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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第九章 奇術師と隠者の再臨
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手塚Side:諮問会前日(7)

 若宮水杜と、彼女の母親が車に乗り込み、自宅へと帰って行くのを、病院の医局室の中から、ルグランジェと手塚が見ていた。


「色々……有難うございました」


 複雑そうな表情を浮かべながらも、色々と、ルグランジェの腕と伝手(つて)を利用した事は間違いないので、手塚としても、ルグンランジェに頭を下げざるを得ない。


「中佐が()()()()事もなさそうで、良かったです」


 とはいえ、いきなり無茶を強行するのは、勘弁して欲しい。

 川に浮かばずに良かった……は、間違いなく手塚の本心だった。

 ふふ……と、ルグランジェが緩やかに笑った。


「君が声をかけてくれた事は、あくまできっかけの1つに過ぎないよ、手塚君。あまり気にしなくて良い」


「いや、俺の寝覚めが悪いんで」


 間髪入れずに、そう返す手塚に、ルグランジェは一瞬目を見開いてから、今度ははっきりと、声を上げて笑った。


「……5年生になってから、色々と教えて頂いてますけど、中佐がこんなに()()()()だったとは、知りませんでした」


 〝孤高の隠者(レルミト)


 それが、ルグランジェに付けられていた、渾名だ。


 第一艦隊旗艦軍医を退き、軍病院に配属されてからこちら、一切の講義も教授会も欠席――と言うより、無視(スルー)。それでも、戦傷を負って帰って来る兵士や、国内の警察関係のトラブルで運ばれて来る患者の緊急手術には、類希なる能力を発揮するため、救急センターの奥で、薬や器具の開発に注力する事と引き換えに、どの派閥にも属さない、()()()()()自由を保証された、異色の存在。


 彼が手塚の指導医になったのは、5年生になった手塚の面倒を()()()()だけの医師が院内に他におらず、多方面から拝み倒された、異例の成り行きであった。


 天樹が「貴重希少」と揶揄した事は、あながち間違ってはいないのだ。


「娘が亡くなってから、正直、全てがどうでも良かったからね…。まぁ皆、私を置物とでも思っていたのか、色々と情報を駄々漏れにしていたね――救急センターで。最も、今回の事がなければ、活かそうとも思わなかったが……」


 唖然とする手塚に手渡されたのは、使用前の〝束縛の手枷(タクイート)〟が、2つ。


「左は既製品、右が、()()()()()()()()、より本物の神経に近いベーレ素材を利用した、流通前の治験品。今回、若宮さんに使われたのは、この治験品。もしかすると、使用効果の実験、報告も兼ねて、使われていたのかも知れない」


「なっ……⁉」


 一見すると、同じに見える。だが改めて言われると、右の治験品は、やや、管の部分が細いようにも思える。


 2つをまじまじと見比べる手塚を見る、ルグランジェの目は、厳しかった。


「いずれ治験は必要だったが、こんな風に、一般市民を巻き込むために開発をしていた訳じゃない。兵器転用の功罪を、まざまざと見せつけられたよ。私が今回、関わり過ぎるくらいに、君たちに関わっているのも、ひとつには、自分で巻いた種を刈り取っていると言うのもあるよ。こんな結果を招いた『横流し』をした連中を、許すつもりもないしね」


「中佐……」


「まぁただ、結果は原因に依存すると言うか、そう遠くないうちに、私は病院の(トップ)になるか、軍本体に復帰するかの二択を迫られる事になると思う。それで改めて――君の進路希望を聞かせて貰えるかな、手塚君?」


「……はい?」


「私としては、君を手放すのが惜しいんでね。軍本体に復帰する事になったらなったで、実習の()()を、艦橋(ブリッジ)で行うのも良いかと思っているんだよ。何、実習先が現役軍医な医学生も皆無じゃない。そう不自然な事でもない筈だよ」


「……あの」

「うん?」

「俺に兵役に就け、と……?」


 医大の学生ではなく、軍本体に属する実習生になれ――とは、そう言う事だ。


 正直に、顔を(しか)めた手塚に、ルグランジェは穏やかに微笑(わら)った。


「君が()()()()()()で、医大にいるのかは聞いているよ。ただこれまでは、君もただ、敷かれた(レール)の上を歩いているだけのようだったから、敢えて他の選択肢を与える事はしなかった。だけど今は、私同様、少し――違うんじゃないかと思ってね」


「……っ」


「数日中に、病院長と、第五、()()、第十三艦隊の主任軍医の座が空く。だから私は言っておいたんだ。『アステル法諮問会』の決着次第で、軍医に戻るか、病院の(トップ)となるか、判断させて欲しい――とね」


 誰に言っておいたのかは、言わないルグランジェだが、絶句している手塚は、それどころではない。


 口もとの笑みは残したまま、ルグランジェは更に畳みかける。


「私と来れば、君が、君の大切な友人たちに、胸を張れる生き方が出来るかも知れない。ただ君には、君が過去、〝アステル法〟の適用ではなく、医大預かりになった、()()()()もある筈だ。そこを踏まえた上で、聞くよ? ――君は、どうしたい?」


「――――」


 あくまで穏やかに、ルグランジェは言った。


「なるべく〝アステル法〟諮問会までに、考えておいてくれるかな」



 ――そうして、それぞれの未来への分岐点となるであろう、一夜は過ぎた。 

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