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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第四章 過去からの挑戦状
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天樹Side6:シストール社3

「それと先輩、これは余計な事かも知れませんが、合わせて、誰が“使徒(ディシス)”に情報を流していたのかも、突き止めておくべきですよ。相手次第では、先輩の身を守る『保険』にだってなる――いや、俺が保険にしてみせますから」


 そう言った、言わば「裏取引」は、天樹の好むところにはないと、分かってはいたが、戦場以外の地で、二度と(タカキ)を窮地に追いやる訳にはいかない。キールは、強気だった。


「……分かった」


 コンピュータを見つめる背中越しでも、眉をひそめる天樹の表情の想像がついたが、天樹の口から紡がれたのは、意外な言葉だった。


「ガヴィも連れて、先に出てくれ」

「え?」

「俺がここに残る」

「先輩……」


 いいんだ、と天樹は二、三度首を横に振った。


「何度も言うようだが、二人に軍人としての地位を失わせる程のリスクを背負わせるつもりはないんだ。だから出来得る限りは、俺が自分で何とかする。もちろん、彼女の居場所が分かれば、俺は必ず二人に追いついて見せる」


 それは異論の余地も挟みようがない程の、決意に満ちた声であり、ガヴィエラは異論の代わりに、隣に立つキールに、相談の視線を投げた。


 ガヴィエラの言いたい事も、良く分かっていたが、もはやそれ以上天樹が折れる事はないと察したキールは、分かりました、と頷く事しか出来なかった。


「極力連絡は入れますよ。お互い()()()()はしない、という事でお願いします」


「……よほど俺も信用がないらしい」


「先輩が、滅多に()()()()()()()()だと言う事は、分かっていますからね。それだけですよ」


「…………」


 とりあえず、天樹を返答に困らせた事に満足したかのように、艶然と微笑んだキールは、その長身を翻して、部屋を後にする。


 ガヴィエラは、一瞬困ったようにキールと天樹を見比べたが、それも短い時間の事で、結局は黙礼を残して、キールの後について行ってしまった。


 手を止めないまま、マーリィがちらりと視線だけを、そんな二人の背中へと投げた。


「あのお二人は、地球軍の……?」


「大丈夫だ。もともと何かを話していた訳じゃないが、それでも、俺の事やここの事を口外したりするような二人じゃない」


 本多天樹が、実は一大多角経営企業(コングロマリット)の長、本多財閥の長子であると言う事実を知る人間は、(こと)ここに至っても、軍内部には、片手の

数もいなかった。


 彼は幼少時に、財閥子弟の誘拐を恐れた両親が、戸籍をその祖父母の下に移していたのだが、敢えてそれを自らの意志で戻す事をしていなかったのである。


 もちろん〝アステル法〟を受諾した時点で、財閥の後継者を名乗る権利などあるまいと、天樹自身は思っていたのだが、どのみち、軍などと言う場所で、まともな経歴を持つ者は、そう多くない。


 このシストール社の親会社を知れば、必然的に天樹の素性の想像はつくのかも知れなかったが、キールやガヴィエラ達の方にも、語るつもりのない経歴がある以上、相手の詮索など試みる筈もないと、天樹は分かっていたのだ。


「さて、と」


 そんなキールやガヴィエラの姿が完全に見えなくなるのを見計らって、天樹も本格的に、立ち上げられたコンピュータの一台と向かいあった。


 一見、非公開のアステル法申請に関する情報を知り得る人間は限られているように見えるのだが、それでも、総務局全般、情報局内の調査部・保安情報部、技術局内の作戦部には、それを知り得るチャンスはある。


 そして宇宙局の幹部級をも対象とすれば、百人は下らない筈だった。


 条件を絞り込む必要がある――天樹がそう考えたのを察したかのようなタイミングで、手は止めないまま、マーリィが一つの提案を天樹に持ちかけた。


「まずは、非公開情報に対して高位のアクセス権を有している方々の中で、ごく最近アクセスをされた方をピックアップされてはいかがですか?技術系企業や商社と違い、反政府組織(レジスタンス)からの見返りになど、軍がさほどの期待を寄せているとは思えません。むしろ、何かの弱みを握られて、アクセス権そのものを提供させられているとは、見れませんか?」


「……マーリィ」


「あ、いえ、何も地球軍そのものを批判しているつもりはないのですが」


「……いや、さすがにこのシストール社で、将来を嘱望されているだけの事はあると思っただけだ。軍への批判だとは思っていない」


 若干、感心した様子の天樹に、光栄です、とマーリィも微笑を返した。


「天樹さま、こちらの作業はまもなく終了しますが、目ぼしい人物を絞られたら、そのアクセス権に追跡ウィルスを埋め込めるようなプログラミングを行いましょうか?」


「そうだな、使用回線が突き止められれば、その時点で、ハッキングは一気に証拠物件へと早変わりする。途中経過はどうあれ、シストール社のバックアップを取り沙汰される事もないな」


 そんな事を心配するくらいなら、最初から天樹を中に招き入れたりはしないのだが、もはや抗弁する気も失せたのか、マーリィは苦笑ぎみに首を振っただけであった。


「午前中いっぱいと言う事で、支部長にこの部屋の使用許可と、社員を含む我々二人以外のアクセスを許可しないよう、セキュリティを一時強めて貰いましたが、それで宜しいですか?」


「構わない。それである程度は絞り込めるだろうし、何よりそれ以上は外部に不信感を(いだ)かせる。――後は、俺の腕の問題だけか」


 天樹はそう言って自嘲ぎみに笑ったのだが、直後に響き始めた、キイボードの上を滑るような優雅な手つきとキイの音に、マーリィは一瞬息をのんで、背後の天樹を振り返った。


 巨大財閥の後継者として、高校を卒業するまでは、英才教育を施されてきたと聞いてはいたが、画面を見つめる表情と、その手の動きで、その腕はひょっとするとマーリィを上回るかも知れないと感じたのである。


(この方は……)


 言葉だけではなく、その行動一つで他者の心を掴んでしまう――いわゆる「カリスマ性」を、本多天樹も明らかに有している。そうでなければ、今や軍人として、財閥の後継者としての地位を放棄している筈の彼に、シストール社の人間の誰もが好意的でいられる筈がないのだ。


 天樹からは見えない位置で、マーリィは姿勢を正すようにコンピュータと再度向き合い、二、三度指を鳴らした。


 本職の技術者として、ここは負ける訳にはいかなかった。


 まるで、目に見えない「壁」に挑もうとするかのような緊張感が、マーリィを捉える。


 二人きりの部屋には、しばらくコンピュータの稼動する、鈍い機械音と、キイが叩かれる音だけが響いていた――。

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