キールSide2:追跡1日目(5)
「……答える気はないという事ね」
何の確証も得られなかったという事を、正直にキールは答えたにすぎない。
だが相手は、そうは受け取らなかったようである。
もっとも、相手が素直に言葉を受け取らないように、キールの方も仕向けているのだから、カテリーナが何と答えようと、痛痒は感じないのだろう。
「ここは軍・民間を問わず、国の重鎮を多く生み出している『学び舎』だ。下手に生徒を手荒く扱えば、組織の粛清のきっかけを与えるだけだと思うが?」
「子供でも分かる理屈を、したり顔で言われる覚えはないわね」
「無粋か?それは悪かった。ではお互い、後顧の憂いのない所で、改めてお目にかかるとしようか」
どちらかと言えば、それは本多天樹の論法に近いものがあり、この人、上官に絶対似てきてる…などと、隣でガヴィエラは考えたとか、考えなかったとか。
キール自身、自分から喧嘩を売る事などまずないが、売られた喧嘩は、高値で買い取るタイプなのだ。
なまじ本多天樹よりも腕に覚えがある分、余計とその言動が辛辣になる部分もある。
案の定、苦虫をまとめて噛み潰したかのような、不本意げな表情をカテリーナは浮かべていた。
殊更、相手を返答に窮させた事を誇る風でもなく、キールはカテリーナに一瞥を投げただけで、ガヴィエラを促すと、車に乗り込んだ。
「……ねえ」
一瞬、サラ・ロシュフォールの顔が脳裡をよぎり、このままカテリーナ・ディシスらを残して去っても大丈夫なのかと、ガヴィエラは訝しんだが、キールはとりあわなかった。
「恐らく、俺たちが思う以上に、組織にとってアルシオーネ・ディシスの存在は大きいんだ。言動が過激にすぎる部分を、よほど上手く押さえていたんだろう。このまま行けば、遠からず〝使徒〟は粛清される。カテリーナ・ディシスもそれを肌で感じている。だから自分たちから墓穴をするような真似は、まずしない筈だ。少なくとも、弟と若宮女史の双方を見つけるまでは、な」
「……何ていうか、いつでも話を難しい方向に持っていくよね。キールも、本多先輩も」
「そうか?むしろこれで、幾つかの事がはっきりして、予定が立てやすくなったんじゃないかと思ったけどな」
「例えば?」
カテリーナ・ディシスの視線の手前、とりあえず車を発進させはしたものの、行き先をまだ決めた訳ではない。
自動運転にはまだ切り替える事をせずに、キールは車を表門へと向かわせた。
「良くも悪くも、アルシオーネ・ディシスは単独で若宮女史を連れ回している。これは確かだ」
「うん……そうだね。わざわざ、お姉サマが探しに来てるくらいだもんね」
「そして北へ向かったのは分かっていたが、それは軍ではなく、〝使徒〟の連中の目を欺くためだった」
「……うん」
アルシオーネ・ディシスが〝使徒〟を頼ろうと頼るまいと、彼は北へ向かう。最初にそう言ったのは本多天樹だったが、もしかすると最初から、彼が単独犯だと確信していたのではなかろうか――。
シストール社での天樹の様子を思い浮かべながら、ガヴィエラはふとそんな風に思った。
「――カルヴァンへ行くか、ガヴィ」
「えっ?」
車が大学を出た所で、キールは手元の運転切替ボタンに手を伸ばして、行き先を「空港」と打ち込んだ。
「本当に〝使徒〟の目をも欺く気なのだとすれば、アルシオーネ・ディシスがモルガンから列車に乗り換えて、彼らの拠点都市フィオルティをこれみよがしに通り抜ける可能性は高い。追われる側からすれば、飛行機の始発便まで、のんびり待っていられるような心境でもないだろうからな」
「それで、行き先がカルヴァンだと?」
「断言は出来ないが……ただガヴィ、鉄道時刻表のサイトにアクセスして、モルガンを最も早く発つ列車の行き先を調べてみろ。十中八九、フィオルティ経由ナイキー行きの筈だ。そこはカルヴァンへの玄関口だろう?」
「……ねえ、キール」
車のナビゲーションパネルに手を加え、言われるがまま、鉄道サイトにアクセスをしつつ、ガヴィエラはずっと、頭から消えなかった疑問をぽつりと呟いた。
「本多先輩、どこまで分かってたのかな……?」
「俺が考えている程度の事は、とっくに気が付いてたんじゃないかって事か?言ってくれるじゃないか。さすがにちょっと堪えるぞ」
「いや、別に他意はなくって……」
「分かってるよ。まあ、そのくらいの事には気が付いていて貰わないと、戦場で命は預けられないよ。少なくとも、俺はそう思う」
「キールも、先輩に結構キツイ気が……」
