キールSide1:追跡2日目(20)
「第九艦隊空戦隊所属の、レインバーグ少佐です。あの、もし良ければ、この後、私と本多少将とは、すぐに首都に戻るでしょうから、ご一緒に如何ですか?あまり、リーン少佐を、やきもきさせないで下さると有難いのですが」
「医局外科部、ルグランジェ中佐だ。レインバーグ少佐、だったかな?気持ちは有難いが、本多少将と一緒に戻ってしまうと、目立って仕方がない気がするから、遠慮しても良いかい?今も言ったけれど、私に何かあるとしたら、今日の夜とか、明日の朝とかになるだろうから、過剰に気を遣って貰わずとも大丈夫だ」
これは、押しても引いてもダメそうだな……と、話の途中からキールは感じ取っていた。
「それに多分、想定外の裏切者がいた場合くらいしか、何も起きないだろうから、確率は低いと思ってるよ」
「…………」
名刺の裏面に視線を落としたまま、沈黙してしまったガヴィエラに、ルグランジェは好意的な微笑を浮かべていた。
「私には娘がいたんだが、少し前に病気で亡くなってしまってね。若宮さんと同じ年齢だったものだから、どうしても、彼女の事が、放っておけないと言うか……ただ同じくらいに、君の心配もしているから、ウザいと思わずにいてくれると、嬉しいよ」
「――――」
そうしてルグランジェは、結局そのまま、ひと足先にカルヴァンを離れて行ってしまった。
「キール……」
「分かった分かった。戻ったら、中佐の身辺に気を配るようにしておく」
「お願い。手塚さんが、明日、水杜さんに付き添って、首都の軍病院まで送り届けるって話だから――本多先輩は、今日、絶対に帰らなきゃでしょ?」
「多分、手塚さんが、残らせない」
「だよね」
「まぁ、だから、俺も帰らないとなんだよ。本多先輩連れて、軍警察のフィオルティ支局に頭下げてから、帰るべきだろうし」
「ああ……あの件……」
「酔っぱらいのフリして、話をうやむやにした、どこかの誰かさんは、いてもいなくても良いと思われてるのかも知れないが」
「ナンノコトデショウ」
ふいっと顔を反らしたガヴィエラの肘を、キールが軽く小突く。
「おまえが、ルグランジェ中佐の護衛として、今、戻るのもアリかも知れないが、手塚さんと、若宮女史と二人で明日、戻って来て貰うって言うのもな……?そうそう〝使徒〟や他の反政府組織が動いてくる事はないと思うが、全く腕に覚えのない二人を残していく方がナシだろ。どっちかと言えば」
「……うん」
キールの言い分には、どこにも反論の余地がないので、ガヴィエラも、黙って頷くより他ない。
――もちろん、あとで手塚と階下に降りてきた天樹にも、キールの言い分に、反論は出来なかった。
「ルグランジェ中佐……」
頭を抱えた手塚の姿が、珍しい程である。
「実は密かに怒ってたんだな、あの人……しまった、いらん事に巻き込んだ……」
「そうかも知れないが……多分、もともと、何か握っていた感じじゃないか?ただ背中を押しただけ、とも――」
「それにしたって、あっけらかんと『じゃあ今から危ない橋渡ってきます。明日セントリー川に浮かんでたら、ごめん』はないだろ!おまえらも、そのまま行かすな!」
手塚の怒りの矛先を向けられたガヴィエラが、一瞬怯んで、キールの背中にサッと隠れる。
「いや、そんな明け透けには言って――」
「今の翻訳、何か間違ってたか」
「……多分間違ってないです」
フォローになっていないキールの肯定に、双方が撃沈したとみた天樹が、苦笑混じりに手塚の肩に手を置いた。
「まぁ、黙って行かれるよりは良かったと、思っておくしか仕方がないだろう。それに、思い当たる節がない訳でもないよな?」
問われた手塚は、天樹の手を肩から振り払って、上着を直すと、考えをまとめるように、口もとに拳をあてた。
「手術の後、中佐は〝束縛の手枷〟を、俺に見せると言うよりは、何か確認するように眺めていたから、どこかで見た事があるとか、何か、型に特徴があったのかも知れない。俺には外し方しか言わなかったから、そんな、区別出来るような種類があるのかとも、気が付かなかったけどな」
「俺も、特務隊にいた訳でもないから、それがそんなに、種類に富んでいたとは初耳だが……まぁ、それはそれとして、恐らく中佐は、
