ガヴィSide1:追跡1日目(10)
世界でも屈指の規模の湖と、特徴的な気候風土から、広大なワイナリーが広がる事で知られるカルヴァン地区には、空港がない。
コーデル州でも、アルファードやフィオルティに次ぐ、経済地区と言われるナイキー地区から、一時間ほどの距離を車で移動するのが、一般的と言うよりは唯一の方法であった。
風光明媚なその景勝を維持するため、今後もその姿勢は変わらないだろうと言われている。
「着いたね、とりあえず」
傾きつつある陽の光を受けて、わずらわしそうに眉をひそめながら、ガヴィエラが、数歩遅れて到着ゲートを出てきたキールを振り返った。
「そうだな」
答えたキールの手には「ヨロシク」の一言で押し付けられたガヴィエラの鞄も、しっかりとある。
「どうする?カルヴァンまで行っちゃう?」
「いや……俺たちと違って、二人が間違いなく列車でこのナイキーに着いたという確証が必要だな。それで新たに、車を乗るか借りるかでもしていてくれれば、なお有難いんだけどな」
限られた日数の中では、確率を頼りに動く危険はギリギリまで冒したくない。
その示唆を、ガヴィエラもすぐさま理解した。
――今朝と同じサイトにアクセスして、新たな映像を検索しろという事だ。
「了解です。そのお役目、謹んで承ります」
冬が近いだけあって、この地区の日暮れは早い。
空港に併設された駐車場へと向かった二人は、公共車用の駐車スペースから適当な車を選択すると、荷物を後部座席に放り込んで、車に乗り込んだ。
車の形は様々だが、実は型としては、自家用車と公用車の2種類しか、区別がない。
所有者の運転免許証を、所定の位置にセットする事で動くのが自家用車であり、運転免許証の代わりに、クレジットカードや身分証を差し込む事で動くのが公用車である。
本多天樹から手渡されたクレジットカードを差し込んだ所で、無事エンジンはかかって、その公用車は静かに動き出した。
「いいのかなぁ…こんなお手軽に、本多先輩のカード使っちゃって」
「素晴らしく、今更な質問だな、ガヴィ」
助手席のシートに背中を預けて呟くガヴィエラに、行き先をとりあえず地区の中心部にセットしながら、キールは笑った。
「だって飛行機代払うのにも使ったでしょ、このカード?で、明日以降の車の移動にだって、使うつもりでしょう?ちょっと罪悪感を感じたりなんかして……」
「心配しなくても、これは本多先輩個人のカードじゃない。こちらの追跡を、うかつに悟られないようにと、シストール社の社員共通カードを先輩が借りてるんだ。ネットワーク上の俺たちは、現在出張中のシストール社員になっている」
「へえ……って、それはそれで、マズくないの?」
「先輩の危惧する『情報漏洩犯』の中に、一人でもギルティエ社の人間がいれば、どうなると思う?加えて、軍の今後の取引に、シストール社が参入する事にでもなってみろ、俺たちが使ったカード代くらい『必要経費』に早代わりだ。気にする事はない」
「………本当?」
大胆さと悪辣さの隙間にあるかのような話で、複雑な表情を見せたガヴィエラに、同感だとばかりにキールも笑った。
朝方、着替えを済ませたキールの宿舎に、「忘れ物」だと言って届けられたこのカードには一言〝心配無用〟とだけ書かれていた。
それが、このカードによって他人の追跡の目をくらます事と、キール達二人についての「経費」の事と、両方を指しているのだと、想像する事は難しくなかった。
そしてガヴィエラ同様、天樹自身とシストール社との間に、抜き差しならない「貸し借り」が生じる事を、キールも危惧したのだが、この一言が、実はその事さえも含んでいるのだと、すぐに彼は気が付いたのである。
本多天樹は、金銭を受け取る訳ではない。
決定的な情報さえ得てしまえば、全てそれはシストール社からの売り込み材料として、堂々と外部に主張出来る。
(あの人は………)
自分のやる事に、常に意味があると思うのは間違いだ、と口癖のように天樹は言うが、ここまで言行不一致な人物も珍しい。
「ある意味天才だよね、先輩も」
キールの胸中を知ってかしらずか、ガヴィエラがぽつりと呟いた。
「一つの情報から、三つも四つも活かし方を考えつく人って、そうはいないもん。単に知識があるってだけで片付く話じゃないよね、これって」
「まぁ、俺でも二つくらいが限度だしな」
「はいはい、そーですね」
「………」
「そ、それより、ホテル予約しなきゃ。公用車のナビゲーションシステムって、ホテルの斡旋もやってたよね?それで適当に探す?」
「………そうだな。俺が探すよ」
冷ややかに呟いて、カーナビに手を伸ばすキールに、ガヴィエラが思わず身体をこわばらせた。
「ダブルベッド1部屋、で、良いよな、もちろん?どうやら天才じゃないらしい俺としては、独りで泊まるなんて不安で仕方がないよ」
「………っ!」
適当に受け流したつもりが、地雷を踏んでいたらしい。
口をぱくぱくとさせながら、反論を探すガヴィエラをじっと見ていたキールは――途中から笑いをこらえている。
「………い」
「聞こえないな。なんだって?」
「すみません、キールも充分エライですっ。天才です!だからシングル2部屋予約して下さいっ!」
「つれないな。俺は1部屋でも全然構わないのに」
たまりかねたように笑いながらも、どこか残念そうな気持を表情に残して、キールは車のナビゲーションパネルを開いて、ビジネス向け設備の完備された、なるべく大きな規模のホテルのいくつかを、検索した。
なまじホテルの規模が小さばかりに、自分たちが目についてしまうというのも、いただけないからだ。
短い思案の末に、キールは「レストローズ」という名の街中のホテルを2部屋予約した。
他州からの団体旅行客も多く、フロント職員らが、一人一人を覚えている可能性が低いと思えたのである。
チェックインを済ませたキールは、とりあえず、荷物だけを部屋に放り込んで、隣りのガヴィエラの部屋をノックした。
中に入ると、荷ほどきもそこそこに、持参のノート型パソコンを立ち上げようとしていた様子が窺える。
「携帯電話を使えよ、ガヴィ。軍内部やシストール社に比べると、ここのネットワーク回線の保護システムは、それほど万全じゃない」
「ん」
短く答えたガヴィエラは、専用の接続コードも、鞄から引っ張り出した。
彼女の荷物は、これが幅をきかせていたのだ。
「モルガンの駅の防犯システムでしょう?……まいったな、どこからアクセスすればいいんだろう。ね、キール?」
「表向き、シストール社の社員である以上、今朝と同じイントラを使わせて貰うより他ないだろう。あの時、マーリィ部長が即席で作り上げたウィルスだって、まだ生きているんじゃないか?」
「……あ、そっか」
キールの言葉を途中まで聞いたところで、ガヴィエラの手は、既に驚くべき速さでキイボードの上を滑っていた。
「画面分割するからさ、画像の方はキールが追ってほしいな。その間に、あの技術部長さんに迷惑がかからないよう、追跡ウィルスに手を加えておきたいし」
「いいけど三倍速の再生とか言うなよ、ガヴィ?俺は化け物じゃない」
「………一・五倍とか?」
存外真面目な顔で呟きながら、ガヴィエラは、モルガン駅のセキュリティモニター画像システムに、アクセスを開始した。