キールSide1:追跡1日目(2)
辿り着いた地球国立図書館で、応対したのは、この図書館の警備員を古くからやっていると言う、マルティン・デフォーだった。
「アルシオーネ・ディシス?……ああ、シオン君の事か。来てたとも、確かに」
あまりにあっさりとデフォーは首肯し、キールとガヴィエラは、そこで顔を見合わせた。
「ホントですか?」
「いくら何でも、一年半前まで勤めていた人間を忘れるほど、耄碌はしとらん」
「———―」
ガヴィエラは、軽く目を見開いた。言われてみれば、若宮貴子も確かそう言っていた。
アルシオーネ・ディシスは、この図書館を辞めて“使徒”に身を投じた、と。
「まあ確かに、閉館時間はとうに過ぎとったが、知らない間柄でもなし、追い返す筋合いもなかろうと思ってな」
「……そ、それで?」
「しばらくは、昔話に花でも咲かせとったんじゃないかな。何しろ同じ大学の先輩後輩で、ゼミもクラブも同じだと聞いた覚えがある」
「……っ」
隣りに立つキールが、はっきりと眉をひそめた。
——呆れるほど、明確な「接点」だ。
ガヴィエラは、敢えてキールからは視線を逸らしている。
「だがしばらくして、急に女史が倒れたと、シオン君が言ってきたな。それで慌てて、彼が女史を連れて帰ったよ。もちろん、翌日、館長にもそう伝えた。他ならぬシオン君が—―彼が一緒なら、そう騒ぎ立てる事もないだろうという事でな、その日は収まったよ。その後は、大事をとって一週間ほど休ませた方が良いらしいと、シオン君の方から電話を貰っていたが……ふむ、どこか郊外の病院にでも入院させておるのかな?」
盲点だ、とキールは思った。これほど怪しまれずに、人一人を連れ出す方法もないだろう。最初から、若宮水杜を連れ出す目的だったとしか思えないほど、手際が良い。
明らかに、ここまで自分たちが後手に回っている事を、キールは思い知らされた。
「彼はどこへ行くとか、誰かと会うとか、そう言う事は、貴方には言わなかったんですね」
あまり期待をせずに聞いた、キールの声色を察したのかどうか、デフォーも申し訳なさげに頭をかいた。
「何か用事を済ませて、時間が余ったのだとは言ってたな。それでここに立ち寄ってみる気になった、と。この図書館の人間のほとんどは、彼が辞めた事を残念に思っておったから、それ以上しつこく聞く事もせんよ」
もし彼が勤め続けていたなら、この図書館の古典文学の翻訳作業は、今より倍は捗っていると、心から残念に思っている様子で、デフォーは言った。さすが、並の図書館職員より在職歴の長い警備職員である。
長い間、この図書館の実情を眺めてきた彼が、アルシオーネ・ディシスの退職を惜しむ声には、充分な重みがあった。他の職員に聞いたところで、これ以上の情報は得られないと、キールは諦めた。
「どうして、その彼が辞めてしまったのかは、御存知でいらっしゃるんですか?」
どちらかと言えば、話を切り上げる方便のようにキールは聞いたのだが、そこでデフォーは思いもよらぬ言葉を返した。
「家庭の事情としか聞いてはおらんよ。ここを辞めた最後の日にも、彼の姉とやらが来て、急き立てるように行ってしまった。あれは本意ではなかったろうよ、可哀相に」
「―――姉」
家と図書館とを往復する、典型的な一般市民であるデフォーは、無論軍や反政府組織の構成や動向になど、気を配る筈もない。それがアルシオーネ・ディシスが“使徒”として歩み出した瞬間だなどと、気付きようもなかったのだろう。
これ以上はデフォーに不審を抱かせるかもしれないと危惧したキールは、ガヴィエラを急きたてると、礼もそこそこに図書館を出た。
