手塚Side3:追跡2日目(12)
「この銃で、あなたを脅してどうにかなるとは、俺は思っていない。ただもう、あなたには他に採るべき道がない。それだけは、理解しておいてほしい」
「……思いもよらない形で、君と話をする機会が出来た訳か……」
いっそ不敵に微笑したアルシオーネは、天樹の問いかけに、すぐには答えなかった。
シオン!と声を荒げたのは、むしろカテリーナだったが、天樹がそれを、冷やかに制する。
「銃を下ろして、とお願いした筈だ」
静かな声が、怒号よりも威圧感を持つ事があると悟ったカテリーナは、気圧されたように、青ざめた顔を天樹へと向けた。
「……あなた……は……」
「俺が世間でどう思われているのかは知らない。ただ、俺にも譲れない事はある。そのために出来る事を、厭うつもりはない――特に、今は」
本多落ち着けー、と背後から、小声で囁いたのは、手塚だ。
天樹の口調が、しばしば本音から大きく乖離する事があると、分かっているのは同級生特権なのかも知れない。
しばしば、がいつなのか――間違いなく、今だ。
(だから俺と本多が揃ったら、ロクな事にはならないと言ったんだ……)
一時間ほど前に出て行ったきり、連絡を寄越さないキールとガヴィエラの顔を、手塚は交互に思い浮かべる。
学会が一段落し、ホテルのロビーへと下りた手塚は、そこで本多天樹を出迎えて、昨日からの話の成り行きを、説明していたところだったのだ。
ディシス姉弟が、いつからそこにいたのかは、分からない。
ただカフェテリアの中に悲鳴があがった瞬間に、条件反射のように立ち上がって、辺りを見渡した天樹は、その視線の先にはっきりと、二人の姿を捉えたのである。
「おい、本多……っ」
そして手塚が止める間もなく、席を離れた天樹は、懐から銃を取り出すと、姉弟の物騒なコミュニケーションの場へと、割って入った。
決して将官が気軽にとって良い行動ではないが、天樹にそれをさせているのは、背中で目まぐるしく「この場をどうすべきか」を考えている――手塚だ。
(何かやらかしても、俺が何とかするだろう
ってか……ったく)
手塚は、困ったように頭を振りながらも、それに従うしかなかったのだ。
「君と、君の上官にとって、相性の悪い将官を駆逐して、ついでに僕を追いつめる事も出来た訳だ。……満足かい?」
その間にも、間接的ながら、ハミルトン中将やガルシア大将との関係を認める形で、アルシオーネが静かに笑っていた。
姉と本多天樹、双方から銃口を向けられている人間の態度では、決してない。
「本当に、君には彼女が必要なのかな」
「――――」
天樹の表情に、じわりと驚愕の色が広がっていく。
アルシオーネは口もとから笑みを消して、そんな天樹を肩越しの視線で射抜いた。
「僕の納得のいく答えをくれないか。君がど
うしても、彼女の居場所を僕に答えさせたいのであれば」
「なっ……」
この冷ややかな言葉にいきり立ったのは、むしろカテリーナと手塚だ。
当事者二人は、むしろ静かすぎるほどに感情を見せない表情で、お互いを窺ってい
る。
「……俺が『若宮さんを諦める』と言う以外に、納得のいく答えがあるようには見えないが」
「君が、それだけは言わないだろう事は馬鹿でも分かる。ただ僕は、どうして彼女が、今になって軍に入っても良いと思うようになったのか、疑念を呈したいだけだ。幼なじみなら分かるだろう?彼女自身に聞いたところで、その答えは、絶対に自分の胸の内からは出さない――彼女は、そういう女性だ。だから君に、『君が彼女を必要とする理由』を聞いている。今の君には、彼女のように、自分の胸の中にそれを留めておくと言う選択肢だけは取れない筈だ」
「シオン!いい加減に――」
もはや、我慢出来ないと言った態でカテリーナが声を荒げるが、天樹の持つ銃の銃口が、それ以上を妨げている。
ジェンキンスや、ホテルの外に控える仲間にさえ、連絡の取れない睨み合いが続いていた。
「最初から、理解も共感も拒否した状態のところに、俺が何を言ったところで、あなたに言葉が届くとは微塵も思えないな……」
ごっそりと表情が抜け落ちた状態の天樹に、手塚が呆れたように片手で顔を覆う。
若宮水杜の居場所を聞き出さなくてはならない筈なのに、アルシオーネから売られた喧嘩を、正面から買い取ってどうすると言いたい。
それはもう、口を挟める雰囲気ではないのが、口惜しい程に。
手塚の立つ位置からは、アルシオーネの表情の全てを窺い知るは出来なかったが、椅子の肘掛に置かれた手が、切れそうな程強く握り締められている事から言っても、明らかに天樹には良い印象を持っていない。
「……僕には理解出来ないだろう、と?」
「例えば10年後なら、また違った答えを渡す事が出来るのかも知れない。ただ今は、あなたの耳には『綺麗事』としか聞こえない――そんな気がする。ただ、それでも俺は、この場を取り繕うためだけの『答え』は、渡したくない」
「言っている事の意味が分からないな。君は、僕を説き伏せる必要があると言っているのに」
「未来とは、ただやって来るものなのか、それとも、この手で道を開いていくものなのか。――くだらない議論だと、その表情に出る限りは、この話は一生相容れないし、話をする意味もない」
澱みのないその口調は、決してアルシオーネを説き伏せるためではなく、それが本多天樹の本心である事を窺わせており、両の拳を握りしめたまま、アルシオーネは唇を噛んだ。
「そうか、君か……!」
十年後の――未来を変えるための努力。
若宮水杜が、廃墟での別れ際に、最後に告げた言葉。
彼女にその発想を持たせたのは、間違いなく、この場に立つ彼であると、アルシオーネが確信するに充分な、それは言葉だった。
「あそこです……っ!」
その時、カフェテリアから逃げた、客の誰かが呼んだのだろう。こちらに近付いてくる足音が、大きく、複数になるのを、その場の誰もが耳に捉えた。
「……君が呼んだのか?」
顔色を変えて立ち尽くすカテリーナとは対照的に、アルシオーネは冷静だった。
視線を向けられた天樹は、静かに首を振る。
「俺は若宮さんの居所が知りたい。だからと 言って、俺自身に逮捕権もなければ、地方の軍警察を、居丈高に使役する権利もない。彼らが駆け付けたのは――単純に、公共の場で詳らかにされた、あなたの姉の手にある、その銃が原因だ」
「側近を奪われ、その足元も盤石でない上に、軍警察への伝手も持たない、と?徒手空拳で、君は十年後の未来とやらを、どうしてみせるつもりなんだ。……笑止な話だな」
ロバート・デュカキスの死を、外部組織である筈の“使徒”が把握している――同時にその事実も知らしめながら、皮肉っぽく、唇を歪めるアルシオーネに、天樹の視線が微妙に揺らいだのが見えた。




