ガヴィSide1:追跡1日目(1)
夜明けのシストール社を出たキールとガヴィエラは、いったん自らの官舎へと戻ると、互いが簡単な旅支度を整えた。
一戸建てを有する将官の官舎とは違い、佐官級の官舎は、低層の高級マンションと言った趣きである。
ただし男女の区別は整然となされており、ややあってから、キールが100m程離れた所にある、ガヴィエラの官舎へと迎えに行くと、彼女は旅支度もそこそこに、自室のパソコンと格闘しているところだった。
ガヴィエラはいつも現地調達主義であって、旅支度と言っても持つ物は最小限であり、かける時間は一般的な女性の半分にもならない。
「例のアルシオーネ・ディシスの車、どうやらモルガンで乗り捨てられたみたい」
士官学校時代からの長い付き合いであるが故に、今更「まだ入っていいとは言っていない」などと返したところで無意味なので、ガヴィエラは、見ていたパソコンの画面を指さしただけで、軽口は叩かなかった。
彼女はさっそく、天樹の揶揄に応じて、地上車のナビゲーションシステムの応用から、アルシオーネ・ディシスの乗った車の行方を
突き止めていたのである。
ガヴィエラの背後から、パソコン画面を覗き込みながら、キールが口もとに手をやって、考え込む仕種を見せた。
「モルガン?……フィオルティの、南の玄関口か」
「うん。間違いなく先輩の読みは、ここまで合ってると思うんだけど。でもここって、航空機だけじゃなくて、北部と西部への鉄道の基点にもなってる地区でしょ?結構この先を辿るのって、大変そう」
「…珍しく弱気だな、ガヴィ」
「事実を事実として把握しておくのも、大事だと思うんだけど」
珍しく、は余計だとでも言いたげに、ガヴィエラがキールを軽く睨んだ。
いっこうに痛痒を感じない様子で、キールが肩をすくめる。
「確かに立派な心がけだ。だがまだ全ての手がかりを調べ尽くした訳でもない。そのセリフは、もう少し後にとっておいても、いいんじゃないのか?」
「……どういう事?」
「若宮女史と、アルシオーネ・ディシスとの接点に関して、避けて通るつもりか」
声をあげかけたガヴィエラを、鋭い視線でキールが遮った。
「データを見る限り、アルシオーネ・ディシスという人間は、元来、荒事には向いていないタイプだ。女性一人連れて、さらに追っ手をかわしつつ、未知の土地へ向かえるタイプでは、到底ない」
「だから?」
「その彼が、それでも行動を起こしたのなら、女性も、土地も、見知らぬものではなかったという事になる。そう仮定した上で、女史と旧知の間柄である筈の本多先輩に、心当たりがないのなら、その接点は、女史の大学か、図書館勤務時代かのどちらかに絞られる事になる。アルシオーネ・ディシスが行きそうな場所、と言う事で、あたってみる価値はあるだろう」
「………」
強引な論法だと呻いてはみたが、説得力はなかった。弱々しい抵抗として呟いてみただけで、それっきりガヴィエラは、複雑な表情を浮かべて、沈黙してしまったのである。
その沈黙こそが問題なのだと分かってはいても、キールに反論出来るだけのものを、ガヴィエラは持ってはいなかった。
――これ以上は、若宮水杜という女性のプライバシーに関わる問題なのだとしても。
「……俺が、若宮女史のプライバシーを暴いて楽しむような人種に見えるのか、おまえ?」
まるでガヴィエラの心中を見透かしたかのような、冷やかなキールの問いかけに、はっとガヴィエラが顔を上げた。
「そういう…わけじゃ……」
「ガヴィ」
「ホントに、そういうわけじゃない。キールなら、ある程度察しはつくんだろうっていうのも分かってる。でも私にも、貴子さん――水杜さんのお母さんとの信頼関係っていうのもあるから…その辺も、察してくれないかな」
視線を交わしたのは、ほんの一瞬。
そしてこの時も、折れたのはキールの方だった。
「本多先輩といい、おまえといい、言い方を変えれば、俺が折れるとでも思ってるのか?まぁ…おまえや先輩をいじめて楽しめる状況にないって事も確かだけどな」
「……いじめ……」
「どうするんだ?図書館へ行ってみるか?それとも、大学か?」
「……図書館、かな。何より水杜さんが最後にいた所だから、アルシオーネ・ディシスの事も、誰か見てるかも知れないし」
「分かった、じゃあ俺の車に乗れよ。やみくもに、モルガンへ向かったって始まらない。まずは図書館へ行こう」
図書館の一般開館時間まで、まだ少し間があったものの、状況が状況である。
少し考えたガヴィエラは、若宮水杜の母・貴子に病気になって貰う、と言う古典的な方法を使う事にした。
まさか、今起きている事態を公にする訳にもいかない。アルシオーネ・ディシスと出かけていて、連絡がつかないとでも言うしかなさそうだった。