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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第九章 奇術師と隠者の再臨
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天樹Side5:諮問会前日(5)

【ルグランジュSide】


 本多天樹が、クレイトンの執務室から解放されて、自室でキールと話をしていた頃。


 手塚から、水杜が軍病院に着いたとの連絡を受け、若宮貴子が駆けつけていた。


 検査前の処置室に水杜を休ませつつ、その隣りのカウンセリングルームでじっと待っていると、やがて手塚の上司と名乗る、ロッティ・ルグランジェ中佐が、そこに現れた。


 手塚からは、カルヴァンで簡易手術を行ってくれたと聞いていたので、貴子は深々と頭を下げたのだが、ルグランジェは苦笑しながら、片手を振っただけだった。


「手塚君に、知り合いだからと頭を下げられたのもありますが――8ヶ月前に亡くなった、私の娘と同い年なものですから、どうにも放っておけずに、余計なおせっかいをさせて貰いました。今日の検査ももちろんですが、今後少しでも、彼女が何か違和感を訴えるような事があれば、私に連絡を下さい。そもそも、誘拐だの……監禁とは言いませんが軟禁だのと、あまり思い出したくもない体験をされたでしょうから、本人が思うより、影響が色々と出てくるかも知れない。本人の()()()は、決して信用しないで下さい、お母さん」


「……っ」


 穏やかだが、示唆に富んだルグランジェの言葉に、貴子が目を瞠る。


「どうかされましたか?」


「いえ……あの子は私にさえ、本音をぶつける事がほとんどない子なので……まるで見てきたようにおっしゃるから……」


「私がカルヴァンで()させていただいただけでも、その片鱗は充分に感じられましたよ。私の娘も、私の前では一言も『辛い』『苦しい』と言わずに……私が気が付いた時には、病魔はもう全身を蝕んでいて、手のほどこしようがなかった。もちろん、貴女の娘さんがそれと同じと言う訳では決してありませんが、本当に自分でどうしようもなくなる、ぎりぎりまで、口を閉ざしそうだと言うのは……とても似ていると思いましたよ。申し訳ない。勝手に私の娘と重ねられては、貴女もご迷惑でしょうけれど」


「―――」


 穏やか、と言うだけでは片づけられないルグランジェの深い笑みに、快活を常とする貴子でさえも、言葉を返す事が出来なかった。


「どうか、検査や経過観察については一任下さい。ここは基本、軍のための病院ですが、私にも、それなりの権限はありますから、娘さんの個人情報は、きちんと保護させていただきます。軍は信用出来なくとも、娘を持っていた、父親としての私を信用していただけると、なお幸いです」



 ここ数日の騒動から、貴子が軍そのものを信用出来なくても仕方がないと、ハッキリと口にしてみせるルグランジェに、貴子はかえって信が置けると、その時思った。


 果たして反論が出来よう筈もなく、再び頭を下げて、「宜しくお願いします」と言う事しか出来なかったのである。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 午後、何とか時間を捻りだした天樹は、軍病院に向かい、若宮水杜を軍病院に送り届けて、ルグランジェに預けた手塚と、ガヴィエラに合流した。


 ようやく現れたかと思いきや、また、外出をすると言う天樹に、2-3時間がせいぜいですからね、と、天樹に釘を刺したリカルド・カーウィン准将は、書類仕事の手伝いとしてキールを「人質」にとり、執務室に()()中だ。


