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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第一章 分岐点
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天樹Side5:トリックスター事件(5年前)4

「神月……」


 口を開きかけた天樹の声は、しかしそれ以上のグラウンドの喧騒に、遮られる。


 教室の中に向けかけた足を止め、神月の側をすり抜けるように廊下へと出た天樹は、その廊下の柱の部分に背を預けるようにして、下方に見えるグラウンドへと視線を投げた。


「神月」


 天樹の声に逆らい難いものを感じたのか、神月は言いかけた言葉を飲みこんで、黙って兄の側へと歩み寄った。


「……テレビ局?」


 一見して、軍人と判断出来る男たちと、グラウンド上で押し問答を始めているのは、カメラやマイクを手にした、マスコミ関係者と思しき人間たちである。


「校舎の周りに締め出されてたんじゃ……」

「局の数が多いな。潜り込んだというより、誰かが中に招き入れた感じが―――」


 言いかけた天樹は口を閉ざし、本多兄弟はそこで、申し合わせたように顔を見合わせた。


「……手塚さんだと思う、兄さん」

「……だろうな」


 中・高生に拘束され、身動きが取れずにいる事だけでも、充分な醜聞になる上に、マスコミの目を通して公共の電波に乗れば、武器を使っての強行突破など、論外だ。


 相手は金星軍でもなければ、反政府組織(レジスタンス)でも、ましてやテロ組織でもない。


 強制的な兵役制度を抱えている以上、軍にとって、国民に対しての開かれたイメージは何より大切な筈だった。


「なるほど、相手が軍警察じゃない分、見栄のために、かえって隙が生じたのか……」


「兄さん?」


「これで軍は、示談を前提とした交渉テーブ ルを設ける以外の策が取れなくなった。もともと、武器のないこちら側としては、そうするしか、犠牲者を増やさずに騒動を静める策がなかったんだ。ただ、時間は無限にある訳じゃない。長引けば、軍が見栄をかなぐり捨てて、強行突破を図る事だってあり得るだろう。あとはタイミングの問題、か……」


 さすが、高等部の学年三指と称されるだけはある。口にこそしなかったが、手塚の意図をあっと言う間に察してしまった天樹に、神月は感嘆と悔しさが入り混じったような複雑な面持ちを向ける。


「…………」


 その天樹は口もとに手をあてて、グラウンドの方に視線を投げたまま、何やら考え込む仕草を見せている。


「……神月」

「え……えっ?」

「中にまだ、ケガ人はいるのか?」


 あえて「怪我人」と、天樹は言った。


 死者が出ている事をお互いに分かってはいるものの、それを敢えて口にする気には、天樹はなれなかった。


 日頃は快活さを絵に書いたような表情を見せる神月が、この時ばかりは顔を強張らせているのが、振り返らずとも察せられる。


「……病院」


 ややあって、神月は苦し気に、それだけを呟いた。


「手塚さんと入れ違いで、若宮――水杜さんが、みんな連れて行ってくれたよ」


 若宮さん、と乾いた声が天樹の口から漏れた。


 ある意味予想外とも予想通りとも言えるその同級生の名前に、口元にあてていた手を外すように、天樹の視線が、唇をかみして俯く神月へと戻された。


()も……連れて行ってくれた。たとえ無駄な事でも、ここにいるよりは、ずっといいような気がしたから……っ」


 神月は涙を見せなかった。ただ、唇をかみしめるその姿が、涙よりも雄弁に神月の感情を表しており、天樹は何も言わずにただ、手を伸ばして、弟を抱き寄せてやる事しか出来なかった。


「……っ」


 言葉の代わりにただ、神月は天樹の制服を強く握りしめた。


(若宮さん、か……)


 手塚が敷いた巡回システムをかいくぐり、あまつさえ天樹にも会わず、校内の死傷者を全て連れ出してのけたと言う、彼女。


 この状況で、手をこまねいている筈がないという手塚の言葉に寸分の狂いはなく、天樹もそれ故に、何の連携も意図されていなかった二人の動きを繋げる必要性を、そこで感じた。


「神月」

「あ、ごめん……」


 何かを決意したような、そんな真摯な声に、慌てて神月が天樹から離れた。


「軍の非を衆目に認めさせてやりたいんだったな、確か」

「え?」


「軍にとっての選択肢が狭まってる今なら、通用するかも知れない策が一つだけある。……やってみるか?」


 本多神月に、兄である天樹を上回る点があるとすれば、決断力とその早さであった。


 現状判断力の的確さは、ビジネスセンスとして、天樹よりも企業を継ぐのに適しているのではないかと思わせる程だ。


 そして、そんな天樹の期待通り、この時の神月の決断も、早かった。


「やるよ」


 しっかりと、天樹の目を見返すように、神月は答えたのである。


「止めるどころか、たきつけられるとは思わなかったけど。僕の『覚悟』なら、愛が殺された時点から、とうに出来てるよ。……何だって、やってみせる」


「……いい心がけだな」


 そう言った天樹の口もとに、少しだけ満足気な笑みが浮かんだのを、神月は見た。


 今の状況からすれば、それ以上、褒めたり言葉を与えたりする訳にはいかなかったのだろう。


 ――そして数分後。


 そんな天樹に「策」を耳打ちされた神月から返ってきたのは、完璧な「絶句」だった。


「ペテン?それでいいんだよ。頭を使うんだ、神月」


 天樹はそう言って、躊躇する弟の背を、軽く叩いたのだった。

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