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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第八章 果てなき道へ
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水杜Side3:追跡2日目(10)

「水杜さん、『ホテル・ヴィクトリア』の近くで、手塚さんと会いましたよね?本多先輩に連絡するよりも先に、私たちがそこでその人に会ったんです。それで少しでも、時間をを有効活用した方がいいと思って、本多先輩が来るよりも先に動いたんです。よかった、その通り水杜さんを見つけられて」


「そう……手塚君、気付いてくれたんだ……」


 ガヴィエラの言葉に、わずかに安堵したかのような微笑を、水杜が垣間見せた。


「ずっと何一つ私の言葉が届かない環境にいたから……正直、自信がなくなってた。ごめんなさい。聞きたい事は色々あると思うんだけど……今は少し、その事にホッとした、かな……」


「水杜さん……」


「本多君にも、会わせる顔がないんだけど……ね」


 腕輪(バングル)が付いていない方の手を、表情を隠すように額にあてて、水杜は目を閉じた。


 その時、上げられた手と逆の位置にいたガヴィエラは、水杜を落ち着かせようと、肩に手を置こうとして、驚いたようにその手を引っ込めた。


「ガヴィ、どうした?」


「あっ、やっ……なんでもない、キール。あのっ、水杜さん。私、本多先輩には、()()言ってません。もちろん、水杜さんがいなくなった事は、先輩も知ってますし、もうじきこっちに来る事にもなってるんですけど……それ以上の事は何となく言いそびれたって言うか……あ、いや、()()を知ったからって、絶対にどうこう言う人じゃないんですけど、先輩は。って言うか、私が言わなくても、水杜さんも良くご存じなんでしょうけど……あっ、私は貴子さんから()()は聞いてて……その……」


 しどろもどろになってしまったガヴィエラを、ゆっくりと水杜が見上げた。


「……母は、何て?」

「……っ」


 腕の合間から覗く、決してガヴィエラを責めている訳ではない、柔らか過ぎる視線が、かえってガヴィエラの口を重くしてしまっていたが、その空気を破ったのは、キールだった。


「ガヴィ、時間」


 わざと時計に視線を落とす仕種を見せながら、どちらにもその続きを言わせないタイミングで、話を中断させる。


「俺が聞いていなかった話を今ここで暴露しないでくれるか。信頼関係を壊したくないんだろう?」


「あっ、はい、ごめんなさいっ。この期に及んで一方的に聞かせるとか、ナシだよね?うん、とりあえず『ホテル・ヴィクトリア』に戻ろう!」


 首を大きく縦に振りながら、水杜から視線を逸らしたガヴィエラは、そこで思い出したように、地面で呻いたままのジェンキンスを見やった。


「あ、()()、どうしよう?」


 大の男が起き上がる事も出来ない、などと、いったいどれほどの力で拳を叩きつけたのか。


「……放っては行けないだろう、いくら何でも」


 敢えてそれまでの話題には触れない態度を貫いた、キールが淡々と答える。


「この廃墟に、何か縛る物くらいはあるだろう?俺が見張って……後部座席に乗せるしかないな。ホテルで警察に引渡そう」


「……それが一番かな」


 頷いたガヴィエラが、荒れ果てた家の中へ探しに走ったのを視界の端に捉えながら、キールが無言で水杜の乗る車椅子を、車の方へと押した。


「……ごめんなさい」


 まだ身体が痛むのだろう。目を閉じて、大きく息を吐きだした後、水杜が静かに呟いた。


「本多君に……お願いだから謝らないでと、伝えて貰えますか……?」

「え?」


 車の助手席のドアの横まで来たところで、水杜の言葉を聞き咎めるように、キールが車椅子を押す手を止めた。


「それは……どう言う……」


「初対面だからこそ、このお願いはあなたにすべきだと……思って……」


「俺?むしろそれは、ガヴィにすべきものでしょう。彼女なら、喜んで先輩を説得する」


「本当は、本多君には関係のない話だと……あなたは分かっているように見えたから」


「……っ」


 思いもかけない水杜の言葉に、キールが虚を突かれたように目を瞠った。


「若宮女史……」


「私はまだ、本多君の話を引き受けてもいいと言っただけだったし…(シオン)も、そんな私を止めたかっただけだと……そう思うなら、そこに軍人としての本多君が入る余地って本当はないでしょう?助けて貰っておいて言う事じゃないけど……本多君がここへ来る事を、快く思わなかった人はいたと思うから……例えば、貴方とか」


