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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第一章 分岐点
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天樹Side8:見破られたトリック(5年前)

 事件から数日が過ぎ、学校が本格的な冬休みを迎えた頃には〝トリックスター事件(ケース)〟の名称は、TV画面を通じて、すっかり定着してしまっていた。


 本多神月は、連日事情聴取に呼び出される立場にあり、その都度、何か言いたげに母・星香が天樹を見つめはするのだが、「大丈夫だよ」を繰り返す天樹の前に、沈黙せざるを得ず、この日も神月のための差し入れを持って、軍へと出かけて行った。


 本来の(戸籍上は祖父)父親であり、現・本多『財閥』の会長たる本多鳴海(なるみ)は、妻子の誘拐を避けるための自衛手段として、首都アルファ―ド地区の本社ビル近くに、別の居住区を構えているため、日ごろ顔を合わせる事が、ほとんどない。


 軍と学生側との話し合いが未決着な以上は、とりたてて話す事もないと考えた天樹は、こちらからは敢えて、父親に連絡をとってはいなかったのである。


 どのみち、主治医たる手塚玲人の父から、話は伝わっている筈と思っていた。


 したがって、玄関のチャイムが来客を告げたその時、オクトーブの自宅にいたのは、本多天樹一人だったのである。


「……司狼(しろう)先生……ですか?」


 天樹が来客者に対し、確認するような口調になったのには理由がある。


 目の前の人物は、確かに司狼・ファイザードであり、中学時代、教えを受けた人物なのだが、紺のスラックスに、袖口と肩口に同色を配した、白が基調の詰襟の上着は、間違いなく軍服だ。


 その理由がにわかに分からず、天樹は異和感を表に出す事以外出来なかったのである。


「やあ、本多君」


 当の司狼・ファイザードは、そんな天樹の困惑を、知ってか知らずか、にこやかな微笑を浮かべた。


「少し君と話があるんだが……いいかい?」

「……どうぞ」


 来客に何も出さない訳にもいかないが、かといって凝った飲み物で時間をかけている場合でもない。一瞬の思案の末、天樹はインスタントのコーヒーを、手際よく用意した。


「申し訳ありません。今は一人なので……」


 実にまったく、そつのないコメントと、手際である。


 気を遣わなくていいよ、と答える司狼・ファイザードの表情も、苦笑気味だった。


「先生、中学校を辞められてから、軍へ?」


 コーヒーカップを手にしながら、ああ……と、司狼は己の軍服に視線を落とした。


「言わなかったかな?」  

「一身上の都合、とした俺たちは聞いていませんでした」


 天樹の言葉は、半分は正しく、半分は事実でないと言えた。


 兵役中だった息子が、戦争で命を落とした事への失意によって――と言うのが、当時まことしやかに囁かれた「理由」であり、それは「一身上の都合」としては誤りではない。


 初級の宇宙科学を教えていた司狼の教えは、分かりやすいとの評判が絶えず、当時その辞職を惜しむ声は多数あった。無論天樹も、その内の一人だった。


「話せば長くなるがね。息子の志を継いでくれる男に出会ったんだよ。私は、そこに賭けてみたくなった。それだけの事だ」


 まるで、そこにどれほどの葛藤があったのかを覆い隠すかのように、司狼はゆっくりとコーヒーに口をつけた。


「しかしなるほど、五年もたてば人は皆変わるな。君も大きくなった。むしろ私の中の君のイメージは、今の弟君に近いものがあるよ」


「…………」


 注意深く聞かなければ、それは単なる司狼の「昔話」である。

 だが、コーヒーカップを手にした天樹の手は、一瞬だけ、その動きを止めた。


 視線を向けると、司狼はまるで、優等生の模範解答を待つ教師、と言った微笑を口もとに浮かべていた。


 天樹が中学二年の時に退職した司狼が、三歳年下の神月を知る事は()()()()()


 あるとすればただ一つ。

 今回の、この騒動の沈静化を担っている交渉人が、彼であるという事実だけだ。


「……神月が、何か失礼でもしましたか?」


 司狼の発言に合わせる形で、天樹も口の端に笑みを浮かべて見せた。


「……いや?」


 それが司狼の意に添うものなのかどうかは、この時点の天樹には、まだ分からない。

 面白そうに口元を緩めた司狼に、視線でその続きを促す他ない。


「彼も周りから随分と慕われているようだし、頭も充分に切れる。しいて言えば……君の方が大人しかったかな、と思う程度の事だ。彼は自分の意見を、ハッキリと口に出来るタイプのようだからね」


