ガヴィSide2:追跡1日目(3)
シビラ大学は、首都アルファードはおろか、海を隔てた大陸まで、その名が響くほどの名門大学である。
未来の国家を担う人材を育てるという理念の下、難関試験を突破した人材がここに集う。
しかしほとんど全ての人間が、兵役を終えてからの入学となるため、兵役を拒否したまま在学していた、若宮水杜のような存在は、学内では相当目立っていた筈だ。
良い情報、悪い情報色々あるだろうにせよ、手がかりは意外に多いのではないかと二人とも考えていたのだ。
一足遅れて学内に足を踏み入れたキールと、学生課のある棟の中からガヴィエラが出て来たタイミングとが、ほとんど同時だった。
「……なんだ、一緒に入れば良かったのに」
困ったような笑いを浮かべるガヴィエラの表情が、さっきの照れ隠しだと、察したキールは微笑ってその言葉を受け流した。
「中で話を途切れさせるよりは、終わってからおまえに聞く方がいいだろうと思ったんだ。で、学生課は何て?」
「あ、うん。貴子さんが病気で…って、今回も言ってみたんだけど」
「無難だな。それで?」
「やっぱり有名なのかな、水杜さんって。聞 く私たちの事も、全然不審に思われなかった し、おまけに部活の後輩って言う子まで紹介してくれた」
「部活?」
「うん、部室はこっちだって」
来るか?とも、来いとも言わず、ガヴィエラは歩き出す。
キールがついて来るのが当然と、信じて疑っていない態度であり、もはや嫌味を言う気力も失せたらしいキールは、 聞こえない程度の溜め息とともに、その後に 従って行った。
「あ、ここだ」
「……陸上部?」
およそ図書館勤務の才媛とは縁遠い部室の前で、キールはたっぷり十数秒の空白の後、ガヴィエラに囁いた。
「ホントにここで合ってるのか?」
「……その筈なんだけど」
ドアに手をかけるガヴィエラの声も、どこか頼りなさげだ。
「あのー……サラ・ロシュフォールさんって、こちらですか?」
ドアを開けた瞬間、にぎやかだった部室の中が、一瞬にして静まり返った。
だが集中した視線の先が、自分たちとそう年が変わらないように見える二人だったせいか、その空気はすぐに和らいだ。
部屋の奥で、一人の女性が手を挙げる。
「私だけど?」
「……えーっと」
その一言で、かえって面食らったらしいガヴィエラが、困ったようにキールを見上げた。
「ホントに、陸上部で合ってたみたい」
……キールも、肩をすくめるしかなかった。
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「え、水杜ちゃんとシオン君の事?」
話がある、と言った見知らぬ訪問者を、サラ・ロシュフォールは構内の喫茶店へと誘った。
「あなたたち、一年生ね?あまり見かけない顔だし。それがどうして、二人の事を?」
「あ、いや俺たちは――」
「私たち、水杜さんの家の近くに住んでるんです。それで彼女のお母さんとも親しいんですけど」
地球軍の人間、と言いかけたキールの脇腹を思い切り小突きながら、ガヴィエラが珍しく話の主導権をとった。
「お母さん、今ちょっと具合が悪いんです。でもどうしても、水杜さんと連絡が取れなく て。それで職場の国立図書館へ行って聞いたら、その『シオン』って人と出かけたって言われて……途方に暮れてたら、ロシュフォール先輩だったら何か知ってるかもって、学生課の人が教えてくれたんです」
普通の人間は、軍人と聞けばどうしてもび腰になる。その事をよく知っているガヴィエラは、敢えてサラの思い込みを訂正する必要はないと判断したのだった。
もちろん、士官学校になど行かずに、通常の教育課程を受けていれば、今ごろは兵役を終えた学生と言ってもいい年代なのだから、まるきりの虚構にも見えない。