「足取りの第一歩は掴めたにしろ、具体性に欠けたな。どうするガヴィ、シビラ大の方にも行ってみるか?」
車の運転席に腰を下ろし、左手でナビゲーションシステムのパネルを開きながら、キールがガヴィエラに問いかけた。
「……うん」
助手席に腰を下ろしたガヴィエラの返答は、おざなりだ。
「気になるのか?さっきの、あの人の話」
二度は聞き返す事をせず、強制的にナビゲーションシステムの行き先を、若宮水杜の母校・シビラ大に設定しておいて、キールは運転を手動ではなく、自動システムへと切り替えた。
――無言のまま、車は静かに走り出して行く。
「……何を見極めるにしても、まだ材料は少なすぎるぞ、ガヴィ」
「……うん」
何か思いつめたような表情で俯くガヴィエラに、キールは内心で肩をすくめた。
若宮家での貴子とガヴィエラの会話を、電話の探知を通して、ある程度は耳にしていたのだから、本多天樹よりも、あらかたの事情は飲み込めようと言うのに、彼女はそれを、一人で抱え込もうとしていた。
天樹を「水くさい」と言う彼女自身が、現在同レベルにあると言う事に、まるで気付いていないのだから、お笑い草だ。
馬鹿馬鹿しくなったキールは、それっきり、国立図書館からシビラ大まで、約一時間の行程、ほとんど口を開かなかった。
手持ち無沙汰になってしまい、腕組みをしつつ、ふて寝を決めこむ。
「……キール、キール」
どうやら途中から、本気で寝てしまっていたらしかったが、そこでようやくガヴィエラが、キールの身体をゆすって、声をかけた。
「ああ…悪い。着いたのか?」
「うん、あと5分ほどで着く。ごめんねキール。一晩中付き合わせちゃったし、眠くもなるよね」
「……一晩中付き合わせたのは、むしろ俺じゃないか?」
「そう…だっけ…?あれ?」
「いいから、それ以上殊勝な事は言わないでくれ。雨やら雪やら降ったら、余計と若宮女史を探しにくくなる」
「………ヒドい」
起きぬけとは、とても思えないセリフを連発するキールに、一瞬ガヴィエラは返す言葉に詰まったのだが、すぐさま頬をふくらませて、キールの方に詰め寄った。
「何よ、人がせっかく体調心配して―――」
「おまえがめでたく物思いから解放されてくれたところでだ、ガヴィ。――着いたぞ」
左手で、自分の襟首を掴んでいるガヴィエラの手を押さえて、右手で表の景色を指差しながら、キールは微笑った。
「これが大学の前でなきゃ、おまえに迫られるなんていう、こんなシチュエーションは大歓迎なんだけどな?」
「………っ」
完全に反論の余地をなくして、顔を紅潮させたガヴィエラは、無言でキールから離れると、代わりにけたたましい音を立てて、車のドアを閉めると、キールを置いてさっさと一人で大学の構内に入って行ってしまった。
「ここで茶化すから悪いんだよなぁ…俺も」
髪を乱暴にかきあげて、車を駐車場の方へと向かわせながら、自嘲ぎみにキールは笑った。
単なる同期と言い切ってしまうには、やや
複雑な感情が、互いにはあるのだが、早くから軍になどいる以上、どちらにも、自分自身の事について語りたくない部分があるため、その関係は、今もって自分たちでも説明が出来ない。
(おまえも気の長い事だな)
だがキールの本心など、とうに見抜いているリカルド・カーウィンの言葉は、的を射ながらも、いつもかなり皮肉めいている。
それを思い返してしまった事自体が、かなり不本意であるかのように、顔をしかめて、キールも、本来は自動で閉まる筈の車のドアを、自分の手で音を立てて閉めてしまった。
「今はそれどころじゃないな。あいつは……ま、普通に考えれば学生課か」
二、三度頭を振って、気持ちを切り替えるように歩き出したキールは、ガヴィエラの姿を探した。