天樹Side1:期待と不安の朝(2)
「ところで、キールの出勤がいつもより早いのは、ルグランジェ中佐に合わせて来たから――と言う事で、良いのか?」
「ご明察です。一応、今日までは、警戒した方が良いとの話でしたし。なーんか、荒れそうですよ、諮問会。ルグランジェ中佐、物凄く何かやらかしそうな表情してましたから」
「はは……昨日、ガヴィから少し聞いてるよ。クレイトン大将からも『思い知れ』なんて言われているから…何をどこまでやるつもりなのかが、ちょっと怖いよ。それで、ガヴィは?」
「若宮家から、軍までの道掃除をしてから、来ると言ってましたよ」
「道掃除?」
「女史が来るにしろ、来ないにしろ――と言うか、来ようとする事を妨害しそうな輩がいたら、問答無用で叩きのめして来る、と」
「キール……」
「あぁ、大丈夫ですよ。若宮女史のお母上からも、先輩からも、女史の意志を尊重して欲しいと念押しされてましたし、自宅に突撃させるような真似はさせてません。あくまで、周囲の掃除をしてくるだけです。そろそろ、一人で女史より先に来ると思いますよ。と言うか、その程度にまで納得させた俺を、褒めて欲しいですよ。……っとに、誰ですか、殺る気満々で、手に負えなくなったところで、丸投げしてきた人は。貸しは一つじゃ済まないでしょう」
昨日、諮問会が終わるまでは、少なくとも余計な事をしないよう、病院で天樹から釘を刺されたと、ルグランジェの官舎前で、ガヴィエラに盛大に八つ当たりされたキールは、軽い抗議の視線を向けていた。
「まぁ、その……俺よりキールの方が、上手くガヴィを宥められるだろう? カーウィン達への奢りの件、少し協力するから……2人が食事なら、俺はワインとか……」
「宥められないとは言いませんけど、大変だったって事は察して下さい。もちろん、財源協力して頂けるのは、非っ常に助かりますけど、カーウィンが首を縦に振らない気がしますね」
「その辺りは、俺も仕事を押し付けていた訳だから……頭を下げるよ。とにかく、それで2人は、今朝は別々なんだな。理解した」
やや強引とも言える、天樹の話題転換に、キールが眉を顰めている。
「……それは確かに、しょっちゅう行動を共している事は否定しませんが、それぞれの官舎に住んでいる筈の人間同士が、朝から一緒に来てちゃ、不自然でしょう」
「今更誰も驚かないと思うけどね」
「……先輩」
纏う空気を低下させるキールに、天樹が低く笑う。
「冗談だよ。ガヴィが、若宮さんの家に夜、警護に行ってくれたにしろ、朝から玄関に突撃して、迎えに行くような事がなかったのなら、良いんだ。ご近所掃除くらいなら、グレーゾーンとして、目を瞑っておくよ」
「あいつ、朝が苦手ですから、朝からそんな気の利いた事を、自主的にしやしませんよ。早朝に起こされた八つ当たりを、襲撃者にぶつけるくらいが、せいぜいだ」
「……なるほど。朝が苦手」
まるで、ガヴィエラの朝の様子を、普段から知っているかのような口ぶりに、天樹が意味ありげな視線を向け、自分の不用意な発言に気が付いたキールも、わざとらしく大きな咳ばらいをした。
「ああ……ほら、今その、階段下の車寄せ辺りに来ましたよ、ガヴィ。あそこでそわそわしているのも拙いって言うなら、こっちに引っ張ってきますけど」
「いや、いいよ有難う。それならいいんだ。酷な言い方かも知れないけど、彼女が自分で決断を下したと言う確かな証がないと、恐らくは俺にも、彼女にも、どこかしらしこりが残ってしまうからね。それじゃだめなんだよ」
「先輩……」
「いつか、自分が成し遂げたいと思う『目的』のために、お互いを利用する事があるかも知れない。俺はとうに覚悟が出来ている事だけど、彼女にも、同じ思いは共有しておいて欲しいんだ」
時折、本多天樹は厳しいと言うよりも、自分を偽悪的に見せて振舞おうとする傾向がある。
この時もキールの中に、釈然としない思いはあったのだが、それを口に出して言う前に、聞き慣れた別の声によって、遮られてしまった。
「キールーっ!」
階段下の車寄せ辺りから聞こえる声に、キールは「声が大きいんだよ……」と嘆息しながら立ち上がったが、ふと、目の前の天樹が、書類から目を離して、振り返った先を凝視している事に気付いて、その視線の先を追った。
「先輩?」
キールの声には答えないまま、天樹も無言で立ち上がっている。
あ……と、キールの口から、声が漏れた。
自動運転の車から降りて来た彼女の身体を支えようと、ガヴィエラが近づいて手を伸ばしたが、彼女はふわりと微笑んで、それを固辞した。
あくまで、何もなかったかのよう振る舞う必要がある事を、理解しているという風に。
「若宮さん……」
書類をテーブルに残したまま、カフェテリアを足早に離れる天樹に、何ごとかと、周囲の視線が集中している。
嘆息したキールが、とりあえず置きっぱなしの書類をかき集めて、天樹の後をゆっくりと歩きながら、階段を下りた。
「……おはよう」
昨日までの経緯を、全く感じさせないかのような穏やかな声を、天樹は投げかけた。
おはよう……と、水杜も静かに天樹に微笑い返した。
「よかったよ」
「え?」
「待ってる、なんて大見栄を切ったけど、本当は不安だったんだ――少しね」
「本多君……」
水杜の気持ちをほぐそうとしてか、らしくもなくおどけて見せる天樹に、水杜も苦笑を誘われたようである。
「まずは、ありがとうを言わせて、本多君?独りで考える時間を与えてくれて…感謝してる」
「若宮さん……」
「嫌味じゃないって。私には本当に、考える時間が必要だったから……だからありがとう」
「その後に『やっぱりごめんなさい』とか続いたり――するのかな」
さりげなく本題を投げかける天樹に、気が付かない水杜ではない。
「……相変わらず、人の話を素直には受け取れないって言うか……そのうち、腹に一物も二物もあるような人しか、貴方に付いて来てくれなくなったら、困るのは本多君自身じゃないかと思うんだけど――」
「――だから俺には、君が必要なんだよ」
「……っ」
穏やかな微笑のまま、真顔でそう告げる天樹に、絶句したのは水杜だけではない。
ガヴィエラは軽く口笛を吹き、キールに横から小突かれていた。




