水杜Side2:追跡2日目(9)
廃墟の裏手にカートが止めていた車に乗り込んだ、アルシオーネの姿がやがて視界から消える。
車が去った方角に視線を向けたまま、どこか抑揚に欠けた声で、水杜が静かに呟いた。
「彼はああ言っていたけど……殺されても仕方がない立場にいるわよね、私」
内心はどうであれ、怯えた素振りを表に出さないのは大したものである。
ジェンキンスは、興味深げな視線を水杜へ と投げた。
「……だとしたら?」
「事態があなたの言う通りのところまで進ん でいるのなら、もはや私を殺したところで意味はないと思うわ。でも、個人的欲望の範疇にまで、口は挟めないから」
「確かに……私は一言だって、あなたを殺さないとは、シオン様には言わなかった」
平然とジェンキンスも言葉を返したが、顔色の変わらない水杜に、ただ…と付け加える。
「ただ、今あなたを殺しても、確かに組織には何の益にもならない。あなたには、あくまで一時的に永らえている命だと、ご理解いただければ結構」
「……でしょうね」
それは今の水杜にとって、アルシオーネとの会話よりも、遥かに首肯しやすい考えであり、少なくとも今の時点では、命の危険がほぼない事はハッキリしていた。
(一斉検挙……)
水杜の中では、それによって目論まれた事は、分かりすぎるくらいに明らかだった。
誰かが諮問会の延期を狙って、軍とその周辺を動かしたのだ。
誰か—―この状況下で考えられるのは、たった一人。
“トリックスター事件”を、真に主導した、異端の同級生。
「……さすがにもうダメ、かな……」
軍属ではない自分のために、彼をここまで動かしてしまった時点で、既に問題は山積みの筈だ。
まして、今の自分の状態を思えば――。
表情をを消すように目を閉じて、水杜はゆっくりと、車椅子の手すりに手を伸ばした。
深く息を一つ吸って、伸ばした両腕に思いきり力をこめると、水杜はおもむろに立ち上がり、間髪入れずに、隣に立っていたジェンキンスの上着を掴むと、そのポケットから見えていた「黒い物体」を奪い取ると、彼を勢いよく突き飛ばしたのである。
「な……っ」
一瞬の出来事であり、さすがのジェンキンスも瞠目して反応が遅れたのだが、その先は、ジェンキンス、水杜の双方が分かっていた通りに、“束縛の手枷”の反動が水杜の身体をかけ巡り、苦痛に顔を歪めた水杜は、そのまま地面へと倒れ込んでしまった。
乱れた上着を調え直しながら、呆れた面持ちで、ジェンキンスが水杜を見下ろしている。
「……私の携帯電話で、助けを呼ぼうとでも?」
「銃でも入れていてくれれば……何とかなるかもって……思ったのよ。ただずっと、囚われていただけだったなんて……少し、自分のプライドにさわるじゃない……」
全身を、火傷にも似た痛みが包んでいるようで、両手の爪を地面に立てるように俯きながら、水杜は呻いた。
ああ……と、むしろ哀れむような微笑を浮かべたジェンキンスは、ゆっくりとポケットから銃を出してみせた。
——水杜が奪い取った携帯電話とは、逆のポケットから。
「私が右利きであれば、良いアイデアだった」
取り出した銃に一瞬だけ視線を投げて、その銃口を、微笑と共に水杜の方へと向ける。
「シオン様が“束縛の手枷”を持ち出した事は、早くから分かっていた。だから、あなたがそう、予想外の事をするとは思ってはいない。ただ、今みたいに、中途半端に何かをされるのも困る。おとなしくしていて貰いましょうか――死なない程度で」
「……ご勝手に……っ」
馬鹿にされた事が十分に理解出来るので、水杜は心底、勝手にすればいいと言う思いで、そう吐き捨てた。
愉快そうな笑みを口もとに乗せたまま、ジェンキンスが躊躇なく、引き金に指をかける。