呆れたようなキールの視線を受け流して、ガヴィエラはあくまでにこやかに、そして水杜を心配している表情を時折見せながら、サラに話しかけた。
「……水杜ちゃんとシオン君が一緒に、ねえ……」
ふと意外そうな呟き声を、サラが漏らした。
「ロシュフォール先輩?」
「ああ、ごめんごめん。確かに、もう卒業しちゃった二人だけど、シオン君は同い年だし、 水杜ちゃんは年下だから、どうしても気安くなっちゃうのよ。ま、この事は本人達も了解済みだったんだけど」
「……先輩と同い年?」
「家庭の事情で一年間休学していたのよ、私。実際のシオン君は、三年前にここを卒業してるわ。――そう、兵役につかないまま、ね」
ガヴィエラの表情の読んだのだろう。先回りするように、サラが答えた。
「いくら全大陸から生徒が集うと言っても、 兵役につかずに入学してくる生徒はそう多くないし、良きにつけ悪しきにつけ、お互いを意識せざるを得なかったんじゃないのかな。私が入学した頃にはもう、他人が口を挟めないような空間が出来上がってたくらいだったわよ」
「……へーえ……」
つまり、誰が見ても似合いの二人だったと言う事だろう。
ガヴィエラの呟きは、驚きと複雑さとが微妙に入り混じったものだった。
「あの、それで、二人とも陸上部だったんですか?」
微妙に話の方向性をずらしはしたが、恐らく気付かないキールではないだろう。
そのキールは、先刻から全くの無言を決め込んで、話の成り行きを窺ってはいるのだが。
「そうよ。それも水杜ちゃんは大会記録を叩き出すほどの短距離走者、シオン君もこの大学では右に出る者がいない程の、走り高跳びの選手だったわ。彼のフォームは、それ自体が『芸術』と言ってもいいくらい綺麗で、今だって、彼を抜くほどの選手は、この大学にはいないのよ?」
懐かしそうに、嬉しそうにサラは当時の様子をそう語る。察するところ、このサラも走り高飛びの選手といったところなのだろうか。
「ああ……そういう意味で言えば、一ヶ所だけ、二人が行きそうな場所をあげる事は出来るのかな」
「えっ」
サラの回想を、うっかり右から左に聞き流しかけた二人が、驚いたように腰を浮かせた。
どこですか?とガヴィエラがせっかちに問いかける。
「陸上部の毎年の合宿場所。水杜ちゃんとシオン君が、親しくなったきっかけの場所でもあったみたいだから、久し振りに会って出かけてるんだとすれば、多分そこなんじゃないのかな。知ってるかしら?クライン湖畔のカルヴァンっていう地区なんだけど」
「カルヴァン?」
「有名な景勝地だ、ガヴィ。ただあまり近い場所だとは言えない」
頭の中で地図を広げながら、ややあって、キールがそう呟いた。
このアルファードからだと、幾つかの地区を丸ごと越えて行かねばならず、確信を持たずに行く距離としては、少し危険だ。
(賭け、だな)
もう少し確証が欲しい、とキールは思った。
「久し振りに会って……って事は、二人は長い間、会ってもいなかったって事ですか?」
キールの内心を知ってか知らずか、ガヴィエラは、相変わらずサラと話し続けている。
その筈よ――と笑ったサラの笑みは、少しほろ苦かったのだが。
「一年半くらい前だったかしら……シオン君の身内が亡くなって、どうしても跡を継いで貰わなくちゃならなくなったって、彼のお姉さんが迎えに来たのよ。シオン君、水杜ちゃんに一緒について来て欲しかったみたいなんだけど……あ、本人から聞いた訳じゃないのよ。水杜ちゃんが一時期相当悩んでいたから、多分シオン君がそんな事を言ったんだと思うの。でも水杜ちゃんも、たった一人の身内であるお母さんを置いて、シオン君について行くなんて出来なかったんじゃないのかな。結局シオン君は一人でこの町を離れていったし、水杜ちゃんは、残っちゃったしね……」
つまりはそれでジ・エンド、とサラは両手の人差し指を軽くクロスさせた。