01 貴族令嬢は断罪され追い出された
アドトレド国の真珠と呼ばれる令嬢がいた。クレメンティナ=ブレガ侯爵令嬢は艶やかな銀色の髪の毛、透き通るような白い肌、海のような美しい青の瞳を持っている美しい少女であった。
だが、彼女は両親に愛されていなかった。父は政略結婚で娶った母を嫌っており、愛人として男爵家の令嬢を囲っていた。母も冴えない父を嫌悪しており、クレメンティナを産んでから直ぐに愛人を囲うようになった。
クレメンティナは乳母によって育てられ、子守乳母から礼儀作法を学んでいたのだが、父方の祖母が口を出してきたことによって生活が変わる。厳しい祖母は祖父と同じように愛人を囲う息子夫婦に嫌悪を見せ、孫娘であるクレメンティナを思うように育てたいと思ったのだ。その結果、クレメンティナは確かに礼儀作法から勉学に至るまで優秀であったが、人間性が酷く抑圧されてしまっていた。
思うことを口にすることも出来ず、周囲からの意見にただ頷くだけの人形。それでも見かけは誰よりも美しい為、男性の視線は奪っていたし、女性も嫉妬もありながら憧れも持っていた。
そんなクレメンティナの婚約者は王族に連なる王子で、家格としては問題ないと判断されていた為に選ばれた。
数十年前まで、女子は学ぶことすら許されなかったのだが、帝国が女子にも教育を与えたことで発展したのでそれに追従するようにアドトレド国も女子が入学出来る学園を作った。
貴族であれば通う義務がある学園に入学したのは当然のことで、婚約者の王子とは一つの年の差があるが共に学園に入ることとなった。
王子とは政略結婚としての関係しか築けていなかったが、これは貴族であれば大体同じようなもので、正式に婚約するまでの間に互いの負担にならない程度に交流をするのだが、クレメンティナは王族に嫁ぐための教育も受ける必要があった為、その時間を作るのは非常に難しかった。
王子が優秀であればクレメンティナが学ぶことも少なかったはずだが、残念ながら王子の能力はそこまで高くなかった。彼の不足している部分を補う為、クレメンティナは学園で授業を受けた後、そのまま王宮に向かい教育を受ける日々。それがクレメンティナを精神的に追い詰めていた。
王子が優しい言葉を掛けてくれる学友に甘えた結果、クレメンティナが知らぬ間に彼女の悪評が広まっていた。極めつけは、婚約者の不貞だ。彼はクレメンティナが気付いていないことをいい事に同学年にいる下位貴族の令嬢と浮気をしており、更に彼女と体の関係を持った。
そしてクレメンティナを疎ましく邪魔に思った彼は周囲を巧みに操り、同時にクレメンティナを陥れようとした同学年の令嬢たちも便乗し、彼女は冤罪を被ることになった。どれだけ訴えても数の暴力に勝てるはずもなく、そして彼女は家の駒になれなかったと両親も祖母もクレメンティナを捨てた。
ただ一人、王妃だけは状況的にあり得ない。そんな時間はない。学園と王子妃教育を同時に行うことの厳しさを誰よりも知っているからこそ夫である国王にも進言したのだが、それよりも早くにクレメンティナは家を追い立てられたのだ。本来であれば速やかに保護しなければならないのに、己が腹を痛めて産んだ息子である王子の独断と横暴。夫である国王の曖昧な態度。
王妃はこの国の行く末を案じてしまった。王子に玉座を渡すわけにはいかない。王妃は王と同等の権力を有するように婚姻の際の条件に含んでいた。故に、彼女は「王妃陛下」と呼ばれる。この国に嫁いで初めて、彼女は権力を行使した。
その頃、クレメンティナにとっては怒涛の日々だった。何をすればいいのかすらも分からない無知な女がドレスを着て鞄一つで歩いているのだ。見るからに貴族であると分かるのに、徒歩である。傍に護衛も侍女もいない。クレメンティナにとって幸いだったのは、訳も分からずさ迷い歩いている彼女に最初に声を掛けたのが、ジオムンナ商会の会頭の娘であるニーナだった。
『貴女、貴族でしょう? どうしたの? 迷子?』
『いえ……家を、追い出されまして……』
クレメンティナは美しい少女だ。どれだけ疲れた顔を見せてもその美しさが色褪せることはない。もしも彼女に声を掛けたのが悪質な男だったら、直ぐにでも浚われ碌な目に合わなかっただろう。しかしニーナは親切な少女だった。
『とりあえずうちに来て!』
彼女はクレメンティナを商会につれていくと応接室を貸し切り、話を聞いてくれた。ニーナは憤慨し、それでも呆れた溜息を隠さなかった。
