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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第六章 疑惑の聖域
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カーウィンSide3:追跡1日目(14)

「……いや、お見事」


 ガルシアが部屋を出たのを見計らって、間のあいた拍手をしながら、グリースデイドが再びカーウィンを振り返ったが、その顔に浮かんでいた、厳し過ぎる表情に気圧されてか、それきり軽口は叩かなかった。


「准将……『変に閣下の病状などを知りたがる輩』というのは、具体的に今のようなケースを指しますか?」


 カーウィンの表情を言葉にしてみせたのは、むしろハインツァーの方で、グリースデイドは「なっ⁉」と呻いたきり、すぐには言葉を発しなかった。


「中佐……」


 まさか、それが「将」の位を持つ者だとまでは思わなかったカーウィンも、苦々しげに眉をひそめている。


 無論、即答出来る筈もなく、部屋の中にはしばらく、重苦しい沈黙が漂っていた。


「まったく、仕方がないな……」


 そんな沈黙を、最初に嫌ったのはグリースデイドであり、無言の驚きがそこに集中した。


「私が何とか、ガルシア大将の目を眩ましてみますよ。適当な体格の人間を閣下に見立てて、知人宅とやらに3日間、放り込んでおけば充分でしょう。何なら私が、見舞いに行くフリをしたって良い」


「頭ごなしの反対はしないが……大佐、万が一の際には、タダでは済まない相手になるが、承知の発言か?」


「今『正気か』と聞こえた気もしましたが……まあいいでしょう。たった今、ガルシア大将に喧嘩を売りつけた人からは、言われたくないセリフですがね、それは?」


 そう言って、にやりと笑ったグリースデイドの視線は、やや挑戦的なものにも見えた。


「連絡役にはマーテル少佐を使いましょう。ヤツには私から話をしますよ。どうせ、そのおつもりだったんでしょう?」


 現、特殊工作隊隊長のギュンター・マーテル少佐は、元をただせばグリースデイドの部下である。カーウィンが何かを言うよりも、話が通じやすい事は間違いない。


 確かに……と呟くカーウィンを前に、ふと、グリースデイドは口元に手をあてて、考えこむ仕種を見せた。


「だがヤツも、准将の副官にしても、閣下に見立てるのには、不向きだし、さて……」


 マーテルは、グリースデイド同様の、恵まれた体格の持ち主である。

 バークレーは茶髪の短髪であり、何より本多天樹よりも、背が低い。

 ハインツァーの容貌も、カーウィンの銀髪も、元より論外だ。


 困ったように呻くグリースデイドに助け舟を出したのは、意外にもハインツァーだった。


「エノー大尉……なら、何とかなるのではありませんか」

「エノー大尉?」


 おうむ返しに聞き返すグリースデイドに、確かに……と、カーウィンが膝を叩いた。


「空戦隊の副長である以上、エノー大尉にも、ランドール大尉にも、()()の不在をフォローして貰わねばならないと思っていはたが……なるほど主要士官の中では、エノー大尉が一番適任かも知れないな」


 キールの部下であるディック・ランドール大尉も、金髪を長く伸ばして無造作に束ねた、独特の風貌をしている。一方の、ガヴィエラの部下であるアンリ・エノー大尉だけが、ダークブラウンの髪をしており、髪の長さも平均的であった。何よりその身長も、本多天樹とほぼ変わらない筈だ。


 もはや、話をこれ以上大きくしないためには、無理にでも引き受けて貰うより他に、選択肢はなかった。


「……という事は、私の提案を御許可頂けるんですね、准将」


 わざと念を押すように、カーウィンのその輝石色の瞳を、グリースデイドが覗き込む。


 ふ……とカーウィンの口元に笑みが広がった。


「大佐の言葉を借りるなら、ガルシア大将らに喧嘩を売る人数は、多いほうが有難いと言う事になるが」


「――――」


 その切り返しに、一瞬虚を突かれたグリースデイドだが、やがてそれはすぐに、明るい笑い声へと変わった。


「艦隊の創設八ヶ月目にして、少しその為人(ひととなり)

が読めてきた気がしますよ、准将」


「……一応、前向きに受け取っておこうか」


「それで、エノー大尉をどこへ行かせると?正直、私の知る範囲内での閣下の知人というのは、今回とても『頼み事』など出来そうにありませんが」


 当の天樹と行動を共にしていると思しき、ガヴィエラとキールは問題外であり、その他に知られている所と言えば、第五艦隊の司令官エルナト・アルフェラッツ少将と、第十三艦隊の司令官クラーツ・ダングバルト少将、そして人事部のグレッグ・ディーン大佐だったが、それぞれの立場上、とても巻き込めた相手ではなかった。