「!」
静かな廃墟に銃声が響き渡り、水杜は思わず覚悟して目を閉じたのだが――何故かその後、痛みも血飛沫が広がる事もなかった。
「水杜さんっ、いたぁっ!」
「⁉」
新たな声と人影が、そこに割り込んできたのだ。
「つっ……!」
銃を弾かれ、その反動に顔をしかめたジェンキンスが、反射的に身を仰け反らせたそこへ、何者かの拳が空を切った。
金髪のポニーテールを揺らす少女が短く舌打ちをしたが、すぐさま踏み出していた右足を軸に、今度は左足を素早く蹴り上げた。
「!」
しかしその足は、己を庇うべく持ち上げたジェンキンスの両腕によって、再び阻まれる。
「なに、こいつ!かわいくない……っ!!」
そんな声が水杜の耳には届いたが、その瞬間、再度繰り出された彼女の拳が、体制を立て直そうと後ずさったジェンキンスの鳩尾に、見事に命中していた。
「――――」
地面に倒れたままの水杜と同じ高さに、ジェンキンスの身体が沈む。
「大丈夫ですか⁉もしかして、私、間に合わなかった?どこか撃たれました⁉」
「リーン……少佐……?」
ごく最近、記憶に定着した少女の名を、かすれがちな声で呟いた水杜だったが、駆け寄って来た当のガヴィエラには、一喝されてしまった。
「リーン少佐、じゃないでしょう水杜さん!ガヴィでいいってあれほど……って、そんな場合じゃなかった。血は……出てないけど、あと、骨とか――」
水杜はガヴィエラを安心させるため、微笑を浮かべようとはしたものの、上手くいかなかったらしい。
「……何て言ってたかな、これ……タクイート……?」
慌てたように、水杜の身体を服の上から確認しようとするガヴィエラに、激痛が走ったままの腕を、わずかに持ち上げて見せる。
「ごめんなさい……動けないのよ……」
「……え」
差し出された腕を手にとったガヴィエラは、わずかに考える仕草をみせたものの、さすが現役の軍人で、それが何かはすぐに思い出したようである。
「キール!」
車を下り、ジェンキンスを撃った銃を下ろしながら近付いてくる相棒に、鋭い声を投げる。
「情報どころか、こんなモノまで横流しされちゃ、たまったものじゃないんだけど⁉これって、専門医に診て貰わないと解除出来ないんじゃなかったっけ?」
呻き声をあげたまま、起き上がれないジェンキンスを一瞥しながら、キールがガヴィエラの隣りにかがみこんだ。
「“束縛の手枷”か……確か、常用しているのは特務隊だったな。あまり素直に専門医を寄越してくれそうな部署じゃないな」
「だからって、首都に帰るまでこのままにしておくの?そう言う訳にはいかないでしょ」
「……確かに」
「あっ!水杜さん、紹介が遅れてごめんなさい。これ、私の空戦隊の相棒ですから御心配 なく。キール・ドワイト・レインバーグ。貴 子さんには紹介済みです」
「これとはなんだ、ガヴィ」
「細かい事は気にしない。水杜さんをホテル へ運ぶほうが先」
「まったく、おまえは……失礼、若宮女史。状況が状況なんで、詳しい自己紹介はまた後 日に。今は、このガヴィの連れとでも思っておいて貰えれば」
「……そっちこそ連れとは何、キール」
そんな場合ではないのだが、二人の軽口に、水杜の表情がかすかに緩む。
はた、と我に返ったキールが、軽く咳払いをして、ガヴィエラの肘を小突いた。
ガヴィエラもハッとなり、キールと二人で左右から、水杜の身体を持ち上げて、車椅子に再度もたせ掛ける。
「ガヴィ、とりあえず手塚さんに連絡しよう。医学学会をちょうどやっているなら、解除の方法を知る人間が、一人や二人はいるかも知れない」
「あ、そうか!」
「……手塚君?」
ふと顔をあげた水杜に、そうですよ?と答えたのはガヴィエラだった。