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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第一章 分岐点
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神月Side:トリックスター事件(5年前)5

 時を置かずして、中学棟の建物の影から、一人の少女がグラウンドの軍人たちの輪の中に駆け込んで来た。


 汚れた服で泣きじゃくりながら、高校2年生だというその少女は、棟内で抗戦派と降伏派の主張が衝突していて、誰の手にも追えなくなりつつあると訴えたのである。


 保安情報部は、一般市民の治安を預かる軍警察と違い、軍隊内部の治安を預かる、百戦練磨のエリート組織としての自負がある。


 だが、流れる少女の涙に騎士道精神を刺激させられたのか、それとも、このままでは抗戦派がヤケを起こして、立てこもっている全員を道連れに、死んでしまいかねないと泣く、少女の言葉の方に心を動かされたのか。


 どちらにせよ抗戦派を押さえ込むための話し合いをしたいと言う、降伏派の少年代表の求めに応じ、この鎮圧部隊の隊長自らが、数名の部下と共に、建物の中に入る事を決断したのは、そう長い時間がたってからの事ではなかった。



「まず第一に、まだこの騒ぎからさほどの時間がたっていない分、軍の誰一人として、この棟の内部構造には詳しくない。そして次に、中にいる人間の大半が中・高生である以上、人道上の問題として、軍はすぐさま武力行使に訴えられない。そして最後、それを後押ししている、テレビカメラの存在がある。一見すると、絶望的に打つ手がないように思えるんだ、軍にとっては」


 相変わらず、壁に背を預けて、じっと下を見下ろしたまま、天樹(たかき)は落ち着いた口調で神月(かづき)に話しかけていた。


「軍が見栄を捨てて、武力行使に出た瞬間、こちらの負けは決まる。軍の武力を覆せるだけのものが、一般市民にある筈がない。数の不利を覆す方法はただ一つ――相手の「頭」を押さえてしまう事だけだ。それも、出来るだけ早いうちに」


「ああ、それで……」


 上からグラウンドを眺めている事で、誰が下の喧騒の中心的な人物なのかは、天樹にも、神月にも、想像はついていた。


 わざわざ()()()の看板女優を行かせたのは、いっそ余興としか神月には思えなかったのだが、その事については敢えて口を閉ざす。


「兄さん?どこへ?」


 ふいにちらりと時計を見た天樹が、壁から離れ、もと来た廊下を引き返すように、歩きだす。


 神月も慌てて、その後を追ったが、途中で片手をあげた天樹が、それを押し留めた。


「神月は打ち合わせ通り、確実に、中に入って来る軍人たちを押さえるんだ。そうでなければ、俺がこれからやろうとしている事と、全く連動しなくなってしまう」

 

 ゆっくりと、神月自身の気持ちの昂ぶりを鎮めるように、静かに言葉を紡ぐ。


「あの巡回ルートをぬって、演劇部の彼女がこの階へ辿り着くのは、恐らくは今から7、8分後。時計を合わせて……いいか、絶対に、先走るな。途中で気付かれたり、神月たちの方から、先に他の階で仕掛けたりするような真似もするな。10分後に、テレビカメラが、校舎に入るよう仕向けてくるつもりだ。その時に決して、こちらが不利になるような映像を映さないようにするんだ。…分かるな?」


「テレビカメラ……?」


「説明はあとにしよう、神月」


 ペテン、と神月が呻いた策は、天樹の策の全てではなかったと察しはしたものの、天樹はこの場での説明を拒んで、廊下の向こうへと姿を消した。


「……ああ、もう!」


 打ち合わせにない事を、天樹が一人でやろうとしているのは分かるのだが、それを読み切れない自分は、まだまだ天樹(あに)に及ばないと、認める事が今は少し悔しい。


日向(ひゅうが)さん!」


 だが今は、そんなことに拘っている場合ではなかった。


 廊下から教室に戻った神月は、前生徒会長らしい、よく通る声で、一人の少年の名を呼んだ。


「すみません、ひょっとしたら危険な事になるかも知れませんが……」


 群衆の中から笑って手を振って見せたのは、天樹の同級生であり、空手部の前主将だった、日向英司(えいじ)だった。


「後から来た本多や手塚だけに、イイカッコはさせられないからな。まあ、任せておけ」


「すみません。前面には僕が立ちますから、フォローお願いします。それと…壮真(そうま)?」


「隣りの部屋は準備OKだ、神月」


 中学棟の演劇部ホープ・(たちばな)壮真も、軽く手をあげている。


 短時間のうちに、この二人を筆頭とする事で、表向きの抗戦派と、降伏派とを、天樹は作り上げていたのである。


 橘が、脆弱な降伏派の少年を演じ、日向が過激な抗戦派を装う。橘が、相手と話し合いを始めたところで、一気に日向が空手部の部員達と共に、部屋の占拠を狙う―――と言うのが、耳打ちされた策の内容だった。


 更に降伏派のグループの中には、女性や中学生を多く含めておいて、教室の中での乱闘が起きた際、軍の側が銃火器を使いにくくするという状況まで作り上げる、念の入れようだった。  


 そしてとどめには、軍の側からの暴力をも防ぐため、天樹がテレビカメラを持つマスコミを、敢えて校舎内に招いたと、神月は後から知ったのである。


「本当は、今、すごくこの引き金を引いてやりたい気分なんだけど、止めておくよ。それじゃ、あんたたち軍人と、同じ理屈で行動する事になるからね。でも、もちろん大人しくしててくれるんなら、の話だよ。こんな中学生でも、我慢の限界ってものは、あるんだからね」


 小隊以下の規模の戦力なら、圧倒的な人のバリケードの前には、ほぼ無力である。


 当初、軍人たちから取り上げた銃を、隊長と思しき男につきつけて、そう冷ややかに言葉を向けた神月だったが、テレビカメラが最上階に辿り着いた絶妙なタイミングで、その銃を今度は男から、カメラの方へと、ずらして掲げてみせたのだ。


 声色も中学生らしく、少し高めに。


「軍の人たちが、武装を解いて、僕たちの同級生や、先生を死なせてしまった事について、話し合う機会を作ってくれる事になりました。これがその証です!」 


 一度公共の電波に乗ってしまえば、たとえそれがペテンじみていても、どうしようもなくなるだろうと言うのが天樹の目論見であり、実際、その通りに事態は動いたのだ。

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