天樹Side7:トリックスター事件(5年前)7
「いつも、俺のやる事に何か意味があると思うのは、買い被りだよ、手塚」
答えになっていないな、と手塚の周りの空気が、恐らくは意図して冷ややかになった。
「自分で、人からそう見られるように繕ってきておいて、何を今更だな」
その言葉にふと、天樹が関心を覚えたように手塚に視線を戻す。
「……何だ」
「いや…今、ちょっと核心を突かれたような気がした」
「三年間の友情の証だ、ありがたく受け取りやがれ」
「そんな俺でも、友と呼んでくれるとは、確かにありがたいよ」
「勘違いするな、本多。別に俺は、おまえを貶めてる訳じゃない。ただ、その行き過ぎた自己韜晦が、不健全な性格を作り上げてるんじゃないかと言ってるだけだ」
「……不健全……」
さすがに不本意そうな表情を垣間見せた天樹に、手塚の表情も面白そうに動いた。
「それと、高校生活最後の試験くらいは、まともに俺と勝負しろと……まあ、そういう話でもある」
「俺はいつだって、まともなつもりだが?」
「いいや、嘘だな。おまえは、わざと一部を覚えてこないで、点を下げてる。俺が気付かないなどと思うなよ」
天樹は決して連続で、学年首席の座を獲得しない。
三年間、3人でバランス良く学年首席の地位が持ち回る状況を、作為的と言わず何と言うのか。
己の成績や行動で、弟である神月に、精神的なプレッシャーを与えないようにとの配慮があるにしても、天樹自身の意志は、家でも学校でも、押し殺されたままにしか見えない。
「………困ったな」
案の定、何一つ困ってもいない表情で、天樹は微笑を浮かべている。
「どうして、素直に自分の一番を喜べないんだろうな」
「ぬかせ。言っとくが、今回は俺は一位でも二位でもないぞ。絶対に、最後首席の地位は取り返してやる」
「お手柔らかに…と言いたいところだが、その相手は、俺じゃないんじゃないか?」
「おまえも含めて、だ。何言ってやがる」
お前も含めて、を殊更に強調しながらも、手塚はふとそこで、表情を改めた。
「若宮さんは…病院だって?」
いつの間にか、きっちり情報を仕入れているらしい手塚に、天樹も静かに頷いて見せた。
「俺にもおまえにも会わず、救急車を誘導して、ケガ人なんかをみんな連れ出したそうだ」
「なるほどな……」
少年たちの巡回ルートの作成に、かなりの自信を持っていた手塚としては、複雑な表情を浮かべるしかない。
とんだ学年三指だ、と洩れる独り言には、天樹も苦笑いと共に首肯せざるを得なかった。
「……手塚」
「なんだ」
「そんなおまえを見込んで、ひとつ頼みがあるんだが、構わないか?」
「……どんな俺なのかは気になるところだが、珍しく、まともに物を頼んだおまえに免じて、聞いてやろうか」
大した言われようではあるが、悪気があってのセリフではないと、もちろん分かっているので、天樹もそこは混ぜ返さない。
「万が一、神月たちだけで、収拾がつかなくなったとしても、せめて若宮さんだけは、無関係で通せないか?基本的には、おまえもそう出来ればと思ってるが……」
「………」
すうっと、手塚の顔から表情が消えた。
ずれてもいない眼鏡を、わざとらしく直して、鋭い視線を天樹へと投げる。
「一度言ってやろうと思ってたんだが、行き過ぎた謙遜と遠慮が、侮辱と失礼の隣り合わせにあるって事を、おまえは知らないのか?大体、俺がこの騒動の全責任を、神月君に押しつけて、平然としていられる人種に見えているんだとしたら、馬鹿にされた話だ」
「いや、俺は―――」
「当然、身内に不幸があった彼女に、これ以
上、どうこうさせようという気も毛頭ない。残された俺としては、おまえと一連托生も致し方なしと思って、戻って来たつもりだったんだが?」
そんなつもりはない、と返しかけた天樹ではあったが、切り返した手塚の主張は全くと言って良い程理にかなっており、さすがに天樹も効果的な反論の言葉は見いだせなかった。
「……ごめん」
「いやに素直だな、おい」
「面と向かって、俺にそういう事を言ってくれる人は少ないからね。おまえ流に言うなら、三年間の友情に感謝、だ」
ふん、と手塚は口の端を歪めた。
本多天樹が、本多家、というより、今や本多『財閥』として、情報産業を筆頭にあらゆる業種に職種を伸ばす、一大コングロマリット企業の嫡子であるという事実を知る者は、実はそう多くない。
さほど珍しくない姓と、要人の子弟誘拐を恐れて、保護者の名を祖父母のそれにしてある事実がそうさせているのだが、唯一手塚玲人だけは、彼が、本多家がバックアップをしている救急指定病院院長の息子である事と、その父が本多家の主治医であるという事から、学校長を除いてただ一人、本多天樹の素性を知る他人だったのである。
誰にでも優しく寛容だが、決して必要以上に他人と深く関わろうとせず、本多家の意向に沿おうとする天樹は、手塚にとっては焦燥を覚えずにはいられないものであり、むしろ長の友情もさることながら、一度で良いからこの沈着な男を突き動かしてみたいという、手塚自身の意地が、この場では大きく働いていたと言っても良かった。
「それで、そろそろ軍の内部から、実動部隊じゃない、交渉役のご一行が着く頃だろう?本当に、神月君主導でいいんだな?」
もう一度、念を押すように問い掛けた手塚に、天樹も躊躇の表情を一瞬だけ見せたものの、それはすぐに、いつもの穏やかな表情に取って代わった。
「構わないよ……神月がそうしたいと言うんだから」
「弟に甘いのか、突き放しているのか、判断しにくいセリフだな」
「この事態に、無力でいたくないという神月の気持ちは分かるつもりだし、出来る限り尊重もしてやりたい。それに真面目な話、中学生主導を強調しておく方が、軍は対国民感情の観点から、そう厳しい処罰は出来ない筈なんだ。せいぜい兵役の延長が考慮される程度で、多分、それが一番傷つく人の少ないやり方なんだよ」
「で、バレたら?」
「その時は、俺が全部引き受けるから、構わないよ――っと、違ったな。ご協力宜しくお願いするよ、手塚前生徒会長」
さすがに、学習したとばかりに両手で降参のポーズをみせた天樹に、手塚は大仰に頷いてみせた。
「分かれば、結構。ならばもう少し、友情の在り方について、表通りの『ヴァンドゥ』で語り合うとしようか?」
「……奢るよ。もちろん、神月の分のお礼も含めて」
後にこの事件の顛末は、その奇抜さから〝トリックスター事件〟とマスコミに銘打たれることになった。
そしてこの騒動は最終的に、中学生の蜂起から輪が広がった「学生運動」と言う形での決着をみた。
あらかじめ、そういうシナリオを本多天樹がSEAテレビに信じさせていたせいもあったが、騒動の過程で垣間見える、中学生主導とは思えない矛盾も、天樹はシナリオの中に、しれっと封じ込めてしまったのである。
全てが、天樹の描いた結末へと傾いたかのようであった。
――ただ一つ、彼自身の行く末だけを除いて。