ガヴィSide3:追跡1日目(4)
ああ……と論旨を了解したような、短い呟きをガヴィエラも漏らす。
あまりにも、静寂な空間の多い若宮家の内側を見る限り、たとえ貴子が何と言おうと、水杜はそこを離れる事はしないだろうと、ガヴィエラは思ったのだ。
彼女も、本多天樹に通ずる精神を持ち合わていて、自分の事はどこまでも後回しに考えるタイプだと、短い交流ながらに思えていたのである。
本当は、本多天樹の誘いにさえ、激しい逡巡をしているのではないかと、ふと思う。
(それでもどうして、水杜さんは本多先輩の話を一蹴しなかったんだろう)
いったい、二人はどのような言葉を交わしたのか。
——ガヴィエラは少し、知りたい気がした。
「それにしても詳しいですね、ロシュフォール先輩」
先輩、の部分をかなり言いにくそうにしながらも、キールが慌てて、黙りこんでしまったガヴィエラのフォローに入った。
いつ何時、学部や部活など、ボロが出そうな話題を振られるか分からないのである。
サラが不審感を抱く前に、こちらのペースで話を進める必要があった。
「たまたま、ね」
サラはそんなキールの腐心に気付かない様子で、くすりと笑った。
「年齢とか種目とか、たまたま他の部員より接点が多かっただけよ。良くも悪くも目立った二人だったから、ある程度の事は、みんな知ってるわ。ただ、あなたたち見てたら、興味本意で水杜ちゃんを探してる風でもなさそうだから、知っている事は全部話しておいた方がいいかと思って」
「……助かります」
「見つけたら、たまには大学にも顔を出すように伝えておいて」
知っている事は全て話した、と匂わせるように、伝票を掴んだサラは、話の潮時とばかりに立ち上がった。
その仕種で、はっと我に返ったガヴィエラも、慌てて腰を上げる。
「あ、いいです先輩!お時間割いていただいたんですから、私たちが払います!」
「ダメダメ。後輩に奢らせたとあっちゃ、学内での私の評判に関わっちゃうわ。あ、ちなみにウチの陸上部がカルヴァンで常宿にしてたのは〝ヴィクトリア〟っていうホテルよ。一度電話してみたら?」
「あ、ありがとうございますっ!」
ひらひらと手を振るサラの姿が、視界から完全に消えた頃を見計らって、キールが呆れた表情でガヴィエラを見やって、溜め息をついた。
「まったく、何が『先輩』だよ。話合わせる方の身にもなれ」
「ああいう人はね、軍とか警察とかの権威を振りかざしたら、何も喋らない人だと思うよ、きっと」
浮かせていた身体を再び椅子に沈め、ガヴィエラはすっかり冷めてしまったコーヒーを、名残惜しげに飲み干した。
意志の強そうなサラの瞳は、確かにそう見えなくもなかったので、キールも軽い舌打ちをしただけで、それ以上は責めなかった。
「それで、どうするんだ?一気にカルヴァンまで行ってしまうか?それとも経由地のモルガン辺りで、念のために聞き込みしてみるか?」
一刻を争う事態だからこそ、不用意な動き方は出来なかった。それが分かっているガヴィエラも、うーん…と短く唸ったきり、腕組みをして、考え込む。
「とりあえず、その〝ヴィクトリア〟ってホテルに電話してみる…とか?」
「妥当な提案だが、いたとしても、本名でチェックインしているとは思えないのと、通話記録に、俺たちが彼らを探しているという痕跡が残ってしまうのが難点だな」
身も蓋もない言い方だ、とガヴィエラは不満げに呟いたが、キールは取り合わない。
ふいに自分達のテーブルの上に落ちた人影に気が付いて、口を閉ざしたのだ。
「……?」
ガヴィエラも、そんなキールの様子の変化にすぐ気が付いて、顔を上げた。
「おまえたちだな、アルシオーネ様の事を聞き回っているという二人連れは」
