天樹Side:追跡2日目(13)
だがその揺らぎは、周囲に気取られる前に、静かな笑みですぐに覆い隠された。
「確かに、軍警察を、有無を言わせず動かす事が出来ないとは言わない。今の自分に、分不相応な権利がある事は否定しない。ただその権利を、そんな風に吐き違えて使ってしまっては、その先にあるのは『独裁者』への道程でしかない……とりたてて、史学への造詣が深い訳じゃないが、それくらいの事は分か
る」
「馬鹿にしないでもらいたい、とでも?」
「まいったな…俺は今、あなたと軍のありようを語り合いたい訳じゃないんだ。だからそう――」
銃を持っていない、空いた方の片手で軍の身分証を背後に掲げて、駆け付けてきた軍警察の動きをその場に留めた天樹は、改めて、アルシオーネの方へと視線を落とした。
「将来の話を、抽象的だと嫌うあなたのために、生殺与奪の権利を進呈する事で、この話はここまでにしたい」
「生殺与奪の権利?誰の?僕か、それとも姉さんの?くだらない、それで僕に何の利があると――」
「いや、俺のだ」
「⁉」
あまりにあっさりと天樹は言い、アルシオーネだけでなく、手塚もカテリーナも、目を瞠った。
「……何だって?」
淡々とした天樹の声に反し、アルシオーネの声色は、明らかに冷えたものに変わった。
おい、本多……と、思わず手塚も声をかける。
「おまえ、何を軽々と――」
半瞬の自失から立ち直るように、まったくだな、と乾いた声でアルシオーネも応じた。
「未来だの命だの、君の頭はよほどおめでたくできているようだな。参謀を奪われたばかりの君は、そこから何も学ばなかったのか」
「……申し訳ないが……」
前後で奇妙に一致した非難の言葉にも、天樹は動じなかった。
「俺という人間の命と価値を決めるのは、俺自身じゃない。……少なくとも俺はそう思っ てる。俺なりの『望み』を持ってこの地位まできた以上、引き返すには、俺はあまりに多くの血でこの手を染めすぎた。今更――いや、最初から俺は自分の命を惜しんだ事は一度もない」
「――――」
「俺は確かに、若宮さんから、彼女の『未来』を預かった。だから10年、いや5年でもいい。俺がそれにふさわしい事をしたのかどうか――その価値を、あなたが決めればいい。その後あなたに殺されたとしても、文句は言わない。彼女の母親にも伝えてあるよ。責任は負う、と」
綺麗事を通り越した、発想の凄まじさだ。
絶句する周囲を横目に、顔色も変えずに天樹は更に続けた。
それでは足りないのか――と。
「君の命の価値とやらを、この僕に決めろと……なるほど、それが『生殺与奪の権利』と言う訳か」
アルシオーネが、そう言って顔を上げるまでの沈黙を、その場の誰もが、長く感じていた。
「君は……何を言っても、その言葉は僕には届かないと言いながら、最初から僕に、君自身への『生殺与奪の権利』を委ねるつもりでいた、と」
天樹は直接、それには答えなかった。
「俺はそれほど詳しくあなたを知る訳じゃない。ただ、建前が通じる人間じゃないと言う事くらいは分かる。それと、これ以上は事態が膠着するだけだと、最初からあなたが理解していると言う事もだ。だから言ったんだ。
あなたには選択肢は残されていない――と」
「———―」
アルシオーネは一瞬だけ目を瞠り、そして「はは……」と乾いた笑い声をあげた。
「単なる僕の悪あがきだと、面と向かって、君は言ってのける訳か……なるほど。それほど、自分自身に対して執着のない君が、どうやって大勢の将兵の身を預かると言うのか、 そこまでは僕にも理解出来ないが――」
皮肉っぽく唇を歪めはしたものの、それ以上の手札を彼が持たない事は、言った側も言われた側も承知していた。
そして天樹の「命運」を握る事で、アルシオーネが退いたのだと言えば、少なくともアルシオーネ・ディシスの「建前」は、傷つかない。
軍と“使徒”が全面衝突をする事は、天樹もアルシオーネも望んではいない。
だからこそ、差し出したのは「納得」ではなく「落としどころ」。
その担保に自分自身を持ってくると、露ほども思わなかった時点で、この場はアルシオーネが負けたのだ。
「……いいだろう。お望み通り、君の命を預かろうか。君が望む、期限のままに」
是と頷く以外の選択肢がなくなっていた時点で――完膚なきまでの敗北。
ただし、と言葉を繋ぐアルシオーネに、安堵の色を見せた天樹の表情が僅かに揺らいだ。
「この地区はそう広くない。僕が彼女の居場所を答える道理はないだろう。それは君の怠慢だ。僕は彼女を傷つけたりは、絶対にしない。君が捜せ――捜すべきだ。本気だと言うのなら、尚更」
口もとに笑みを残し、立ち上がったアルシオーネは、何の躊躇いもなく天樹の銃口に手を伸ばし、その手を横へと押しやった。
「……っ」
そのまま、茫然とするカテリーナには目もくれず、天樹と手塚の横を通り過ぎ、軍警察の輪の中へと自ら向かったアルシオーネは、一度だけ、途中で足を止めた。
「僕は、願望と綺麗事で塗り固められた『未来』とやらは信じない。つまりは、今と同じ口上をこの先、二度も受け入れるつもりはないという事だ。その事はぜひ、肝に銘じておいて貰いたい」
アルシオーネが、最後まで言い終わるか終わらないかといったタイミングで、軍警察がカテリーナの方にもなだれ込んだため、天樹はそれ以上を、肝心の水杜の居場所を、アルシオーネから聞き出す事が出来なかったのだった。