ガヴィSide1:追跡2日目(19)
『ホテル・ヴィクトリア』のカフェテリアで天樹を見送り、コーヒーを飲んでいたキールは、どのくらいたってからか、ふいに右肩にコツンと、何かが当たったのを感じた。
「……ガヴィ?」
ゆっくり首だけを傾けると、視界の端に映るのは、見慣れた金髪のポニーテール。
ソファの背もたれに手をかけたガヴィエラが、キールの肩に、後ろから頭をもたせかけていた。
「……どうした」
気のせいか、僅かな震えを肩越しに感じる。
「……悔しい」
「……そうか」
何が、とはキールは問わない。
聞かれたいのか、聞かれたくないのか。
それが判別出来る程の付き合いは、しているつもりだった。
「水杜さん〝使徒〟との内通を疑われたりするの……?」
「ん?……あぁ、そうか。いや、今回に限っては、疑われる事はないよ。何しろ、被った損害が、向こうにとっては大きすぎる。ただ今後、類似した、反政府組織の存在がチラついてくれば、口さがない連中が、女史を槍玉にあげてくる可能性は、あるだろうな。〝使徒〟の時のように、何か接点があるかも知れない、そもそも、高待遇で軍に入るために、自分で〝使徒〟を売ったんじゃないか、とか――自分で気が付くのか。なるほどそう言う女性なんだな」
「なんで……っ」
「今回のように、間近で女史を見てきていなければ、例えばカーウィンなんかは、わざと悪役を演じてでも、そこを突いてくるぞ?問題なのは、それが事実かどうかじゃなく、そう見せかけて、先輩を陥れる事が出来るだけの素地が、そこにあるって事の方なんだから」
「……そんな事したら、しばらく、カーウィンと口きかない」
「子供か!恐らくアルシオーネ・ディシスが、物理的に、女史を諮問会に出させない事が叶わなかった場合の保険として、自分と女史とが無関係ではなかった情報をあちこちに残して、疑惑を芽吹かせて、軍に入りにくくするように、仕掛けておいたんだ。自分の存在が、本多先輩をかえって窮地に追いやりかねない――女史ならば、そこまでの事に思い至るだろうと、分かっていたから」
「……っ」
キールの肩に顔を埋めたまま、ソファの背もたれに置かれたガヴィエラの手が、切れそうなほど強く握りしめられていた。
「……全部、叩き潰してやる」
震える声のまま、ガヴィエラは言った。
「許さない。水杜さんがどう言おうと、私は絶対に、アルシオーネ・ディシスを許さない。ギルティエ社のネットワークに残る〝使徒〟の情報は、跡形もなく、消し去ってやる」
好きだったら、全てが許される訳じゃない――キールに聞かせるつもりのない、絞り出すような小さな呟きは、それでも肩越しに届いた。
だんだんと、おぼろげながら事態の輪郭が見えてきていたが、尚更、キールはそれを、自分からは聞かない事に決めた。
右の手を器用に捻りながら、ガヴィエラの頭に軽く手を添える。
「俺の手が必要になったら言えばいい、ガヴィ。俺が陥りそうな窮地なんて、本多先輩に比べれば、たかが知れてる。そもそも俺は、おまえとなら、地獄に落ちたって構わないと思ってる。おまえが望む限り、どこまででも、手は貸してやるから――忘れるな」
好きだからって、全てが許される訳じゃない――と言われては、キールにも少し、耳に痛く聞こえるのだが、それはもちろん、口に出来る筈もない。
うん、と小さく呟くガヴィエラに、いつか自分の「本気」が伝われば良いと、今は思うより仕方がない。
「それで今は、おまえはどうしたい――」
言いかけた視界の先に、ふと、背広のジャケットを片手に、こちらへと歩いて来る男性がいて、キールは微かに眉をひそめた。
「リーン少佐」
呼ばれたガヴィエラが、ハッと顔を上げて、キールと同じ、右方向に視線を向ける。
「ルグランジェ中佐……」
「あぁ、良いよ、そのままで。私の本分は、あくまでも医学。君たちに礼を尽くされるには、値しないから」
姿勢を正そうとした、ガヴィエラとキールを遮ったルグランジェは、そんな風な言
い方をして、微笑った。
「悪いが私は、ひと足先に、首都に戻らせて貰うよ。〝束縛の手枷〟が外れた以上、後は安静だけだ。「卵」の手塚君でも、問題はないだろうから」
「分かり……ました」
ルグランジェは、一瞬だけキールに視線を投げ、すぐにガヴィエラへと、それを戻
した。
言いたい事を察したガヴィエラが、大丈夫とでも言うように、首を横に振る。
――何も話していない、と。
ルグランジェも、分かったと言う風に、頷いた。
「……吐き出したいときは、君もおいで。リーン少佐。医者として、門戸は須らく開いてあるから」
「私……も?」
「吐き出したいけど、殴れない時は、案外、医者も役に立つものだよ。覚えておくと良い」
「――――」
自らの名刺をガヴィエラに差し出しながら、わずかに茶目っ気を覗かせるルグランジェに、さすが手塚の上司――などと内心で二人は思っていた。
「……君たちが上官と仰ぎ、上にいる手塚君たちが親しくする、本多少将――か。時間があればもう少し、話をしてみたかった」
「中佐……」
「私も今回の事態には、少なからず思うところ――と言うか、〝束縛の手枷〟に関しては、少し気になる事があるから、首都に戻ったら、水面下で動いてみようと思う。これでも、元第一艦隊旗艦軍医だったからね。あてはあるつもりだよ」
そう言ったルグランジェは、ガヴィエラの手にあった名刺を、くるりと裏返した。
「?」
裏面には、走り書きされた別のアドレスがある。
「さっきの口ぶりからするに、君は端末操作が得意そうだったから、これを預けておくよ。何、私が死ななければ、開く事のないアドレスだから、今は持っていてくれるだけで良い」
「えっ⁉︎いやいや、しれっと、何言ってるんですか、中佐。もしや、独りで何か危ない橋渡ろうとされてます⁉︎で、今、帰るとかおっしゃいましたよね⁉︎」
ルグランジェの言葉に、慌てたのは、ガヴィエラだ。
上の階まで付き添わなかったキールは、今がルグランジェと初対面であり、状況が掴めずに、ガヴィエラとルグランジェを見比べている。
「ああ、渡るのは首都に戻ってからだから、今、戻る分には一人で大丈夫だよ。セントリーの川に浮いてるとしても、明日以降だろう
し」
「わぁっ、笑顔で何言ってるんですか!って言うか、橋渡っちゃうんだ?そこは決まりなんだ⁉︎」
そのまま、ルグランジェが本当に笑顔で立ち去ってしまいかねなかったので、さすがにそこで、キールが声をかけた。