『貴女は純粋すぎたのね。少なくともあたしが知ってる貴族は悪辣よ。もう少し人の言葉を疑ってたらよかったのかもね』
『そうかもしれませんわね……』
ニーナはクレメンティナに生き方を教えてくれた。平民として生きるにはどうするべきか、何が必要か。そしてこの国ではなく、別の国に移る手段も教えてくれた。
『うちの商会でそろそろ隣国に向けて出立する隊があるから、それに乗って。あたしも今回は行く用事があるし、その間色々教えてあげる。そうだ、名前は変えたほうがいいわ。どう聞いても貴族のお嬢様だもの。でもそれじゃあ旅の最中苦労するわ』
『本当に宜しいの? 名前は……そうね、ティナ、はどうかしら』
『いいわね! ティナならよくある名前だもの。あと……言いにくいんだけど、その髪の毛は切ったほうがいいかも。あまりにも綺麗すぎるわ』
『どのくらいの長さまでなら切ってもおかしくないかしら』
『平民なら肩より少し長いくらい。ほら、あたしくらいの長さなら普通だわ。それにティナの髪の毛は綺麗だから売れるわよ。なんなら一旦うちが買い上げるわ。これを加工して鬘にすれば間違いなく売れるわ』
『じゃあお願いしていいかしら』
服も何もかもニーナが手助けをしてくれた。商会なのだから利益にならない事など許されないはずなのに。ニーナは自分のおさがりだから、と彼女の着ていた服をくれた。中古の服など着た事も無かったけれども、クレメンティナはこれからを思うとありがたく受け入れた。
商隊の列の中に紛れ、クレメンティナ――ティナは多くの事を学んだ。箱馬車の中では話し方、お金の使い方、値切り方。野営の時には火の熾し方から簡単な料理の仕方。馬の乗り方から天幕の張り方まで、丁寧に教えてもらえた。
だからティナも自分が知っている貴族のちょっとした後ろめたい部分などを教えた。それに商会でも見落としやすい遠い領地の特産品や周辺諸国の貴族の情報なども。
様々な村や街に寄りながら隣国の王都についた時には一か月が過ぎていた。そこでティナはニーナから冒険者ギルドについてを教わった。旅の間にティナの肌は日に焼け、美しかった手も水仕事をすることで肌が荒れたりしていた。服もすっかり平民のもので、確かに彼女の美しさは健在だが、それでも多少は誤魔化すことが出来るくらいになったからこそ、ニーナは冒険者ギルドを勧めた。
冒険者ギルドに登録すればギルドカードの効果で国境を簡単に越えやすくなる。今の彼女なら一人でも旅が出来るだろうし、薬草だって見分けることが出来る。戦う必要のない仕事はいくらでもあるのだ。
こうしてティナはニーナから餞別に馬を貰った。馬を一頭買うにはとんでもないお金がかかることをティナはその時にはもう理解していたから断ったのだが、ニーナは女が一人で旅をするなら馬は必要だと力説する。だったら、とティナはとっておきの情報を与えた。
ニーナは後に、その情報により誰よりも真っ先に商会ごと国を逃げ出すことが出来た。ティナには感謝しかない。馬以上の価値のある情報だった。と笑顔で再会したティナに告げた。
ティナは各地にある冒険者ギルドで採取などの地味な注文を受けながら移動していた。その中で戦わざるを得ない局面もあった。彼女は非力な女性だ。しかし、魔力があった。魔法が使えた彼女はパーティーに誘われることもあり、一か所に留まることもあった。それでも彼女は旅を続けていた。
どこか良い場所があれば定住することも出来ただろう。しかし、彼女は旅をし続けた。それは彼女にとって必要な事だった。
何も知らない無知な少女が陥れられた。それは彼女が無知だったからだ。人の悪意を知っていながら理解していなかったから。だが、それでも善意というのは存在するとニーナに教えてもらった。ニーナがティナを助けたのは貴族が持つ情報が欲しかったという下心があっただろう。しかし、それ以上にティナは救われた。
旅をしている間にも多くの悪意は向けられたが、同時に善意も与えられた。苦しい時に助けられたし、自分も誰かを助けた。貴族のままでいれば知らなかった、貴族社会では見えない世界がそこには確かに存在していた。
すっかり焼けてしまった肌。風呂だって満足に入れない時だってある。薄汚れた服のまま何日も移動する事だってあった。すっかり真珠ではなくなってしまったティナだが、その目は貴族の令嬢だった頃よりも輝いていた。