表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第八章 果てなき道へ
73/108

水杜Side1:追跡2日目(8)

「一面の葡萄畑が広がって、美味しい料理を出してくれる所だったのに……残念だな」


 その頃、アルシオーネ・ディシスと若宮水杜は、町のはずれにある、廃業したワイナリーの跡地へと来ていた。


 併設されていたオーベルジュは、かつてはシビラ大の陸上部の常宿として、二人も幾度か訪れた所である。


 今はただ、廃墟の洋館と、枯れた葡萄の木々が周りに広がるばかりだ。


 広がる景色に目をやるアルシオーネの言葉は、どちらかと言えば独白に近いものだった。


 “束縛の手枷(タクイート)”の影響なのか、水杜は時折、辛そうに顔をしかめる事があり、恐らく、眼前の景色は目に入っていない。


「………ごめん」


 そんな水杜の右手を、静かに持ち上げたアルシオーネは、“腕輪(バングル)”から手のひらにかけて、静かに口づける。


 ビクリ、と水杜の身体がこわばった。


「ここには、前の持ち主が収集していた、作家ヘレネ・フレッサのコレクションが、まだそのまま、本棚に残っていると聞いたんだ。来月取り壊すまで、置いておけるところが他になかったと言ってね。だから、何冊か拝借して、ホテルで読もうと思って、君を連れて来た。昼間から、何度も君を抱くような事はしないよ……あと少し、あと少しで良い。僕は以前(まえ)のように、君と過ごしたい――」


 ここに来る前に、周囲は十分に確認した筈だった。


 だがわずかに、洋館の前の砂利道を踏みしめた足音が聞こえ、アルシオーネはそこで、弾かれたように後ろを振り返った。


「シオン様」


 ネクタイもなく、くだけた紺色のスーツ姿でそこに立つ、一人の男。


「カート……っ」


 カテリーナ・ディシスが、アルシオーネの側近にと付けた、カート・ジェンキンスが、たった一人で、そこに佇んでいた。


 スーツと同系色の髪と瞳が、全体的に冷やかな印象を強く与えている。


「私にもご相談いただけなかったとは……残念 に思いますよ、シオン様」


 男は水杜を一瞥し、臆す事なくアルシオーネの厳しい視線を受け止めていた。


「君は姉さんに命じられた、僕の事実上の監視役だ。彼女を殺してしまえと、そんな回答の分かりきった相談を、誰が持ちかける?」


「事と次第にはよりますよ。私は組織に忠誠を誓う者であって、あなた様にも、カテリーナ様個人にも、無条件に従うものではありません。だからこその『監視役』なのですよ。そこのところを、あなた様はまだお分かりではない」


「だが君は、手分けをしているんだろうが、姉さんと共にここへ来た筈だ。違うか?」


「否定はしません。ですがあなた様を追う過程で、軍の人間には阻まれ、軍警察には拠点を幾つか潰されてしまいました。カテリーナ様も、今は組織の存続を優先させなくてはと、個人的感情をねじ伏せておいでですよ」


「⁉」


 何気に告げられたジェンキンスの言葉に、アルシオーネが目を瞠った。


「軍が……動いたと言うのか?彼女(みと)はまだ、軍属の身分ですらないと言うのに」


「私はあなた様ほど機器に詳しくはありませんが、()()が、どこからか情報を得て、我々を追い詰めようと画策している事は確かです。我々はもとより、軍警察や保安情報部の一斉検挙で今、軍内部も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていますよ。ただ同時に、あなた様の動きも掴む事が出来たのは、思わぬ副産物ではありましたが」


「……っ!それでは意味がない!それでは“アステル法”諮問会の本筋は、外れたも同じだ……っ」


 それどころか下手をすれば、諮問会そのものものが延期となり、若宮水杜を捜すだけの時間をまた、軍側に与えてしまう――。


 アルシオーネは唇を噛みしめて天を仰いだ。


「優位だったリバーシの駒を、いきなり引っくり返された気分だよ、カート……!」


 怒りよりも、自嘲をこめて呟くアルシオーネに、ジェンキンスは敢えて感想を差し挟む事はしなかった。


「『ホテル・ヴィクトリア』にて、カテリーナ様がお待ちです。ご同行願えますか」


「……分かった」


 一瞬の瞑目のあと、アルシオーネが諦めたように(かぶり)を振った。


「ただし僕だけだ。彼女を、姉さんの前には連れていかない。それから君もだ、カート。彼女の護衛として、ここにいてくれ。僕は……いや、姉さんと僕は、少し二人だけで、話をしなくてはならないようだ」

    

「護衛、ですか」


「君が僕にも姉さんにも無条件では従わないと言うなら、今はまだ、彼女を誰にも引き渡さないと言う選択肢は取れる筈だ。違うか?」


「……承知いたしました」


 アルシオーネの論法に、どこまで納得したのかは定かではないが、ジェンキンスは恭しく頭を下げて、アルシオーネに恭順の意を示した。


「……シオン……」


 引きとめようと思った訳でも、何かを伝えたかった訳でもなかったが、それでも水杜は、立ち去りかけたアルシオーネに、声をかけずにはいられなかった。 


 一瞬、アルシオーネの足が止まる。


「君には謝らないよ、水杜」


 ――その口元に、哀しげな笑みを浮かべて。 


「誰の為でもない。僕が、君を留めておきたかったんだ。……もっと早く、強引に、君を連れ去っておけばよかったよ」


「それだと、私たちが死ぬまで、時代は何も変わらない。シオン、少なくとも10年後、未来が変わるための努力を、あなたは認めないの……?」


「時代、か……僕は何度もそれに裏切られてきたよ。少なくとも今、僕はその言葉を信じようとは思わない」 


「――――」


 もはや埋めようのない、深い溝がある事を、二人ともが自覚した瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