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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第八章 果てなき道へ
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手塚Side3:追跡2日目(12)

「この銃で、あなたを脅してどうにかなるとは、俺は思っていない。ただもう、あなたには他に()るべき道がない。それだけは、理解しておいてほしい」


「……思いもよらない形で、君と話をする機会が出来た訳か……」


 いっそ不敵に微笑したアルシオーネは、天樹の問いかけに、すぐには答えなかった。


 シオン!と声を荒げたのは、むしろカテリーナだったが、天樹がそれを、冷やかに制する。


「銃を下ろして、と()()()した筈だ」


 静かな声が、怒号よりも威圧感を持つ事があると悟ったカテリーナは、気圧されたように、青ざめた顔を天樹へと向けた。


「……あなた……は……」


「俺が世間でどう思われているのかは知らない。ただ、俺にも譲れない事はある。そのために出来る事を、厭うつもりはない――特に、今は」


 本多落ち着けー、と背後から、小声で囁いたのは、手塚だ。


 天樹の口調が、()()()()本音から大きく乖離する事があると、分かっているのは同級生特権なのかも知れない。


 しばしば、がいつなのか――間違いなく、今だ。


(だから俺と本多が揃ったら、ロクな事にはならないと言ったんだ……)


 一時間ほど前に出て行ったきり、連絡を寄越さないキールとガヴィエラの顔を、手塚は交互に思い浮かべる。


 学会が一段落し、ホテルのロビーへと下りた手塚は、そこで本多天樹を出迎えて、昨日からの話の成り行きを、説明していたところだったのだ。


 ディシス姉弟が、いつからそこにいたのかは、分からない。

 

 ただカフェテリアの中に悲鳴があがった瞬間に、条件反射のように立ち上がって、辺りを見渡した天樹は、その視線の先にはっきりと、二人の姿を捉えたのである。


「おい、本多……っ」 


 そして手塚が止める間もなく、席を離れた天樹は、懐から銃を取り出すと、姉弟の物騒なコミュニケーションの場へと、割って入った。


 決して将官が気軽にとって良い行動ではないが、天樹にそれをさせているのは、背中(うしろ)で目まぐるしく「この場をどうすべきか」を考えている――手塚(じぶん)だ。


(何か()()()()()も、俺が何とかするだろう

ってか……ったく) 


 手塚は、困ったように(かぶり)を振りながらも、それに従うしかなかったのだ。




「君と、君の上官にとって、相性の悪い将官を駆逐して、ついでに僕を追いつめる事も出来た訳だ。……満足かい?」


 その間にも、間接的ながら、ハミルトン中将やガルシア大将との関係を認める形で、アルシオーネが静かに笑っていた。


 姉と本多天樹、双方から銃口を向けられている人間の態度では、決してない。


「本当に、君には彼女が必要なのかな」

「――――」 


 天樹の表情に、じわりと驚愕の色が広がっていく。


 アルシオーネは口もとから笑みを消して、そんな天樹を肩越しの視線で射抜いた。


「僕の()()()()()答えをくれないか。君がど

うしても、彼女の居場所を僕に答えさせたいのであれば」


「なっ……」


 この冷ややかな言葉にいきり立ったのは、むしろカテリーナと手塚だ。

 

 当事者二人は、むしろ静かすぎるほどに感情を見せない表情で、お互いを窺ってい

る。


「……俺が『若宮さんを諦める』と言う以外に、納得のいく答えがあるようには見えないが」


「君が、それだけは言わないだろう事は馬鹿でも分かる。ただ僕は、どうして彼女が、今になって軍に入っても良いと思うようになったのか、疑念を呈したいだけだ。()()()()なら分かるだろう?彼女自身に聞いたところで、その答えは、絶対に自分の胸の内からは出さない――彼女は、そういう女性だ。だから君に、『君が彼女を必要とする理由』を聞いている。今の君には、彼女のように、自分の胸の中に()()を留めておくと言う選択肢だけは取れない筈だ」


「シオン!いい加減に――」


 もはや、我慢出来ないと言った態でカテリーナが声を荒げるが、天樹の持つ銃の銃口が、それ以上を妨げている。


 ジェンキンスや、ホテルの外に控える仲間にさえ、連絡の取れない睨み合いが続いていた。


「最初から、理解も共感も拒否した状態のところに、俺が何を言ったところで、あなたに言葉が届くとは微塵も思えないな……」


 ごっそりと表情が抜け落ちた状態の天樹に、手塚が呆れたように片手で顔を覆う。


 若宮水杜の居場所を聞き出さなくてはならない筈なのに、アルシオーネから売られた喧嘩を、正面から買い取ってどうすると言いたい。


 それはもう、口を挟める雰囲気ではないのが、口惜しい程に。


 手塚の立つ位置からは、アルシオーネの表情の全てを窺い知るは出来なかったが、椅子の肘掛に置かれた手が、切れそうな程強く握り締められている事から言っても、明らかに天樹には良い印象を持っていない。


「……僕には理解出来ないだろう、と?」


「例えば10年後なら、また違った答えを渡す事が出来るのかも知れない。ただ今は、あなたの耳には『綺麗事』としか聞こえない――そんな気がする。ただ、それでも俺は、この場を取り繕うためだけの『答え』は、渡したくない」


「言っている事の意味が分からないな。君は、僕を説き伏せる必要があると言っているのに」


「未来とは、ただやって来るものなのか、それとも、この手で道を開いていくものなのか。――くだらない議論だと、その表情(かお)に出る限りは、この話は一生相容れないし、話をする意味もない」


 澱みのないその口調は、決してアルシオーネを説き伏せるためではなく、それが本多天樹の本心である事を窺わせており、両の拳を握りしめたまま、アルシオーネは唇を噛んだ。


「そうか、君か……!」


 十年後の――未来を変えるための努力。

 若宮水杜が、廃墟での別れ際に、最後に告げた言葉。


 彼女にその発想を持たせたのは、間違いなく、この場に立つ(タカキ)であると、アルシオーネが確信するに充分な、それは言葉だった。


「あそこです……っ!」


 その時、カフェテリアから逃げた、客の誰かが呼んだのだろう。こちらに近付いてくる足音が、大きく、複数になるのを、その場の誰もが耳に捉えた。


「……君が呼んだのか?」


 顔色を変えて立ち尽くすカテリーナとは対照的に、アルシオーネは冷静だった。

 視線を向けられた天樹は、静かに首を振る。


「俺は若宮さんの居所が知りたい。だからと 言って、俺自身に逮捕権もなければ、地方の軍警察を、居丈高に使役する権利もない。彼らが駆け付けたのは――単純に、公共の場で詳らかにされた、あなたの姉の手にある、その銃が原因だ」


「側近を奪われ、その足元も盤石でない上に、軍警察への伝手(つて)も持たない、と?徒手空拳で、君は十年後の未来とやらを、どうしてみせるつもりなんだ。……笑止な話だな」


 ロバート・デュカキスの死を、外部組織である筈の“使徒(ディシス)”が把握している――同時にその事実も知らしめながら、皮肉っぽく、唇を歪めるアルシオーネに、天樹の視線が微妙に揺らいだのが見えた。

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