 

 グリースデイドの視線を受けたハインツァーも、さすがに首を横に振っている。 


「いちかバチか……だが」

「カーウィン准将?」


「下手な勘繰りはしないと断言出来るなら、一箇所だけ、適していると思しき所はある」


 カーウィンの複雑そうな表情の意味を、一瞬掴み損ねた二人だったが、その「心あたり」を聞かされた途端、それぞれの個性に応じた困惑の表情が広がった。


「准将、すると今回の“アステル法”というのは――――」


「今はそのくらいにしておいてくれないか、グリースデイド大佐。まだ、正式な話にさえなっていない事だ」


 カーウィンは、口を開きかけたグリースデドいドの言葉を、そこで遮った。


 追及を拒む、冷ややかな切り返しに、グリースデイドもハインツァーも、その先を続けらる事が出来なかった。


()()の家には、私が電話をして許可をとる。閣下の通常業務に関しても、私が全て引き受けよう。その代わり、大佐の提案に関する部分は全て一任して、エノー大尉達との連携を図って貰う。……この時点でアンフェアだと思う部分があるのなら、言ってくれ」


 一瞬の視線の交錯の後、グリースデイドが諦めたように、肩をすくめた。


「まあ、我々に与えられた時間と権限の中では、それがせいぜいでしょう。そもそもが、リーンとレインバーグが勝手な行動をとった時点で、この件は充分にアンフェアだ」


「……違いない」


 今度はハッキリと、カーウィンも笑った。


「ま、まあ良い」


「あの二人には、経費や閣下のポケットマネーでなく、何か奢るよう言ってある。よければ参加してくれ。拒否権はないから、遠慮

無用だ」

「ははっ!そいつぁ結構」


 マーテル少佐らには、カーウィンのオフィスではなく、グリースデイドの所へ向かうように変更の連絡を入れさせつつ、幾つかの事柄を確認した二人が、最終的に部屋を後にするのを見届けて、ようやくカーウィンはコーヒーを片手に、一息をついた。


 本多天樹が“アステル法”を適用する気でおり、それを阻止しようとする人間もいる――ここまでの流れに、間違いはないだろう。


 だが本来、()に対してその適用を行うのかなどの詳細は、諮問会終了後まで明らかにならないのが慣例であり、この時期からそれを阻止しようとする人間が出て来ている事自体、報が漏れている、あるいは意図的に漏らしている人間がいる事の表れだと言えた。


 そして、その情報を得る事が可能な人間は、百人を下らないにしても、それを統制・管理するとなると、ラフロール宇宙局局長、ガルシア副局長、そしてクレイトン作戦部部長の3人以外に、権限はない筈であった。 


 ラフロール局長は、既に退官前の年齢で、局内の権謀術数には無関心であり、クレイトンは天樹を現在の地位に押し上げた張本人であれば、今、彼を追い落とそうとする可能性は、ほぼないと言っても良い。


(やはりガルシア大将か……)


 あるいは1年前の戦い以上に、この第九艦隊は追いこまれているのではないかとの危惧

を、カーウィンは持たざるを得なかった。

 水面下の情報戦は、時に直接の戦争よりも熾烈だ。


 彼自身の覚悟を定めるかのように、コーヒーを一気に飲み干してから、ゆっくりとTV(ヴィジ)電話(フォン)に手を伸ばしたカーウィンは、回線の(セキュ)(リティ)を最大ランクに強化すると、番号案内を経由して、地球(テラ)国立図書館へとその通話を繋いだ。


 だが肝心の人物が、不在である旨の返答を受けると、教えられた番号から、再びその人物の自宅へと、電話をかけ直す。


『――はい、()()です』


 やや長めの呼び出し音をやり過ごした後、カーウィンよりも幾らか年配に見える女性の姿が、画面に映し出された。


 彼女は一瞬、カーウィンの銀髪に、戸惑いと驚きの表情を垣間見せた。

 それはカーウィンにとっては、さほど珍しい反応ではない。 

 彼は彼自身の電話の目的を告げるべく、短く息を吸って、呼吸を整えた。  


 ――奇しくもそれは、本多天樹が若宮家を訪ねてから、間もなくの事であった。  

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