軍医Side:追跡2日目(21)
夜。
今日はもう、帰って良いと言った筈の副官、イヴィス・ジェフリー中尉が、そのまま踵を返して、バリオーニの執務室へと戻って来た。
「閣下、予約はないのですが、医局のルグランジェ中佐が、どうしても、閣下の〝誕生日プレゼント〟を今日、お渡ししたい、と――」
「は?」
想定外の面会理由に、バリオーニも、らしくない声を上げたが、副官を問い詰めたところで、どうしようもないので、そのまま中に入れるよう、指示するより他はない。
「ああ、おまえは帰って良い、ジェフリー。意味不明な理由で押しかけてくる同期に出す茶なんぞ、ないわ」
「……ひどいな。大将閣下の執務室ともなれば、さぞかし高級な茶葉が常備してあるんだろうに」
〝誕生日プレゼント〟を前面に出しつつ、更に私的な訪問を印象づけるため、執務室に現れたルグランジェの口調は、わざとくだけている。
「飲みたきゃ、自分で飲め。――長くなるとでも?」
ルグランジェは、すぐには答えず、にこやかに微笑んだ。
そのまま隣の控室へと消え、やがて2人分の紅茶を持って、戻って来る。
「やぁ、やっぱり良いお茶だ」
今更、毒見も必要ないだろうと思ったものの、長年の習慣は、そう簡単には抜けず、バリオーニは、ルグランジェが紅茶に口をつけるのを確認してから、自分もカップを手にとった。
「――それで」
儀礼的に、一口だけ口に含んだところで、バリオーニが、ルグランジェに要件を促した。
「クレイトンの第一艦隊司令官就任と共に、隠者になった筈のおまえが、何の用だ。俺の誕生日なんぞ、一ヶ月も前に終わってるんだが?」
「なら……少し遅れたプレゼント、と言う事で」
ルグランジェも、紅茶を机に置いて、背広の内ポケットから、小さな長方形の箱と、USBメモリを取り出した。
バリオーニが箱を持ち上げると、軽い、こすれるような音が聞こえる。
特に躊躇もなく箱の蓋を開けると、中には明らかに血に染まった痕が残る、腕輪や細い管が入れられていた。
「……〝束縛の手枷〟?」
「これ、開発中の素材が組み込まれた、ちょっと特殊なヤツでね。どうやら、軍病院から横流しされたらしく」
「どこへ」
「反政府組織〝使徒〟」
「なっ……」
息をのむバリオーニを見たルグランジェは、軽く息を吐き出す。
「やっぱり、君に持って来たのは、間違いじゃなかったらしい」
「おまえ、これをどこで……あ、いや、病院か。うん?そんな筈はないな。だったら、横流しなどと言って、ここへ来る必要がない」
「そこは、医者の守秘義務として、伏せさせて貰うよ。で、必要だろう、これ?」
USBメモリを、ヒラヒラとルグランジェが振っている。
「横流しのリスト付とは、恐れ入るな」
「学会から帰って来て、休む間もなかった。最も、そこで休むと、後でリストをコピーする事も出来なくなりそうだったから、ギリギリの攻防だ。明日の午後には、多分、気付かれる」
「病院と軍の双方に内通者がいる――か」
「あ、ちなみに私が明日にでもセントリー川に浮かんでいた場合の保険も、ちゃんと掛けてあるから、そこは安心して良い。この話は、もはや、うやむやにはならない」
「何だと?」
「学会先で偶然会った、本多少将と、少し話を。後は空戦隊の……レインバーグ少佐とリーン少佐?第九艦隊、かなり興味深かった」
「待て待て待て、分かるように説明しろ!」
「私に分かる筈がないだろう。学会先で会っただけなんだから。自分で本多少将なり、その上役にでも聞けば良い。何のための副本部長職だ」
正確には、学会先で会っただけではないのだが、今の時点でそこまで説明する義理は、ルグランジェにはない。
持って来た〝誕生日プレゼント〟を、どう活かすかで、必要なら後で追加で話せば良いだけである。
「……おまえ、何故それを、私の所に持って来た」
ルグランジェの持つUSBメモリに、すっと片手を差し出しながら、バリオーニが声を落とした。
「今ならそれを、軍病院を牛耳る方にだってもっていけるぞ」
「ふふ……本気で思ってもいない事を聞かれても、答えに困るな」
ルグランジェの手から、USBメモリが離れて落ちた。
「私は、先立った娘に恥じる生き方をするつもりはないよ。これで軍病院が、ガタガタになろうと、主要艦の主任軍医何人かの馘が飛ぼうと、知った事じゃない。単に、一番劇薬に出来そうな男の所に、持って来ただけだ」
「……劇薬、ね。分かった、これは確かに預かるが、おまえ、明日にでもセントリー川に浮いてるかも――は、撤回しておけ。それは、私への侮辱だ」
「そうか。なら、良いんだ。すまない」
ところで……と、USBメモリを握りしめながら、バリオーニがふと、視線を上げた。
「お返しのリクエストがあるなら、今のうちに聞いておくが?」
「……お返し」
「そんな、不気味そうな顔をするくらいなら、最初から〝誕生日プレゼント〟だなどと言って、持って来るな。この年齢で、堂々と宣言された方が、遙かに恥ずかしかったぞ」
「ああ……なるほど」
「この半年、病院で〝孤高の隠者〟と化していたおまえを動かした、何かがあったんじゃないのか。――副本部長に、何をして欲しい」
「……ふふ」
ルグランジェは、婉然と微笑んだ。




