手塚Side5:追跡2日目(18)
「命に別状はありませんよ。ただ〝束縛の手枷〟が神経に絡み付いていたので、体力が奪われているのもそうですが、そもそも一連の出来事として、一般の民間人が普通に経験する事じゃありませんから、私としては精神保護の重要性を声高に説きたいところですね」
一般の民間人が普通に経験する事じゃない、の部分を強調してしまった気もするが、一連の出来事に口を閉ざし、あまつさえ麻酔なしの手術をも耐えきった、若宮水杜と言う女性に対して、ルグランジェに少なからずの肩入れが生じた事もまた確かだった。
本当に、目の前の彼が、それだけの事をされるに値するのか――そんな感情が、表に出てしまった感は否めない。
「ルグランジェ中佐……」
少将の地位に決して阿らないルグランジェの物言いに、天樹が僅かに目を見開く。
「――手塚君」
そして、天樹が何か言うよりも先に、ルグランジェの方が、対話を拒むように、部屋の奥へと声をかけた。
「面会許可は、君に任せよう。私は夕方にはここを出なくてはならないが、明日、君が彼女に付いて帰って来るのであれば、宿泊は延長してくれて構わない。むしろそのまま、軍病院に連れてきてくれた方が、私としてもす
こぶる都合が良い」
ルグランジェから、止血後の腕の包帯処置を引き継いでいた手塚は、それは、ここに残れと言う命令だと、感じ取った。
「了解しました。じゃあ、俺は残って彼女の様子を看ます。あ、すみませんけど、そこに立っている人間は、まだそのままにしといて下さい。俺まだ、処置中なんで」
「……その遅さは、わざとかな、手塚君?素でその時間なら、帰ったら特訓だよ」
「ご安心下さい、中佐。もちろんわざとです」
「――――」
低い笑い声を漏らしたルグランジェは、立ち尽くしている天樹と、携帯電話を手にしたままのガヴィエラの横をすり抜ける形で、部屋から出て行ってしまった。
天樹にすら何も言わせない、それは鮮やかなタイミングだった。
「ウチの上司、あんな格好良かったっけか……?まぁ、君のそんな顔を見てたら、本多に一言言いたくなってもしょうがないのか」
苦笑交じりに包帯を巻く手塚に、そんな顔――の部分を、水杜が聞き咎めた。
「そんな顔……って?」
「ん?あぁ、まぁしいて言うなら、罪悪感でいっぱいの顔?」
「――――」
水杜の顔に、軽い驚きの色が広がる。
「手塚君……」
「本多が、若宮さんを軍にスカウトして、れを聞いた〝使徒〟の連中がその妨害を図った――にしちゃ、不自然だった事もいろいろあるしな。俺はとりたてて、何をどうこう言うつもりもないが、結局、君がどうしたいのか、その覚悟が決まらないのなら、今は本多に会っても意味がないと思ったんだ。だから出入り禁止にしてやった。…余計だったか?」
「……すごい」
「何が」
「皆が言いにくそうにしている事を、あっさり掬い上げて、ばっさり一刀両断されたって感じ」
怒りも、傷ついた表情も通り越して、むしろ感心したような呟きを、水杜は漏らした。
「理屈と建前で、どうにかならないかと思ってたんだけど……誰もごまかされてはくれないって事ね」
「少なくとも、今必要なのは理屈じゃないよな。不必要な時にまで理論武装しようってんら、明日から本多って呼ぶぞ」
「……ひどい言われようね、本多君も」
親しさ故の、容赦のない発言に、さすがの水杜もくすりと笑う。
「でも真面目な話、私の内心の葛藤を、分かりやすい話にしてくれて有難う。ちゃんと考えなきゃね……私が、どうしたいのかを」
「どうにも、それが皮肉に聞こえるのは、俺も結構すれてるって事だよな。これは旧交を暖めなおす必要は十分にありそうだ。同期会の話、俺が、君の暗示に気付くのに遅れたお詫びもあるし、若宮さんの分だけは、奢らせせてもらうよ。それでいいよな?」
「本多君は?」
「何で俺より金を持っている奴に、義理もなく奢らないといけないんだ。本当なら、あいつに全額払わせたいくらいだってのに」
「迷惑料っていう話なら、私も手塚君に治療費払わなくちゃいけない気も――」
「……言われてみれば、そうかも知れないが」
存外真面目な顔で呟いた手塚に、水杜も苦笑を誘われる。
「最終的には、ワリカンって事かな」
「ま、その辺は善処するよ。だがなぁ……」
包帯を巻き終えて、救急道具を片付けながら、手塚がふと呟いた。
「そう素直に俺の言う事を納得されるのは、どうにも複雑な気分だ。俺は精神課医じゃないし、まして自分がどうしたいのか、一番定まっていないのは、未だしがない医学生の俺であって、本多や若宮さんに対しては、虚勢を張ってるだけかも知れないんだぜ?」
「かも知れない、って言ってしまうところが、いかにも手塚君らしいけど。昔から、良い意味で、自分に一番正直だったのって、手塚君だったと思うんだけど」
「さあ、それはどうだかな。俺にだって、家庭の事情くらいはあるさ。だけど、よそう。それをお互いに比べても、不毛だ」
「結局のところ、人は自分の望むようにしか生きられない……のかな」
「そうそう。それ以上は、偽善だろ」
水杜の言葉に大きく頷いて、立ち上がった 手塚は、部屋の外を指さして、水杜に答えを伺うように、小首を傾げた。
水杜は一瞬だけ目を伏せて、考える仕種を見せたものの、やがて頷くように、静かに微笑った。
「まぁ、ちゃんと横にいて、阿呆な事言ったら蹴飛ばしてやるから、安心して良いよ。あ、ちなみに二人で『ごめんなさい』連発して、頭下げあうのはナシな。話は手短に、建設的に。君がこれ以上体調を悪くしたら、今度は俺がルグランジェ中佐に殴られる」
水杜の微笑を合図と取った手塚は、ゆっくりと入口の方へと歩いた。
努力します、と後ろから聞こえる小声に、小さく笑う。
「――ここへ来たって事は」
そして部屋のドアを開けざま、手塚はそんな風に、外に立ち尽くしていた、本多天樹に声をかけた。
「ごめんなさい以外の話を、ちゃんと出来るようになったんだろうな、本多?」
「……部下を抱える者、彼女に手を差し出した者としての自覚を欠いたまま、自虐的な取引を勝手にしてしまった件は、とりあえず反省しているよ、手塚。どう転んでも、飛ぶのは俺の首だけだ――なんて、5年前みたいな事は、もう言わない」
「……それで?」
「待ってる、とだけ、彼女に言わせてくれないか……?」
謝罪も惧れも後悔も覚悟も、全てをのみ込んで――ただ、待っている…と。
ほう、と手塚の目が僅かに見開かれた。
「なるほど、おまえにしちゃ、いい着地点だ」
満足げに口元を緩めた手塚は、身体を一歩引いて、天樹に中に入るよう促した。
「手塚、俺は5年前よりは、進歩したか?」
「ぬかせ。まだまだ赤点スレスレだっての。言われる前に気付け。自覚しろ」
「厳しいな……」
ガヴィエラには、ロビー側のカフェテリアで、キールが待っているとだけ声をかけ、天樹は部屋の中へと足を踏み入れた。
この時の短い会話の様子は、当事者3人以外に、語られる事はなかった――。