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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第七章 最も危険な賭け
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手塚Side2:追跡2日目(2)

「⁉」


 手塚が電話をかけた相手先が、本多天樹だと知ったキールとガヴィエラは、思わず椅子から腰を浮かせていた。


「……そうだな。お互いもう少し、時候の挨拶というモノは学ぶべきなのかも知れないが、今の俺たちに、これ以上実情に則した挨拶もないだろう。ま、そんな事は今はどうでもいい。俺とした事が、迂闊にもおまえへの伝言を半日以上伝えそびれていたんだ。殴り飛ばされても仕方が無い事をした。……(わり)ぃ」


「伝言って……」


 手塚の方へと、身を乗り出すガヴィエラの服の袖を、落ち着けとばかりにキールが引っ張った。


 今はただ、黙って電話のやりとりを見守るより仕方がない。


「俺は今、上司の医学学会の助手でカルヴァンに来てるんだが、昨日ここで、5年ぶりに若宮さんに会った。覚えてるだろう?彼女」


 キールの問いかけに、間接的に答える形で、手塚は話を続けた。


「少し年上の、落ち着いた雰囲気の男と一緒にいて、しかも車椅子だったから、長々と話は出来なかった。ただ、首都(アルファード)でぜひ同期会をしよう。他にも自分の知っている人がいたら、ぜひ誘ってくれ、とだけ言われて別れた」


アルシオーネ・ディシスだ、と手塚以外の誰もが思った。


「よく考えたら、そんな人間はおまえくらいしかいない筈だよな。何があったのかはともかくとしても、俺はすぐさま、おまえに電話をかけるべきだったんだ。悪い、俺は彼女の配慮を空転させてしまった」


 充分だろう、と小声でキールが呟いた。


 少なくとも、これで自分たちが、ホテルの警備システムに侵入して、若宮水杜の姿を捜し回る必要はなくなったのだ。


「まだ遅くはない…か。相変わらずだな、おまえも。そう言われる方が俺はいたたまれないよ、実際。…ああそれと、今ここに、おまえの部下だっていう二人組がいる。俺なりのけじめとして、おまえが着くまでは手を貸す事にする。俺の自己満足でやる事だから、おまえが気にする必要はない。いいな?」


 そう言うや否や、手塚は天樹の返事を待たずに、電話を切ってしまった。


「と、いう事だ。お二人さん。これで、俺の素性も、尚更ハッキリしただろう?」


「…って、言われても……」


 ガヴィエラが、困惑した表情を垣間見せた。


 軍人なら、多少の危険は自らかわせる技量もあるだろうが、医学生はそうはいかない。


 迂闊に首を突っ込まれては、話がややこしくなると彼女は思ったのだ。

 無言のまま、視線でキールにもそう、訴えかける。


「……医学学会とやらは、いいんですか」


 視線を受け、試しに問いかけてみたキールに、手塚はふん…と、口もとを歪めた。


「顔にはっきり『足手まといだ』って書いてあるな。不必要なほど遠慮してみせる本多とは、別の意味で失礼な奴らだ」


「………すみません」

「ちょっと、キール……」


()()の方が素直だな、お嬢さん?ちなみに俺は、お二人さんと、同じ系列に属する病院で研修中の、医大生だ。非常時においては、医者としての限りではないと、入学当初に大声で聞かされている。ましてや、今の本多の地位を思えば、俺の上司にだって、拒否権はない筈だ」


 軍病院、と喉元まで出かかった声を、慌ててキールは飲みこむ。


 どこで誰が聞いているか分からないと言う事を、身をもって知ったばかりである。軍の二文字は会話から外しておくべきであった。


 むしろ手塚の方が、それをよく承知した話し方を心がけているといっても良い。


「まあそれは建前の話で、俺が本多の名前を振りかざして困る話だったら、いくらでも他の方法は考える。それで最初の話に戻るが、いったい何があったのか、説明して貰おうか」


「………」


「ちなみに学会は10時。俺の部屋は、シングル部屋。端末(パソコン)完備」


 話を聞きたいと言うよりは、目星はついていて、確認したいと言うような口調だ。


 効果的な反論を見出せず、口をつぐむガヴィエラに、キールも苦笑した。


 さすが本多天樹の親しい知人—―と言って良いだろう。この青年、医者を目指しているのが勿体ないと思えるほど頭が切れるし、本人にも、ある程度の自覚がある。


「…手塚さん、専門は?」

「今は外科。将来は分からないな。それが?」


「いや、意外と精神科医(カウンセラー)とか向いてるんじゃないかと思って。俺たちや本多先輩に反論の余地を与えない人って、結構珍しいんで」


「それは褒めてるのか?そんな所で毎日、本多たいな奴ばかりカウンセリングするハメになって、俺が楽しいと思うか?」


「……友達なのに?」


「耳に心地いい事を言う人間だけが友人じゃないだろう。特に本多は、周りにぶつけても良い事まで、独りで抱え込む奴だ。遠慮なくモノの言い合える人間が、一人は必要なのさ。まあそんな哲学じみた話は、今は置いといて――だ」


「ああ、そうですね。手塚さんの部屋にお邪魔させていただきますよ、()()()()


 最後の部分を強調したのは、キールの稚気かも知れない。珍しく苦笑を見せながら、手塚は話を切り上げるように、立ち上がった。


「ご不満そうなそこのお嬢さんは、本多を待つ傍ら、ロビーで張り込みでもするか?それもあながち、無駄な事じゃないしな」


「…私達、ただ本多先輩を待ってる訳じゃない」


 きっぱりと言い切って、キールと共に立ち上がるガヴィエラを、手塚が、興味深げに見やった。


「ほう?」


「もちろん出迎えはしなきゃいけないけど、手ぶらで会う訳にはいかないもの。元から先輩には、そんなに時間はないんだし」


「と、言うより…どうせなら、本多の手は借りずに片付けてみたい、と顔に書いてあるが」


「……っ」


 図星とばかりに怯む二人に、手塚が笑う。


「確かに、俺も本多とは長い付き合いだが、あいつの「本気」なんて、実は一度も見た事がない。どうにかしてあいつを本気にさせてみたいと思う気持ちは、分からなくもないさ。まあ、俺の持ってる情報は遠慮なく譲ってやるから、せいぜい有効活用するといい」


「手塚さん……」

「いいオトモダチだろう?」


 悪戯っぽいウィンクを残した手塚は、部屋番号をキールに耳打ちすると、エレベータの方へと足を向けた。


 その背中を見ながら「さてどうする、ガヴィ?」とキールが問いかけた。


「時間も、手持ちの(カード)も底を尽きかけている以上、乗りかかった船と思うより仕方なさそうだな。腕っぷしはともかくとしても、頭はかなり切れるぞ、あの人」


「うーん……」


 リカルド・カーウィンの指摘があったことなど手塚は知る由もないが、片方が信頼感を示したならば、片方が疑ってかかるのは結構なことだと、同じ様なことを歩きながら思っていた。


「仕方ないなぁ……」


 そしてこの時は、ガヴィエラが折れるように、キールの後に従ったのである。 


 

 ――有事の際には、いつでも行動に移れる準備を、心の中で整えながら。

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