軍警察Side1:追跡1日目(18)
同日、正午。フィオルティ地区。
「……っ、ケンカ売ってんの?あのオヤジはっ!」
「電話はお静かにお願いします」
街中のビルではあるが、高層階である窓の外からは海が見える。仕事をする環境としては、このうえなく良心的なものである筈なのだが、部屋の主は何に激昂したのかTV電話を叩きつけるように切り、そこにいた部下は、毎度の事とでも言いたげに溜め息をついた。
「何が『そのような机上の空論を立案出来るほど、支部が平和だとは……よく、心に留めておこう』よっ!イヤミオヤジ!いつか追い越して、こき使ってやる!」
似ていない物まねが、自分でも腹立たしく思えたのか、今度は机の上の書類に盛大なヤツ当たりを繰り返している。
「書類は自分で拾って下さいよ、大佐。副官の日常業務が『書類拾い』だなんて、格好が悪くて言えやしませんからね」
ナイム・フェローズが、義務兵役中の配属先として、このジュリー・ヘレンズの下についてから、既に月日は4年以上経過している。
ダヌヴィスの内乱鎮圧に対する功績として、在野に下る事を拒否され、警察機構とは言え、軍人としての道を歩き出さざるを得なくなった現状を鑑みれば、上官の顔色を窺いながら、日々を過ごすいわれはない筈である。
たとえ現在の身分が、お互いに「中尉」と「大佐」であっても、だ。
「とりあえず、報告は怠らなかった、という事実さえあれば充分でしょう。後はあなたが失敗なさらない限り、文句の出よう筈もありませんよ」
まして、目の前のこの、特徴的な赤いショートカットの髪の女性が、フェローズの現在の境遇の張本人だと思えば、尚更。
いつクビになっても望むところだ、という気持ちで、フェローズは日頃から、かなり言いたい事を言っているのだが、ヘレンズは何故か、自分よりも階級が低い者たちに対しては鷹揚であった。
もちろん、業務に支障がきたすようでは、容赦のない叱責が飛ぶ。しかしそれは、上司にも部下にも分け隔てがない事なので、その事自体を責める者は、皆無に等しかった。
フェローズ自身も、クビになって民間人に戻りたければ、仕事に手を抜けば良さそうなものなのだが、そうするには彼自身のプライドは少し高かったようで、結果、上司に面と向かって意見が言える士官として、周囲から珍重されようとは、全く彼自身にとっては、不本意極まりない現在の境遇であった。
「分かってるわよ!分かってても、不愉快なのよ、悪い?」
「それも、あなたの給料の内です」
「……っ」
ジュリー・ヘレンズは、フェローズよりも8歳年上の33歳である。現状維持にやっきになり、急進的な改革を嫌う、軍警察の首脳部衝突するのも、珍しい事ではないのだが、こうなると、もうほとんど子供がダダをこねているようなものだった。
いざ争いが起きると、誰もが驚嘆する働きをしてのける人物と、とても同じ人物とは思えない。
「ちょっと!その私にここまでの事をさせてるんだから、ちゃんと相手の動きは掴んだんでしょうね?詳細は判明したの?」
フェローズが、ヘレンズが散らかした書類に目もくれないのは、先刻よりコンピュータにアクセスをしつつ、調べものをしていたからだ。
無論、フェローズの性格から言って、そうでなくても、書類を拾う気があったのかどうかは不明だが、今はそれどころではない。
ここ数日、このフィオルティ地区の軍警察の、頭痛の種とも言うべき、反政府組織“使徒”の動きが、妙に慌ただしいとの情報が、彼らの手もとには入ってきていた。
一応、その動きを追ってみて、成り行きによって、彼らを検挙出来ればしめたものと、ヘレンズはアルファード地区の首脳部に対し、意見の具申を試みていたのだが、返答は、あの有り様であった。
フィオルティ地区の支局長とは言っても、支局長の決裁権は、現場の範囲を出るものではない。つまりは、予測しえないトラブルあるいは「暴動」などでも起きない限り、支局長とて首脳部の許可なき行動はとれないのである。
それでは遅い、と常日頃よりヘレンズは、力説している。仮にこの支局が爆破でもされて、それから責任者としての権限を与えられたとて、一体、何の意味があると言うのか。
いっそ、ちょっとした動きでも大きく取りげさせて、権限を中央より奪い取りたい――と物騒な事を考えたヘレンズが、フェローズに資料を持て来させさせようとしたその時、胸元で突然、携帯電話が鳴り響いた。
報告をしようとしていたフェローズを片手で制して、携帯電話を片手にとる。
「はい、ヘレンズ」
『…お久し振りですね、ヘレンズ少佐。本多ですが、覚えておいでですか?』
「は?」
『あ…失礼。今は大佐でしたね。どうも四年前のクセが抜けなくて。あの時は、俺もカーウィンも、何かとお世話になりました』
三秒ほどの沈黙の後、ようやく電話の主に思い至ったヘレンズが、あーっ!と声をはりあげた。
フェローズが、ぎょっと目を見開いている。
「本多?カーウィン……って、確かあの時の、軍の調査官と教師ね!え、ちょっと待って。どうしてあなたが、この電話番号を知っているの?って言うか、そもそも畑違いの私に、今更何の用?」
『相変わらず手厳しいですね、ヘレンズ少佐……っと失礼、大佐。俺はただ“使徒”を追う、軍警察のフィオルティ支局長に用があっただけなんですよ。まさかそれが、あなただとは思いもしませんでした』
何気に発せられた“使徒”の言葉に、ヘレンズは敏感に反応した。
声のトーンが、低く落ちる。
「……あなた今、どこの部署で何をやっているの?」
『相変わらず、クレイトン少将……もう大将なんですけどね、あの人の下にいますよ。ただ今のところは、俺の独断です。とりあえず、自分自身に降りかかった火の粉を、何とかしなくてはいけなくなったので、そのために、こういった手段をとりました』
どうやって電話番号を突き詰めたかという事は、企業秘密で……と、電話の向こうで天樹は笑った。