 あまり時間がないと、釘を刺されている事もあり、天樹は前置きもそこそこに、〝使徒(ディシス)〟幹部の行方不明を二人に告げた。


 軽く眉を動かした手塚とは対照的に、ガヴィエラは、怒りを何とか抑え込もうと、両の手を握り締めている。


 大袈裟でなく、キールの言った事が正しいと、天樹に思わせるには充分だった。


「先輩。ひとつ、私のお願いを聞いて下さい」


 ガヴィエラの表情が、そこですっと変わり、声色から冗談の要素も感じなかった天樹は、無言でそのまま続きを促した。


「――もし〝使徒(ディシス)〟の幹部、特にアルシオーネ・ディシスが見つかったら、問答無用で私に()()()()()()下さい」


「……うん? 一度捕まえたって言う、カート・ジェンキンスじゃなく、アルシオーネ・ディシス?」


「はい。お願いします」


 深々と頭を下げるガヴィエラに、天樹はしばらく、考える表情を見せた。


「……それを許可すれば、それ以上暴れないでくれるか?」


「暴れ――って、あ、キールが何か言ったんですね? 別にそんな、めったやたらと暴れたりしませんよ。ちょっと、アルシオーネ・ディシスをぶん殴りたい、ついでに〝使徒(ディシス)〟を拠点ごと抹消したいって、思ってるだけじゃないですか。〝使徒(ディシス)〟と繋がってるらしい、医療関係者は、ルグランジェ中佐が引きずり下ろしてくれるそうですし、軍の方で〝使徒(ディシス)〟と繋がってた高級士官は、本多先輩が諮問会で吊るし上げるんですよね? ほら、適材適所(ウィンウィン)


「ちょ……ストップ! 途中聞き捨てならねぇ! 何、ルグランジェ中佐と癒着してんだよ⁉︎ いつの間に!」


「……俺は、もっと色々と聞き捨てならないよ、手塚……」


「えっ⁉︎ 何が? どこが⁉︎」


 素で聞き返すガヴィエラに、天樹は大きなため息を吐き出した。


「ガヴィ、いつ、ルグランジェ中佐と話を?」


「昨日、自分がセントリー川に浮いたら、これを役立てて欲しいって、アドレス渡された時に、ついでにメールアドレス交換しました。死ななきゃ開かないって、中佐言ってましたけど、夜中にうっかり開けちゃって」


「……うっかりって何だよ……」


「いや、ガヴィの情報処理技術者(シスアド)としての腕は、正直、シストール社の並の技術社員より上なんだよ、手塚。ちょっと鍵がかかった程度のファイルやサイトなら、あっという間に開けてしまうのは、大いにあり得る」


「あぁ、そう……」


 何でもありかよ、と呟く手塚に、天樹も苦笑を誘われる。


「それで、ファイルを開けたら、医療関連の不正記録だった、と」


「一応、何か手伝いましょうか? って、本人に連絡したんですよ。中身見たら、めちゃめちゃ危なそうだから、キールの警護以外にも、外堀埋めた方が良いんじゃないかと思って。そうしたら『これは自分の専門分野に土足で踏みこまれた憤りをぶつける為のものだから、少なくとも諮問会までは、そっとしておいて貰えるのが一番助かる』…って。何か、通信画面越しでも笑顔が怖かったから、結局、そのままに……」


 てへ、とでも形容するのが一番しっくりきそうなガヴィエラの微笑(わら)いに、天樹も手塚も右手で額を押さえた。


「マジで何してんだよ、あの人……」


「おまえが、ここにいないで言ってきたらどうなんだ……?」


「うるさい。先に検査進めとくからって、俺は中佐が()()()()()()、諸々の事務手続きをやっておくように言われてんだよ。俺が逆らえる訳ないだろ。おまえこそ何してんだよ、少将サマ」


「シストール社と軍警察動かした時点で、もう、やり過ぎなんだよ、俺も。このうえ、軍病院にまで口出ししたら、俺が〝アステル法〟の行使権を失いかねない。ガヴィ、確かに明日、諮問会に出るけど、それは〝アステル法〟の為であって、()()()()()の為じゃないから。その舵はもう、軍警察のヘレンズ大佐に渡したんだ」


「……そうなんですか?つ――」


「つまらない、とか言うつもりなら、()()()()も許可しないぞ、ガヴィ」


「う…」


「いずれにせよ、勝手に〝使徒(ディシス)〟の拠点を潰すのは、許可しない。こちらの意図しないタイミングで、()()に噛まれたくはない」


 うぅ……と、唸るガヴィエラに、天樹が嘆息する。


「……その話は、明日の()()以降、またしようか」


 ――午前中は〝アステル法〟諮問会だと、言った側も言われた側も察している。


「分かりましたー……じゃあ、大人しく護衛してます……」


 そうしてくれ、とだけ天樹は呟き、ガヴィエラの中に残った「消化不良」は、彼女の()()に消化させる事にしたのだった。

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