「確かにおまえは、軍を見渡しても比類ない戦闘機乗りだし、一種の『天才』には違いないさ。けど自分を上回る才能を持っていそうな人間に、いちいち怯んでいるのも結構失礼だ。俺なんか寧ろ対抗心をかき立てられるし――と言うか、この程度の事に気が付かない本多先輩じゃないな、そもそも」
それって、自分も天才だって言ってるように聞こえまーす……と反論したガヴィエラの小声を、キールはばっさりと切り捨てた。
「この世の中で『天才』って奴を数え上げたら、自称他称を含めてキリがなくなる。俺はただ、俺なりの自信とプライドを持ち合わせているだけの事だよ」
「――――」
「ここんとこ、らしくないんじゃないか、ガヴィ?」
ガヴィエラのポニーテールの形を崩すように、わざと乱暴に髪をかき乱しながら、キールは彼女の顔を覗き込んだ。
「私はただ……」
「ただ?」
「何だかどんどん、先輩と水杜さんの、踏み込んじゃいけないところに、踏み込んでいってる気がするだけで……」
無論、今の事態を手をこまねいて見ている訳にはいかないのだが、個人のプライバシーとの狭間で、彼女は葛藤せざるを得なかった。
いや、知り合って日の浅い若宮水杜はともかくとしても、少なくとも4年は戦場を共にしてきた筈の、上官の素性を全く知らずにいた事にも、愕然としていたと言ってもよかった。
「まあ……シストール社の人間を、あれほど平身低頭にさせるとなれば、親会社の関係者だとみて間違いはないよな。しかも、苗字も同じ『本多』ときてる」
ガヴィエラの頭に手を置いたままの、キールの発言は、どこか他人事のように暢気である。
「キール、知って……?」
「いや、想像してみただけだ。面と向かって聞いたところで、好奇心が満足させられる以外、一文の得にもならないしな」
「それは…そうなんだけど」
「それに本多先輩も、若宮女史のお母さんも、俺らがその足跡を辿る事を承知のうえで、手を貸して欲しいと頭を下げたんだと思う。だとすれば、事実以上の事には気付かぬフリをしておくのが礼儀なんじゃないか?」
「……それも、そうなんだけど」
今一つ煮え切らないらしいガヴィエラに、キールはわざと大きなため息をついた。
「あんまりぐずぐず言ってると、引きずってでも連れて行くぞ?はっきり言って俺は、おまえ抜きでこの事態がどうにかなるとは思ってないんだからな?」
一見、弱音ともとれる言葉を口にしたキールに、物珍しげにガヴィエラが顔を上げた。
「キール……?」
「あのなぁ、俺は若宮女史と一面識もないんだぜ?俺一人で行ったところで、どうやって彼女信用させるって言うんだ。いいかげん、事態の打開がおまえの方にかかってるっていう自覚くらいは持ってくれよ、頼むから」
「……っ」
目を瞠るガヴィエラの沈黙は、そう長い間の事ではなかった。
頭の上に置かれた手を振り払って、ゆっくりとポニーテールを結び直してから、両手で軽く自分の頬を叩く。
「そうだね。今はまず、出来る事からしなくちゃね。ごめん、キール。それと……ありがと」
「いや。まあ、礼はカーウィンへの奢りを3対7くらいにしておいてくれれば十分だ。もちろん、俺が3な」
「……えぇ……」
すまし顔のキールを、軽くガヴィエラは睨みつけたものの、表立って異を唱えられる立場には、今はない。
諦めて、バックミラーの方へチラリと視線を投げる。
「とりあえず、後ろの尾行車を巻いた方が良いかな?いくらなんでも、カーナビゲーションシステムから逆探知かけられる人なんて、そうはいないと思うし」
「そうだな。いずれ分かる事かも知れないが、後から来る本多先輩のためにも、時間稼ぎは必要だ」
「……ん?」
「どうした?」
運転切替ボタンを、再び手動に戻しているキールの顔を、今度はガヴィエラが不審そうに覗き込んだ。
「本当は今の時点で本多先輩に連絡する気なんて……なかった?ひょっとして」
ロックの外れたハンドルに手をかけながら、キールはこの上もない極上な笑みを、ガヴィエラへと向けた。
「本多先輩抜きで、どこまで俺たちが、アルシオーネ・ディシスを追い詰められるか――やってみたくないか、ガヴィ?」
「……みたい、かも」
普段あまり感情を表に出さないタイプの人物の方が、実は腹をくくった時は恐ろしい。もちろんそんな事は口には出さず、ガヴィエラはシートベルトの施錠を確認しつつ、しっかりと両手で助手席の椅子の端を掴んだ。
尾行を撒く、となれば尚更「安全運転」などという単語は、脳裡から追い払われているに違いない。
「お手柔らかにお願いしまーす……」
それが、今の事なのか、これからの事なのかは、言った当人にも判断はつかなかった。