 痛みと自嘲、双方入り混じる笑みを見せる水杜に、キールはすぐに言葉を返せなかった。


「だから本多君の立場と、周りの士気の事を考えれば……むしろ私を責めるべきで、謝る必要はどこにもないんだけど……ただリーン少佐も言うように本多君は基本的に、他人を責めない人だし、ね……」


「――――」


 深夜の若宮邸で、本多天樹に「軍人としてどうあるべきかを説くのであれば、天樹自身も関わってはいけない」と、ガヴィエラが力説していたのを思い出す。


 招かれる側の、若宮水杜自身がそれを自覚している事は、キールにとって、悪印象を与えるものではない。


 彼女は自分の立場を十二分に理解していて、かつ、本多天樹の知己である事を、殊更に誇ってもいないのだ。


 なのでキールも、なるべく飾らない言葉で、彼自身の本音を水杜に告げた。


「なら、俺にそれを言っても無駄だとも思いませんか。先輩には、意味がないと」


 ただ、若宮水杜の性格を掴みかねているキールにとって、多少のやりにくさがあった事は否めなかったのだが。


 少し冷やかな言い方になっていたかも知れないが、水杜はほのかな笑みを崩さずに、答えた。


「ええ……それに本多君も、私が()()言い出すだろうとは、予測しているのかも知れないけど……でも言葉にしておく事が、どうしても必要な時もあるから」


「キールーっ!」


 廃墟の洋館から出て、手を振るガヴィエラ の声に、二人の会話はそこで中断された。


「こんなのしかなかったけど、大丈夫かな――?」


「後ろ手に手首が縛れる程度で十分だ。後は俺が押さえておくから!」


そうガヴィエラに答えて、水杜に背を向けたキールだったが、ふと思いついたように、首だけを起用に水杜の方へと傾けた。


「一つ聞かせて貰えませんか――どうして、本多先輩の“アステル法”を、受けてもいいと思ったのか」


「――――」


 水杜の視線が、そこで初めて揺らいだ。

 キールを見ているようで見ていない、そんな儚い雰囲気が感じ取れるほどに。


「……十年後の、未来を変えるための努力って……貴方は認めない?」 

「え?」

「……何でもない。気にしないで……」


 それだけを呟いて、水杜は疲れたように目を閉じた。


 キールは一瞬、表情の選択に困ったように、水杜を見下ろしたが、口をついて出たのは、自分でも思いもしない言葉だった。


「俺は……」

「え……?」


「俺は十年後も、変わらずに失いたくないものがある。だから、それが十年後、失われるかも知れない可能性があるなら、それを全力で叩き潰す。女史が言う『努力』と、同じ方向は向いていないのかも知れない。けれど、()()()()のための努力と言うなら、俺は多分、誰よりも惜しんでいない――気がしますね」


 ()()はおろか、カーウィンにさえ告げた事のない想いを口にしたのは、水杜の質問が、思いがけなかったからだろうか。


「分かった、キール!そっち持って行くから!」


 離れたところから、声をあげてブンブンと手を振るガヴィエラを見るキールの眼差しに気付いた水杜は、その意味がすぐに分かったのか、それ以上を尋ねる事はしなかった。


(――どうして)


 二人がかりでジェンキンスを起こし、手首を縛る様を見つめながら、水杜の耳には、アルシオーネの声がこだましている。


 本当に、あの頃と変わってしまったのは、彼だけなのか――それとも。


(ちょっと、辛いかなぁ……お母さん)


 自分の決断に責任を持って、迷いも愚痴も口にしないと言った、かつての自分が――今は少し辛い。


 しばらくして、車が走り出した後も、水杜はずっと目を閉じたまま、無言で車に揺られていた。


「水杜さん……」


 不安げに自分を覗き込むガヴィエラに――申し訳ないとは思いつつも。

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