〝束縛の手枷〟の出所=〝使徒〟との繋がり、を想定して、誰かを訪ねようとしている――ってところじゃないのか?」
「十中八九、そう言う事だろうさ。ただ、想定外の裏切者がいない限りは、危険はないと思ってたって言うなら、直接黒幕にぶつかりに行った可能性は低い。黒幕を潰し得る誰かに、情報を売りに行ったと見る方が妥当だろうよ。っつーか、まぁ、あの人が行くなら、バリオーニ大将とやらの所しか、ないだろうけどな」
「そうなのか?」
「バリオーニ大将は、おまえと敵対する側の人間じゃないんだろう?ルグランジェ中佐自身も、それに納得したなら、行くと思うぜ?あの人、病気でもう長くないって言われた娘さんを看取る為に、一線を退いて、軍病院に異動願いを出したらしいけど、それまで、バリオーニ大将旗艦の主任軍医で〝神の手〟って呼ばれるくらいの腕を誇ってたって、他の教官からは聞いてるし。まだ40代な事を思えば、いつ、どこかの艦隊に再復帰を命じられてもおかしくないらしいから……あてがあるって言ってたのも、あながち誇張でもない筈だ」
「……ああ、バリオーニ大将自身が裏切者か、その側近に裏切者がいない限りは、安全はほぼ、保証されるのか。警戒範囲は狭くてすむ――なるほど確かに、分の良い賭けではあるな」
「だろう?とは言え、可能性はゼロじゃない。明日いきなり川に浮かんでました、とか言われたら、結果的に巻き込んだ俺が、情けなくて、立ち直れねぇよ」
「おまえの指導教官が務まる、などと、貴重希少の極みだものな……」
「人を問題児みたいに言うな。っつーか、おまえに言われる覚えはない。優秀なんだよ、俺は」
「副音声が『俺様』に聞こえるぞ、手塚。あまり、そこの2人をドン引きさせないでくれ」
「会話ってのは、1人じゃ出来ないよな、本多?ドン引きされてんなら、おまえも一緒だ」
「…………」
天樹と手塚、双方から視線を向けられた、ガヴィエラとキールは、思わずコックリと頷いていた。
「そらみろ」
「ひどいな、2人とも」
「いや、だって、こんなところで、マシンガントークで話す内容じゃないでしょう……」
呆れたように答えたのは、キールだ。
ホテルのカフェテリアにいる筈なのに、まるで軍部の作戦参謀室だ。
しかも1人は医学生――の筈だ。
あぁ……と言いながら、天樹が天井を仰ぐ。
「久しぶりに、若宮さんと3人揃ってると思ったら、時間と場所を忘れたかな……」
「……討論の時間に収拾がつかなくなってたところに、前提条件の翻訳が間違ってるとか、爆弾発言落とされて、ぐぅの音も出なかった事があったよな。その上、期末の学年トップまで持っていかれて、度肝抜かれたな。高1だったよな、あれ?」
「あれは結構堪えたな……」
乾いた笑い声の天樹に、ガヴィエラとキールは、それが決して誇張ではないのだと、理解する。
「ホントに、どんな高校だったんだ……」
「保安情報部と軍部と、期間限定にしろ、監視が入るような学校」
「はい?」
「手塚」
「はいはい、この話はここまでだな」
天樹同様、手塚も高校時代をあまり詳しく話す気はないらしかった。
「で、本多。おまえは帰るんだよな」
「…………」
「か・え・る・ん・だ・ろ?」
人差し指を、グリグリと天樹の肩に押し付けながら、手塚が凄む。
「若宮さんに、今、必要なのは安静。様子を看ておくなら、俺で良いってルグランジェ中佐も言ってたろ。お嬢さんの護衛だって、別にいらんとは思うが、それは俺の方が門外漢だから、とやかく言わん。で、おまえに今、出来る事は何だ?ここに居残る事か?」
返事の代わりに、天樹は一瞬だけ、天井に視線を投げた。
「……そうだな。掃除をしておかないとな」
「掃除?」
首を傾げるガヴィエラとキールに、手塚はニヤリと口の端を歪めた。
「そうだぞ?若宮さんに、待ってるって言ったんなら、環境はちゃんと整えておけよ?」
「……分かった」
淡々と答えたようで、その口元が、僅かに緩んだのを、キールは確かに目にした。
「ガヴィ……この2人、多分一緒に敵に回しちゃダメだ……」
――ガヴィエラは、一も二もなく頷いた。




