天樹Side3:諮問会前日(3)
重苦しい空気のオフィスを出て、開放感から思わず大きく息をついた天樹だったが、その視線の先に、見慣れた後輩の姿が飛び込んできて、一瞬の視線の交錯後、苦笑を閃かせながら、首を横に振った。
「徹夜の張り込み、すまなかった、キール。俺のオフィスで待っていてくれて良かったのに」
背を預けていた壁から離れて、とんでもないとでも言うように、キールが片手を振った。
「先輩がいるならともかく、1人でカーウィンやグリースデイド大佐達の生贄になるのはゴメンですよ」
もともと、この程度の冗談は許される間柄である。
確かに、と苦笑を浮かべたまま、天樹はキールと、オフィスに向かって歩き出した。
比較的まだ朝早いため、行き交う人の数は少ない。
2人はそれほど声を落とす事なく、会話を交わす事が出来た。
「中佐は、病院へ?」
「そうですね。昨夜から今朝にかけて、特に不審者に絡まれる事も――ああ、そう言えば官舎近くでヒューズ中将に遭遇しましたね。と言っても、中将の目的は、俺と同じだったようでしたけど」
「…………」
「先輩?」
「今そこで、ヒューズ中将にも似たような事を言われたよ。特に声はかけなかったが、自分の存在は、多分気が付いていた筈だ、と」
「目立ちますからね、ヒューズ中将。むしろあの場で、俺が誰だか分かった時点で凄いと思いますよ。あっと言う間に殺気が霧散しましたから」
「キール……多分それ、お互い様って言われるぞ……」
「えぇ?何言ってたんですか、ヒューズ中将――」
「今度、自分で聞いてくれ。――それで今、中佐は病院で独りなのか?護衛は?」
「ガヴィ達が、午後イチには戻って来ると言ってましたから、中佐自身は検査準備中だと思いますよ。一応、ガヴィが来るまで、病院の周囲は警戒しておくつもりですが……今はヒューズ中将の配下っぽい士官が1人来たので、とりあえず任せてきました」
「なら、まぁ良いか……ちょっと中佐や手塚たちにも話しておかないといけない事が出来たから、後で俺も時間を作らないといけない。カーウィンにはあと少しだけ、耐えて貰うか」
「話……ですか」
「少し部屋で話そう」
天樹がいるなら、もちろんキールに否やはない。
自らのオフィスへと戻った天樹は、ほっとした表情を見せるギブソン少年を横目に、キールに向かい合う形で、応接ソファに腰を下ろした。
「実はちょっと、処分を受けた」
少年が、コーヒーを用意するために席を外したタイミングを見計らうように、そんな言い方で天樹が口火を切る。
「ちょっと処分って……」
「今後は、軍内部における〝使徒〟の干渉を監視していく事も、俺の責務の一つとして加える、とね。正確な見通しが立たない分、減棒や降格よりも重いかも知れないな」
「え?先輩、でも〝使徒〟は――」
「あの時の彼は、俺へのあてつけに、自首し
て見せただけだったんだろう。どう言った策を使ったのか、あの後、軍警察の護送車から幹部達が抜け出して、今では立派な行方不明――だ、そうだ」
「脱走⁉軍警察の護送車から?それ、手引きした人間がいないと無理でしょう。と言うか、タイミングから考えると、軍警察か学会参加者の中に内通者がいるとしか――」
天樹の処分云々よりも、〝使徒〟の幹部が消えた事の方に、驚きの比重が傾くのは当然だったが、天樹はさほど動揺した素振りを見せなかった。
「そこは、ヘレンズ大佐が意地でも何とかするだろうから、任せておいて良いと思ってる。俺が怖いのは、手引きをした人間が、ルグランジェ中佐の動きに気が付いて、ちょっかいをかける事くらいだ。少し目端が利けば、学会の終了と〝使徒〟幹部の検挙のどさくさを突いて、慌ただしくカルヴァンを発ったルグランジェ中佐の動きを、おかしいと思うかも知れない」
キールは更に質問を重ねようとしたが、そこでギブソン少年がコーヒーを運んできたため、いったん口を閉じて、少年が控室に下がるのを待った。
「……じゃあ先輩、ルグランジェ中佐に、まだ狙われる可能性があるのなら、ひょっとして若宮女史も――」
「それはない」
言いかけたキールの言葉を、強い調子で天樹が遮った。
「当面は、組織を立て直して、俺の動向を監視する事に全力を注いでいく筈だ。俺が下手な動きをしない限り、彼女に限らず、他の人間に類が及ぶ事はないから」
「……先輩を監視?」
「ああ……いや、いいんだ。その話は、もう済んだ事だから」
どう考えても、手塚玲人と同じ怒りを買いそうだと学習した天樹は、この場は笑って誤魔化す事にしておいた。
釈然としない様子の、キールに、片手をひらひらと振って見せる。
「とにかく、その事でまた何かあれば、その時に頼むよ」
「なるほど……じゃあそこまでが『連帯責任』だと言う事で、こちらも心しておきますよ。ところで先輩、〝使徒〟幹部がいなくなったって言うその話――手塚さんはともかく、ガヴィや若宮女史、病院のルグランジェ中佐にも、これから話すつもりですか?もちろん、いずれ知る話なのは分かってますが、よりによって今日、話したら、ガヴィやルグランジェ中佐がが暴走するかも知れないし、女史の、〝アステル法〟を受けても良いと思っていた根拠が崩壊するかも知れない。騙し討ちになるのを承知で、敢えて今日は口を噤んではどうかな、と、提案しても良いですか」
「え?」
天樹は一瞬、キールの言う意味を把握しそこねて、その表情を強張らせた。
「暴走って……」
「ガヴィが、アルシオーネ・ディシスに対して、相当腹を立てていましたからね。恐らく、ルグランジェ中佐も。若宮女史が〝アステル法〟を受ける事で、アルシオーネ・ディシスとかつて同じ大学、同じ職場だった事が公に露見して、口さがない連中があれこれ言いかねない事に気が付いたんですよ――誰よりも、女史本人がそれを分かっていると言う事にも。例えば今日、この後、彼らの行方不明を知った二人が、〝使徒〟の残った拠点、全滅させ
てやる!って何かやり始めたとしても、俺には止める自信はないですね。ルグランジェ中佐も、見た目とかけ離れた、結構過激な人ですよ、多分」
「……っ。どうか、引け目を感じたりせずに、来て欲しいと――嘘偽りなく訴えたつもりでは、あるけど……まだ、足りなかったか……?」
紆余曲折の末、水杜との面会を許可された天樹だったが、結局、多くを彼女に語る事はせず、ただ「待ってる」と、深く頭を下げただけに留めたのである。
水杜もまた、敢えて天樹を呼び止めて、何かを言おうとしたりはしなかったのだった。




