第一艦隊司令部Side5:追跡2日目(5)
「いつか御自身が不利な目に遭いそうになられた際にでも、その『貸し』は、最も効果的にと思われる方法で、返して貰えば宜しいのではないですか?所詮、この世界の権謀術数とは、その程度のものだ」
「……そうだな。自分が陥れられるかも知れないという事は、常に意識しておかなくてはならない世界ではあるな。ふむ、そのための『貸し』とするならば、悪くはないか」
いいだろう任せよう、と、さほどの間を置かずにバリオーニは言った。
「突拍子もない行動に出られる前に、御老人にもそれとなく、話をしておこう」
「恐れ入ります。では私はこれで」
「クレイトン」
今はまだ、証拠固めの必要があるため、書類をいったんはバリオーニの手から受け取って、クレイトンは立ち去りかけたのだが、それを再び、バリオーニが呼び止めた。
「……何か」
「確か、明後日は“アステル法”関連の諮問会の筈だが、動いてしまって構わんのか?下手をすると、担当者が糾弾される側の立場に回って、会が成り立たない――などと言う事にもなりかねないと思うんだが」
「――っ」
意外にも、その事に今始めて気が付いたかのような表情をクレイトンは見せたのだが、敢えてそれを口に出す事はしなかった。
「それも一興でしょう、副本部長」
そうして再び、廊下を自分のオフィスへと向かって歩きながら、クレイトンは厳しい表で、バリオーニの言葉を思い返していた。
(本多の真の狙いは、諮問会だったのか!)
バリオーニが話題に持ち出すまで、考えも及ばなかった自分が迂闊だった。
諮問会が成り立たなくなる理由なら、実はいくらでもあった事に気付いて、クレイトンは廊下で大きく舌打ちをした。
例えばもし、土壇場で若宮水杜がその意志を翻すような事にでもなれば、それは本多天樹が、あるいはその上に立つクレイトンが、同時に醜態をさらした事となり、対立する勢力にとっては、自分たちの手を汚す事なくニ人の立場を追い込める、絶好の機会となっていた筈なのだ。
実際にそれを目論む動きがあり、本多天樹は自衛のため、諮問会の意義を低くする手段に打って出たのではないか。
クレイトンは、そう思わざるを得なかった。
「シンクレア、本多と連絡はとれたか?」
オフィスに戻るなりの、不機嫌な第一声に、部下のシンクレアは、やや目を瞠って、上官を見上げた。
「いえ、それが……」
ジュリー・ヘレンズから受け取ったファイルの整理をする傍ら、テオドール青年に本多天樹と連絡を取るよう、指示はしていたのだが、彼の体調不良を理由に取次ぎをはねつけられていて、対応に苦慮していたのである。
クレイトンの名前を持ち出しても、怯みこそすれ、従卒の少年は、首を縦に振らなかったと言うのだから、事態は深刻だ。
そう、困惑して報告するシンクレアに、クレイトンは辟易したように、片手を振った。
「試しに、若宮水杜と連絡がつくかどうか、やってみてくれ。ああ……いや、電話口に呼び出す必要はない。今、居場所がハッキリしているのかどうかさえ、分かればいい」
釈然としないながらも、その指示に従ったシンクレアではあったが、その回答が、本多天樹と同じ「体調不良」による「療養中」だと聞かされた時点で、さすがに眉をひそめて、上官の研ぎ澄まされた横顔を見返した。
「閣下……」
「深刻なのは、本多の体調ではなく、現在の事態の方、というべきだろうな」
それ以上の説明はせずに、シンクレアの手元の資料を要求したクレイトンは、しばらく無言で、それに目を通した。
「……シンクレア」
「はっ」
「ヘレンズの話をまとめれば、組織としての“使徒”の機能は、大幅に低下したが、完全にではない。そういう事なんだな?」
「幹部クラスの人間のうち、何人かが既に潜伏してしまっていた、と。どうも誰かを探していたのが、その手がかりを得て、急遽発って行ったらしいとだけ……」
「らしい、か」
「お望みなら、同期の誼で、割引価格で詳細な調査をする、とはおっしゃっておいででした」
ヘレンズめ、とクレイトンの口もとに苦い笑みが浮かんだ。
「今回の件で、本体復帰は確実にしているくせに、まだ物足りないのか。急激な出世が身の為にならない事くらい、私と本多を見れば良く分かるだろうに」
今は亡き司狼・ファイザードが、本多天樹を“アステル法”にて招聘してよりこちら、天樹は複数の戦乱を、結果として生き延びて、クレイトンを上回るスピードで、その地位を加速度的に上昇させてきた。
本多天樹は、シンクレアらと違って、必ずしもクレイトンに忠実という訳ではない。またクレイトンの接し方にも、確実に一線を画したものがある。
それでもクレイトンは、常に本多天樹の動向を意識している。もしも自分が反旗を翻したとして、それを阻む事が出来るのは彼だけだと、物騒な明言をした事もある程だ。
この時も、何度も本多天樹の名を口にする上官に、むしろシンクレアは、釈然としないものを感じていた程である。
「潜伏した人間を追うのは、容易ではない。肝心の諮問会まで時間がない以上、そこは本多の才覚の領分だと、ヘレンズにも伝えておけ――いや、ヘレンズは、もともとそのつもりで電話をかけてきたのか、シンクレア?私自身が、ヘレンズを首都に呼んで、直にそれを伝えろと言うつもりだな。そうすれば、ヘレンズには、私という後ろ盾がついた事が一目瞭然になる」
シンクレアは、沈黙を含んだ微笑でそれに答え、クレイトンを呆れさせた。
「まったく、私の名で、あちらこちらの騒ぎを全て押さえこもうとは、大博打もいいところだな、あいつも」
「……ですが、あまり不愉快そうにはお見受けしませんが」
「まあな……私が、バリオーニ大将を立てて、これまでやってきた事をなぞられたようなものだ。むしろ少し、彼の気持ちが理解できた気がするほどだ」
そう言って、書類を机に置いた後、クレイトンはさて……と、声と表情を改めた。
「シンクレア、情報局に連絡だ。将官の逮捕権限を持ち、なおかつガルシア大将との繋がりがない士官は誰だ?……今日、明日と、忙しくなるぞ、覚悟しておけ」
常人なら圧倒されかねない口調と表情のクレイトンだったが、シンクレアは黙って一礼しただけである。
――嵐の前触れであった。