 この調子だと、一度や二度は、激昂した神月に、()()()()()()()()に違いなかった。


 そして間違いなく、司狼が軍の側からの交渉人である事を天樹は確信する。


「それで、神月は今は……?」


「私の部下が、話をしている。一通りの事情は、既に聞かせて貰っている訳だから、後は報告書に万全を期すための、細部の話だ。さしたる重みはない」

 

「もう、結論の大筋は立っているんですね」


「なにぶんにも、彼は中学生だ。人質となっていたブラウニング中佐らにしても、見た目にも大きな危害を加えられた訳ではない。軍にしてみれば、結果として〝義務兵役の延長〟以外に、どう措置のしようがあるのかな」


 そこまで言った後で、司狼は静かに手元のコーヒーカップをテーブル上のソーサーに戻した。


 ――――天樹の目を、覗き込むようにして。 


「本多天樹君?」


「…………」


 天樹は、すぐには答えなかった。


 一瞬、何かを考えるように目を閉じた後、視線を敢えて司狼からは外した。


「……()()()()()()に、判断出来る話ではないですね、先生」


「どうかな。今回の事件の首謀者だとされる本多神月君にしても、その事をよく承知した上で、我々と話しているように感じられた。発言自体が、相当な自信と安心感の上に、成り立っているんだ。部下が圧倒されるのは自由だが、私は私なりに考えなくてはいけなくてね。例えば、この自信の所以はどこから来るのだろう――とかね」


 そう言って、いったん司狼は言葉を切り、天樹を見やる。


 だが天樹はまだ、司狼と視線を合わさない。

 司狼は、天樹の返答を待たず、続けた。


「加えて、別の生徒たちの話し声も偶然耳にした。『ホントに、()()()()()()たちが言った通りに、話が進んでる』と。いくら凡庸な私でも、パズルの欠片は補い易くなると思わないか?」


 凡庸、を強調したのは、無論天樹への無形の圧力である。

 誰でも気が付く事だから、言い逃れなど論外だとの、言外の主張だ。


 天樹は表情を殺して、感情を読み取らせないように、テーブル上のコーヒーに視線を落としていた。


「……それで」


 ひどくゆっくりと、低い声が天樹から発せられたのは、どのくらいたってからの事だったか。


「俺にも兵役の延長を……と言うのが先生の『結論』ですか?」


 最も迂遠な表現ながら、天樹は事件への関与をそこで認めた。

 かつて教えを受けた人物相手に、シラを切り通す事の限界を悟ったのである。


「それとも、神月とは違って、騒乱罪の適用も有り得ますか。若気の至りが通用するのは中学生まででしょうしね。ましてや俺は、確信犯で彼らに手を貸してる」


「君は……」 


 動揺する素振りすら見せず、むしろそこで苦笑すら閃かせた天樹に、司狼は本気で眉をひそめた。


「私が君を、糾弾に来たとでも思っていたのか?まさか物分かりが良いと言われる事を、美徳だと思っている訳でもあるまい」


 呆れたような司狼の声に、そんな場合ではないと思いつつも、天樹は少し笑った。


「その方が、カドも立たないと思っている事は確かですが……似たような事を、この前、友人にも言われましたよ、そう言えば」


「そういう友人は、大事にすべきだ」


「俺もそう思います……っと、話が逸れましたね。先生が、何のために俺を訪ねて来られたのかと、そういう話でしたか、確か?」


「君に兵役の延長を促しに来たのではない事だけは、確かだ。軍の首脳部は、今のところ皆、神月君主導の事件だと思ったままなのだからね」


 あまりにも、あっさりと司狼は言い、天樹は意表を突かれたように、顔を上げた。


「それは、どういう……?」


 ようやく交錯した視線に、司狼が満足気に頷く。


「どのみち、皆が兵役に就くというのに、君ほどの生徒が一兵卒からというのも、惜しい話だ。だから正確には、君を()()()()に来たと言った方が、正しい」


 本多天樹が、まともに面食らって言葉を呑み込んだのは、相当に珍しい事である。


 司狼はそのまま目を細めて、彼自身の本当の要件を、かつての教え子へと告げた。


「“アステル法”の適用者として、正式に軍に来ないかと―――そういう話だよ、本多君」


「……先生」


 司狼は、再びコーヒーカップを手に取った。

 天樹の瞳に広がる驚愕と、困惑とを、ゆっくりと眺めながら。

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