天樹Side2:追跡1日目(7)
「本多君……」
天樹を出迎えた若宮貴子の表情は、ある意味予想通りに、憔悴の中にも、安堵の色が見えるものだった。
必要以上に貴子を不安がらせないためにも、若宮家に顔を出しておくべきだと思ったのは、やはり間違いではなかったのだろう。
貴子が素直に内心を吐露するタイプではないにしろ、読み取れる雰囲気は、確かにある。
――ここで自分たちが手を引く事は、若宮貴子を不安がらせる。
そう言ったガヴィエラの言葉を、今更のように天樹はかみしめた。
「大丈夫です。少し状況が掴めてきました。今、ガヴィとキールの二人にも、若宮さんの当日の足どりを調べさせていますから、何か分かれば、すぐにお知らせ出来ると思います」
「……ごめんなさいね」
「いえ……」
むしろ責任は、軍と自分にある――そう言いかけて、天樹は言葉を続けられなくなってしまった。
貴子の表情が、ふいに、何か別の事に対して謝罪をしているかのように思えたのだ。
まるでまだ、何かを隠しているような――。
「本多君?」
「あ…いえ、何でもありません。ところで貴子さん、少しの間、この家の端末をお借りしたいのですが……可能ですか?」
「え?あ…ええ、パソコンなら水杜の部屋に、何だか大げさなのが置いてあるけど、でも、かなりの本に埋もれてるから、使いにくいんじゃないのかしら。少し片づけるわね」
そう言って、わずかな笑みを浮かべた貴子は、天樹にコーヒーと軽食を出すので、それを食べて少し待つように言った。
「いや、俺の事は気にしないで下さい。必要なら、近くで買ってきて、何とかしますから」
「朝食は食べたの?」
「………いえ」
「でしょうね。その抱えてる資料の束を見れば、そんな暇があったかどうかくらいは分かるもの。その間に、水杜の名誉のために、少し部屋を片付けさせて貰うから、遠慮なく食べて、待っててちょうだい」
「名誉って……」
そんな時ではないと分かってはいたが、ニ人はくすりと笑った。
「俺は気にしませんよ」
「食事の時間以上の手間はかけないから、安心して」
天樹の内心の危惧を、さらりとすくい取って、貴子は台所の奥へと消えた。
こんな時だからこそ、何かしていた方が、気もまぎれるだろうと、天樹は敢えてそれ以上、貴子を止めなかった。
手早くコーヒーとサンドイッチを並べ、そうして20分ほどたっただろうか。
天樹が座っていた、すぐ左手の部屋のドアが静かに開いた。
「どうぞ。机の上の本を、足元に下ろしただけだなんだけど、細かいところは気にしないでやって。…ああ、コーヒーカップとお皿は、そのままで良いわ」
「…すみません」
軽く頭を下げて立ち上がった天樹は、水杜の部屋へと足を踏み入れたのだが、想像以上の本の多さに、部屋の入口近くで思わず足を止めてしまった。
「…こ…れは……」
「はっきり言って、掃除機も拭き掃除もあったものじゃないわよ。つくづく、一軒家にしておいて良かったと思うわ。高層階にでも住んでいたら、間違いなく底が抜けてるもの」
ドアから机までと、机からベッドまでの動線の範囲しか、歩くスペースがない。あとは全て本の山である。クローゼットさえ、部屋の隅に追いやられているようにしか見えない。
まるで図書館の延長線上にこの部屋があるかのようで、生活感が希薄という点では、常に留守がちな自分の部屋と、いい勝負かも知れなかった。
「何だか、図書館に出入りしている業者の人から、図書館で使っているものと同じ物を、安く譲って貰ったみたいなんだけど……あんなのでもいいのかしら?」
「あ、ええ、何とかなると思います」
貴子の声で、本の山から我に返った天樹は、他の本の山を崩さないよう、気を付けながら、パソコンの前に腰を下ろした。
一見すると、ギルティエ社製でもシストール社製でもないハード機器類ではあるが、問題なのは、プロバイダとネットワークシステムであり、天樹は躊躇せずに電源を入れた。
携帯電話と、車から持ってきたケーブル線をポケットから取り出して、若宮家のパソコンの配線を、一部取り替える。
「すみません。後でちゃんと戻します」
一般家庭の電話回線の情報保護は、軍や企業と比較すべくもなく、最も後回しにされている。回線長の痕跡が残ってしまう事を、天樹は危惧したのだ。
無論、そんな事を知る由もなく、もとよりパソコンを駆使する事もない貴子からすれば、黙って見ているより他はない。
「用があったら、呼んでちょうだいね。それ、お昼までかかりそう?」
「そうですね、間違いなく」
「そう、じゃあ用意しておくわ。一緒に食べましょう」
「あ、いや、俺はそういうつもりで言ったんじゃ……」
「貴方は、貴方に出来る事を、まずなさい。それ以外の事にまで気を遣わなくていいわ」
「………すみません」
既に今日、何度目になるか分からない「すみません」の一言に、貴子が呆れたような溜め息をついた。所詮彼女の前では、天樹もただの23歳の若者なのである。
――だがパソコンが立ちあがり、貴子が部を出ていくのを見届けるように、天樹の表情から、笑みは消えた。
「俺に出来る事…か」
ハイウェイを降りて以後の、アルシオーネ・ディシスの足取りは気になっていたが、キールとガヴィエラがいるとなれば、そう時間を置かずとも、その行方は掴める筈であった。
ともかくあらゆる面において、非凡な才を持つ二人である。〝使徒〟程度に太刀打ちが出来る筈がないと、天樹は思っていた。
良くも悪くも、アルシオーネ・ディシスが単独犯だという確信は、天樹にはあった。
カメラ越しの「挑戦状」は、間違いなく組織を抜きにした、彼個人の意思である。今頃は、キール達と〝使徒〟の組織、双方から追われている筈だと、天樹は確信していた。
「やはり〝使徒〟を止めるのが先か……」
アルシオーネ・ディシスが、現在組織と離れた行動をとっているのなら、情報の漏洩・保護という点では、確実に脆くなっている筈だった。もともと、反政府組織のブラックリストに挙げられているくらいなのだから、上手くいけば、軍警察を上手く介入させつつ、組織の力を削いでいく事も出来る筈なのだ。
民間警察を全て取り仕切る軍警察と、軍隊の内部にのみ警察権限を持つ、情報局保安情報部とは、傍目にも分かるほど折り合いが悪い。逆に言えば、軍警察を多少動かしたとこ
ろで、軍内部の「協力者」に事態を察知される可能性は少ない筈である。
軍警察に〝使徒〟の活動拠点区域を二つ、三つ検挙させておけば、組織としての主だった活動は控えざるを得なくなり、アルシオーネ・ディシス、ひいては若宮水杜に向けられる追っ手も、押さえる事が出来ると天樹は見たのである。
―――今出来る事は、これだと確信した。




