず使ってもいいとのことで甘えさせてもらう。水きりをきちんとすることを条件で部屋に干すことも出来る。大雑把な客は水が滴り落ちるのを気にせず部屋に干してしまい、床を汚すそうだ。木製の板を打ち付けた床なので、腐ってしまうこともあり、それらが出来ない人は共有の場所になるが外に物干し場があるのでそちらを使うようにと言われる。
ティナは勿論、部屋干しだ。流石に下着などを干すのに共有の場所は遠慮してしまう。
丁寧に髪の毛を何度も洗い、体の汚れも落として浴槽に体を沈める。幸いにして他の客はおらず、一人で独占している風呂は心地がいい。肩につくかどうかの長さの髪の毛は変わらず、汚れを取れば元の髪色はしっかりと出るが、傷んでいるお陰で元貴族など気付かれもしないだろう。
ぐっと伸ばした腕にも、湯の中に沈んだ腹や足にも傷は沢山ある。旅をする中で傷が増えるたびに貴族だった自分が消えていき、平民になった自分の証が増えていくように思えた。血が溢れ出して魔法でどうにか治療をして、でもその傷は消さなかった。傷の一つ一つが新しい自分の思い出になっていく。流石に小さな傷の痕はないけれども、大きな傷痕は右肩、左太もも、背中にある。
特に背中は治療した魔法士が少しでも薄くなるように治療しようとしたが、血を止めてくれるだけでいいとティナは拒絶した。その傷はティナの弱さの証で、最後に貴族であることを漸く捨てられた証拠だった。
この傷はギルドで受注した任務の最中に同行した依頼人の貴族によって付けられたものだ。男装していたが小柄で魔法を使うも接近戦が出来ないティナを囮にする為にその貴族が切りつけてきたのだ。まだ彼女が駆け出しの冒険者の頃の話だ。
そもそも依頼人が同行する必要はなかったのに、周囲が止めたにも関わらず貴族の権力を振りかざして強引についてきた。そして無知ゆえに無茶な行動をして魔物に囲まれた。その貴族は逃げる為にティナを囮にしたが、結局最初に襲われたのは貴族だった。
貴族が死んでしまうとその責任は一緒に居た冒険者たちに降りかかる。その為、予め契約書を作成するのが常だ。その貴族は軽く考えていたのだろう、最悪冒険者を盾にしてでも逃げようという傲慢さ。死亡した時に冒険者は責任を負わないという契約。そして特殊な映像記録の魔道具の使用。冒険者たちは全員その魔道具を付けていたし、貴族も付けていた。その貴族がティナを切りつけた光景も、魔物に襲われた記録も何もかも全て残されている。
ティナは貴族の傲慢さを見て強い嫌悪感を抱いた。彼女に少しばかりどこかに残っていた貴族の矜持はこの瞬間消えた。ティナが弱くなければこの貴族に切りつけられることはなかっただろう。ただ悔しかった。自分の身を守る為の魔法を必死に覚えるしかなかった、生きるために。
その時、一緒にパーティーを組んでいた中にアヴィがいた。
それまで男の恰好をしていたティナが女であるということを知られたが、彼らはティナの性別を吹聴するわけでもなかった。ただ、アヴィが少しばかり過保護になったくらいだ。
背中の傷はふさがって、大きな傷痕が残り背中に手を回して触れると凸凹とした感触が指先に伝わる。忘れてはいけない、この傷は弱さの証。命を失うかもしれない恐怖。弱くて守られるだけの存在は、生きていけない。