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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第七章 最も危険な賭け
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手塚Side1:追跡1日目(20)

「あー、やれやれ」


 カルヴァン地区・ホテル『ヴィクトリア』。


 メインストリートに接する玄関口の所で、手塚玲人(アキト)は大きく伸びをして、ポケットから取り出した煙草を咥えた。


「楽じゃないな、お供ってのも」


 2595年現在の手塚は、地球軍の管轄下にある、ソフィア医科大学の5回生である。


 この医大の教育課程も、軍の実情を優先した特殊な部分が存在しており、6年の教育課程の内、前半の3年で技術と理論を学び、後半の3年は、航宙艦所属の軍医や軍病院の医師の下で、実務指導を受ける。つまりは後半部分が、事実上の「兵役」となっているのである。


 その例に漏れず手塚も、元第三艦隊の主任軍医であり、現在は年を重ねて、軍病院の医局外科部に属しているロッティ・ルグランジェ中佐の下で、実技指導を仰ぐ日々だった。


 ルグランジェの学会での論文発表のお供として、昨日からカルヴァンに来ている手塚は、その学会の休憩時間を利用して、気分転換に表をぶらついていた。


 表向き、医学の進歩のために各々の研究内容を発表・検討しあう場である筈なのだが、実際は、軍病院と個人病院との摩擦、外科や内科といった、各科内での牽制も日常茶飯事であり、そこに居るだけでも、その精神的苦痛は大変なものであった。


 だが手塚の同期の中には、現役の航宙艦の軍医の下に配され、戦火の中二度と会えなくなった者も実際にはおり、自分自身の境遇に関して、手塚は愚痴を言える立場にはなかった。


 ただ、明らかに煙草の本数は増えていると、他の同期からは指摘されている。


 いまいましげに舌打ちして、くるりと身を翻した手塚は、その途端、一台の車椅子とぶつかってしまった。


「……()っ」


 脛の部分に鈍い痛みを感じて、顔をしかめる。


「あ……っ、ごめんなさい」

「いや、俺も急に方向転換したりして――」


 煙草を、慌てて口もとから離して、不注意を詫びようとした手塚だったが、視線の先にぶつかった女性の顔に、ふと見覚えを感じて、一瞬、言葉を飲み込んだ。


「……あれ?」


 手塚の声に、不審を覚えたのだろう。相手も、最初は伏せぎみだったその顔をゆっくりと上げて、手塚の方を仰ぎ見た。


「手塚……君?」 

「やっぱり!若宮さん、だよな?」


 手塚の知る若宮水杜(みと)は、長い髪だった訳ではないのだが、よほど太るか痩せるかでもしない限り、個人の印象は、そうは変わらない。


 それよりも、その車椅子姿の方が気になって仕方がない程である。


 煙草を携帯用の灰皿に放り込んで、手塚は、どこかぎこちない笑みの、水杜の顔を覗き込んだ。


「高校卒業以来、だよな?会えて嬉しいよ」

「え、ええ。そう……ね」


「せっかくだから、昔話でもしたいところだけど…何だか顔色が良くないな。俺、医大に行ってるから、結構そう言うの目ざといんだよ。……あ!今、俺の上司に、ちょっと診て貰おうか?学会の用事で来てるけど、腕は確かだ」


 すぐ側の『ホテル・ヴィクトリア』を指して、そう話し掛けた手塚だったが、水杜の表情が、強張ったままである事に、一瞬、小首を傾げた。だがその時、水杜が一人ではない事にようやく気付いて「ああ」と、苦笑して、軽く片手を振った。


 水杜の後ろで車椅子を押す長身の青年に、軽く頭を下げる。


「すみません、勝手な事を言いました」 


「いや……彼女は一週間もすれば良くなる。それでもまだ具合が悪ければ、その時、その言葉に甘えさせて貰おう」


 物腰は優雅だが、声音は厳しい。手塚はすぐに、自分があまり好印象を持たれていないと察した。


「分かりました、ぜひ。それじゃ若宮さん、何かあったら軍病院の外科部に来てくれ。俺の名前で話は通るから。あまり無理はするなよ。な?」

 

「――手塚君!」


 場の空気を察して、手塚は早々にその場を離れようとしたが、思いもかけず、水杜の方が、手塚を呼び止めた。


振り返ると、青年の方は背を向けたままだが、水杜だけが、首を少しこちらへと傾けている。 


「うん、どうした?」


「せっかくだから……今度、()()()をしない?他にも、首都(アルファード)に私の知っている人はいない?ぜひ、会いたいな」


「同期会……?」


「私は、今は地球(テラ)国立図書館に勤めてるから。誰か誘って、連絡をくれないかな?……待ってる」


 水杜、と青年が彼女を急き立てたため、会話はそこまでが精一杯だった。


 二人が向かう方角の先には、この地区最大の観光地であるクライン湖畔、世界屈指の滝を臨む展望台がある。だがどうにも、単なる観光で来ているように、手塚には見えなかった。


 無論、それを追及する理由もないのだが。


「……っと、もう休憩終わるな……」


 ――手塚が激しく自分の迂闊さを呪う事になるのは、この会話から半日以上たって、日付も変わってしまってからの事である。


 この時は、踵を返して『ホテル・ヴィクトリア』へと、戻っただけであった。

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