どう見ても、大学生には見えない男達が数名、すぐ側で二人を見下ろしていた。
その高圧的な物言いに、ガヴィエラが形の良い眉を、不愉快そうにはねあげる。
「初対面の人に『おまえ』呼ばわりされる筋合は、ないと思うんだけど」
「なんだと?」
「黙って聞かれた事に答えてりゃいいんだ!痛い目をみたいのか!?」
別の男が更なる恫喝を加えた。
喫茶店の中は一瞬にして静まり返っていたが、軍人として、多少は腕に覚えのあるガヴィエラが、その程度で怯む筈もなかった。
「軍隊でしばらく腕磨いてから、出直してきて欲しいなぁ……もっとも、十年たっても、私の足元に及ぶとも思えないけどね」
「なんだと!この……っ」
かっとなった男の一人が、拳をあげてガィエラに襲いかかった。テーブルを奥へ蹴り出すその音に、喫茶店内で悲鳴があがる。
「……やれやれ」
しかし溜め息とともに動いたのは、ガヴィエラではなく、キールの方だった。
周囲の人間の目には映らない程の速さで立ち上がると、彼は素早く男とガヴィエラとの間に割って入ったのである。
――男の拳を、左手一本で受け止めながら。
ガヴィエラ以外の全員が、即座に状況を把握出来ずに、息をのんだ。
「無様な負けっぷりを、衆目にさらしたいのなら構わないが、時間と体力と、この喫茶店の修繕費用の無駄だと思えば、退け。戻って頭に『礼儀をわきまえろ』と伝えろ。そもそもが、人に物を尋ねる態度ではないな?」
これ以上はない程冷やかに言い放って、キールは男を突き放した。
「ガヴィ、行くぞ。これ以上は大学に迷惑だ」
「はーい」
呆然となっている周囲を気にも留めず、二人は喫茶店を後にして行く。
いたずらに騒ぎを大きくするのも得策ではないが、何より、偵察代わりに放たれたとしか見えない「下っ端」を問い詰めたところで、得る物があるとも思えなかったのである。
案の定、キールの迫力に押されたのだろう。男たちは追いかけて来なかった。
「……何だ、つまんないの」
自分の内心を見透かされたかのような、ガヴィエラの呟きだったため、それまでの冷やかさを一変させるように、キールは笑った。
「そうたびたび、売られた喧嘩を買っていたら、身体はともかく、金がもたない。たまには自重も必要だろう」
「そりゃぁ……服だの鞄だの、買い替えなくてもいい訳だから、騒ぎを起こさないにこした事はないんだけど。それで、今からどうするの?本多先輩に一度連絡いれてみる?」
「そうだな……今ある情報だけでも、俺たちとは違った見方が出来るかも知れないしな……」
そう言いながらも、キールの歩く速度がふいに変わった事に、ガヴィエラは気が付いた。
「……キール?」
「黙って歩くんだ――ガヴィ」
駐車場の入り口には、肩の辺りで、茶褐色の髪を活動的に切り揃えている女性が、一人立っているだけである。
だがその彼女をこそ、キールが警戒していると、一瞬でガヴィエラも察したのである。
何よりも、その顔には見覚えがあった。
(……どこで見たんだったっけ……)
すれ違う刹那、声を発したのは、その女性の方だった。
「配下が礼を欠いたとか。悪かったわね」
「――あ」
その記憶を脳裡から引きずりだして、思わず足を止めかけたガヴィエラを、肩に手を回したキールが、無理矢理車まで引っ張って行った。
ドアに手をかけたところで、初めて顔を上げて、相手を見やる。
「残念だが、ここは徒労だったようだ。貴女の弟は、俺たちよりもはるかに頭が切れるらしい」
見た目には、似ているとは言い難い。だがキールを鋭く睨みつけたその目は、彼との血の繋がりを、確かにガヴィエラに感じさせた。
カテリーナ・ディシス。現在反政府組織〝使徒〟を実質上率いている、アルシオーネ・ディシスの姉が、そこにいた。




