シストール社Side:追跡1日目(17)
ステュアート・マーリィにとって、今日ほど一日を長く感じた事はない。
「マーリィ部長、たまには昼食でもどうかな」
う言って、シストール社の首都支部長を務める、倉科・ウォーレン・航が声をかけてきた時、マーリィは一瞬、夕食の誘いと錯覚を覚えた程であった。
「あ……はい。お供させていただきます」
倉科は、技術畑のマーリィとは違い、営業畑をひたすらに歩いてきた人間だ。
一見、そりが合わなさそうにも見えるのだが、実はマーリィの開発する製品を最も良く理解し、販売ルートを確立してきたのが倉科であり、どちらが欠けても、現在の地位を得られる事はなかっただろうと言うのが、周囲のもっぱらの評判であった。
マーリィより四歳年上の倉科は、現在シストール社の最年少支部長である。
半ば強引に連れ出された形で、マーリィは倉科の車に同乗した。
車は静かに地区の中心部を離れていき、やがて広大な庭園を敷地に持つ、一件のレストランへと辿り着いた。ここは、四季折々の花や緑を眺めながら、食事が楽しめるという、オープンスペースが特に、地元民に限らず観光客の評判も高い所だ。
「支部長……」
「ここでは、そういう呼び名は無粋だな、ステューイ」
どう見ても、気軽な昼食とは言えない雰囲気に、不審感も顕な声をマーリィは投げかけた。
案の定、倉科は意味ありげに微笑している。
「ビジネスの顔は、入口で捨てたまえ。せっかくの景観に、そぐわない空気を出してはいけない」
「…………」
「ここでは、ウォーレンと呼んで貰っても結構だよ」
一つの行動ごとに、相手の選択肢を一つずつ奪っていくのは営業の常套手段であり、倉科が社内での盗聴や、話が中途で遮られてしまう事を恐れて、マーリィを外へ連れ出した事は分かっていたのだが、オフィスを出て車に乗りこんだ時点から、質問も反論も、出来よう筈がない事も、マーリィは分かっていた。
ここは、黙って倉科の後に従うより、仕方がない。
「ここしばらく、顔を合わせていないのだが……お元気なのかな、あの方は」
席につき、任せるよ、と告げられたウェイターが、軽い一礼とともに立ち去るのを見やってから、倉科がさりげなく問いかける。
だが硬い声で「ええ」と返すのが精一杯のマーリィには、苦笑を誘われたようだった。
「私は仔細を話せと言っているのではないよ。ただ君の手に負えない事はないか、もしくは支部の責任者としての私が、最低限聞いておかなくてはならない事はないのか、それだけを聞きたくてね」
「支……いえ、ウォーレン……」
「おっと、我が社随一の技術部長に向かって、手に負えないと言うのも失礼だな。気に障ったのなら許してくれ」
「いえ。いえ、そうではなく……まるで天樹さまのお言葉を、聞いておられたかのような、おっしゃりようだったので……」
「ほう?」
「すみません、どう話していいのか分かりませんので、天樹さまのお言葉をそのままお伝えします。えー……『早朝のコンピュータ使用料は、一両日中に送るよ。ただしそのままでは紙屑以下だから、それを持って、倉科と共に俺の上司の所へ行くといい。本当は、俺のための「保険」でもあるんだが、出方次第では、悲願のシェアトップの座を奪い取れるかも知れないから』と言う事です。それが何なのか私には分かりませんし、実際にまだ何も送られてきてはいませんが、それをもって何らかの交渉事が必要であるという事なら、確かに私の手には余ります。天樹さまも、だからこそ、私に独りで行けとはおっしゃらなかったのではないでしょうか」
むしろ淡々とマーリィは言い、そこには専門外の事への関心も、無論功名心さえもなく、一瞬、倉科を感心させた。
「……あの方の上司、と言うのは?」
「宇宙局作戦部の作戦部長である、ウィリアム・クレイトン大将の事かと思いますが」
「……なるほど」
運ばれてくる前菜を、視界の端に収めながら、倉科は口もとに手をやって、複雑そうな声でそう呟いた。
遠慮せず食べたまえ、と言いながら、ウェイターが前菜を置いて去るのを、視界の端に確認する。
「噂には聞いている。軍では幅をきかせている筈の、ギルティエ社の人間でさえ、やりこめられる事があるそうだ。我が社の製品を、公平な目で見て貰えるのは確かだろうが、さて……」
「天樹さまには先ほど、ある『パーツ』をお送りしました。ですが私には、天樹さまがそれをどうされるおつもりなのか、皆目見当がつきません。ただ思ったよりも、天樹さまが窮地に立っておられるのではないか、とは推測出来ましたので、つい社内で声をかけそびれておりました。正直、昼食にお誘いいただいて、感謝しています」
「いくら鳴海会長が、この支部を影の後見役とされていても、この五年間、一度も我々をお訪ねになられなかった方だ。事の重大性なら、朝一番の電話で充分に認識したよ。何も君が恐縮する事はない」
マーリィの緊張をほぐすように、倉科は前菜に手をつけた。二呼吸ほどおいて、マーリィの方も、それに倣う。
「どのみち、我が支部はギルティエ社と無競争と言う訳にはいかないし、いずれは勝負にでなければならない。まあ、その時が来たのだと思えばいいさ。どう勝負にでるかは、私の給料の範囲内の事だろうがね」
「支…ウォーレン……」
「今は食事を楽しみたまえ、ステューイ。進展状況によっては、これから食事もままならなくなるかも知れない。責任は持てないよ」
そう言って、口もとに笑みを見せた倉科ではあったが、目は笑っていなかった。おどけているのではなく、彼自身には、そのつもりも覚悟もあると言う事である。
研究に没頭して食事を忘れるという事は、マーリィも珍しくはないのだが、今回と比べれば、精神的な重みは明らかに違う。
ここは倉科が正しいと頷いたマーリィは、大人しく料理を口に運んだ。
「……さすが、人気の料理店ですね」
ようやく味の判別がついたらしいマーリィに、倉科の顔も緩む。
「いつ君がそう言ってくれるのか、私は今はそちらの方が不安だったよ、ステューイ」
「……すみません」
シストール社最年少支部長の広量大度も、天樹とは別の意味で、マーリィの一生及び得ない所だろう。
(天樹さまは……大丈夫だろうか……)
目の前の倉科を見ながら、何となくマーリィは、そう思わずにはいられなかった。
――現在の彼こそが、食事もままならなくなっているに違いない、と。