ガヴィSide:追跡1日目(23)
「疲れた。夜景の綺麗な所で、何か美味しいモノが食べたい」
その日の、夜も更けた頃。とうとう根をあげたように唸り声を発したガヴィエラに、苦笑しつつ、キールも同意した。
「まあ……この観光都市にきて、ビールとおつまみだけじゃな」
夜景が綺麗で、料理の味も良く、二人での話がしやすいところ、との随分といい加減な注文にも、ホテルのコンシェルジュは快く応じてくれた。
勧められたのは、この街の観光名所の一つである、スカイタワービルの上層階にある、多国籍料理のレストランで、特にガラス張りの窓に面したカウンターテーブルからは、街の夜景が一望出来るという、特にカップルに人気のレストランだ。
コンシェルジュが、二人をどう捉えていたのかは別としても、窓際のカウンターテーブルで、話を他人に聞かれにくいという点は、確かに有難い。
「本多先輩に電話しておかないとかなぁ、そろそろ」
売り物である夜景を損なわないために、店内の照明は、可能な限り落とされている。
だがガヴィエラの言葉は、そんな雰囲気とは無縁の、散文的なものであった。
そうだな、とワイングラスを傾けながら、キールも淡々と相槌をうつ。
「だが、カルヴァンのどこか、としか特定出来ていない以上、むやみに呼びつける訳にもな……どう考えても、先輩につけられている手枷足枷は、多すぎるからな」
「枷?」
「将官の不在を取り繕えるほど、軍も暇じゃない。先輩自身には、上層部に無断で捜索に携れる時間なんて、本来、ただの一秒もない筈なんだ。今ごろ、不審に思い始めているヤツだっているだろう。先輩が、若宮女史を助けるためのカルヴァン滞在時間は、出来る限り短くしないと、多分カーウィン独りでは、フォローしきれなくなる」
「それって、ハミルトン中将以外にも“使徒”と繋がっている人間がいるって事?水杜さんがいなくなってから以降、少なくとも、中将のアクセス権が使用された形跡はなかったでしょう?先輩の不在に、疑心暗鬼にかられる人間は、表面上、いるようには見えないけど」
そこまで言って、ガヴィエラが一気にグラスの中身を飲み干す。まったく、夕方以降は、その形跡を確かめるために、時間を費やされていたのである。
「まあな。俺もこれが、例えばクレイトン大将とかの話だったら、そこで納得するとこなんだけどな。あの大将閣下は、自分の道は自分で切り開くタイプに見えるし、誰かの派閥に入って、どうこうするようにも見えない」
「それ以前に、間違っても“使徒”の手なんて借りないよね」
「だから例えばの話だ」
「あ、そっか。つまりハミルトン中将は、違うって話ね。すっかりどこかの派閥に入ってるって事?」
「――我が宇宙局の、ガルシア副局長」
「……うっそ」
「よくよく考えてみろよ、デュカキス大佐を第四艦隊に放り込んだ張本人じゃないか。公平な裁定がどうのこうのと、理屈をこねて。それを考えたら、尚更迂闊に先輩を動かす訳にはいかない。理由はともかく、どうあっても、先輩を失脚させようとしてるって話になるしな」
キールの言葉が途切れるのを見計らって、追加の飲み物を注文したガヴィエラが、自分自身の中で話を整理するために、息をひとつついて、外の夜景に視線を投げた。
「うーん……私、そういう政治的な話は苦手……何でキール、そういうのすぐ分かるの?」
「何だよ、急に。もう酔っ払ってんのか?」
「ううん。私も結構、頭は悪くない方だと思うんだけど……同じような事が思い浮かばないのが、ちょっと不思議に思えて」
「おまえ、それ外で言ったら刺されるぞ。士官学校、首席で出たくせに」
「いや、そういう事じゃなくって……」
「安心しろ、それは単に、俺がおまえより、人が悪いだけの話だ。次席の俺の能力の話じゃない」
本心なのか、気を遣っているのか、次席を強調しながら答えたキールも、ガヴィエラに合わせるように、グラスの中身を空にして、その場で追加を注文した。
「今はそれよりも先輩だろ、ガヴィ」
「あ、うん、そうだね」
「連絡は、ホテル『ヴィクトリア』に着いてからすべきだと、俺は思う。あのサラ・ロシュフォールって人の話が確かだとしたら、何らかの手がかりが、そこにあると思うんだ」
「ああ…うん。諮問会までの日時を考えると、どっちにしても明日の午前中には、一度連絡を入れないとだよね。だとしたら、カルヴァンには早めに向かっておくべき…もしかして、あんまり飲んでる場合じゃなかった、かな?」
「そうだな……あと一杯くらいにしておくか」
そうは言っても、どちらかと言えば飲む事を好む傾向にある二人である。
コンシェルジュの勧め通り、料理もほぼ満足のいく物であったため、実際に二人がレストランを出たのは、結局、日付も変わろうかという、閉店時間すれすれの時刻だった。
酔い覚まし、という程のものではないにしろ、海風を心地よく感じた事も確かだったので、二人は埠頭沿いの道を、ホテルへと歩いて帰る事にした。
ことにガヴィエラは、防波堤のうえを、にこにこと笑いながら歩いており、転がり落ちたらどうする気だ、とキールも気が気ではない。
「まったく、泣き上戸でも、からまれるわけでもないのは、有難いんだがな……」
「あっ、何か言ってる!一回、無茶苦茶に酔って暴れ倒した人が、そんな事言う権利ないと思うんだけど!」
「悪いが、俺は覚えてない。それに、誰がそれを止めたとか力説して、おまえ俺に何回奢らせたと思ってるんだ。とっくに原価償却済みだ、そんなもの」
……本当は、お酒に酔って暴れた訳ではない。
そこには、一生墓場まで持って行くと決めた、秘密がある。ガヴィエラも、それは多分気が付いている。
気が付いていて、全てをお酒のせいにして――当時、キールを止めるために肋骨まで折っていたのを、キールが正気に戻るまで、隠し通した。
「えー……やられた方は、結構いつまでも覚えているものだって、キールもたまには思い出した方が良いよー」
「落とすぞ、そこから!」
今でもそれは「お酒の失敗談」だ。
そしてこれからも。
「キール、ひどーい」
防波堤の上で、高らかにガヴィエラが笑っている。
――その時から、キールにとっての「唯一」は、不動となった。
もちろん、本当に落とすつもりはないので、すっと左の手をガヴィエラに差し出す。
「そろそろ、降りろ」
「はーい……って、あれ?」
微笑って、キールに手を預けようとしたガヴィエラだったが、ふと、何を見たのか右手を敬礼風に額にあてて、遠くを見つめる仕種を見せた。