天樹Side4:シストール社1
当初、人気の全くなかったこのシストール社へと足を踏み入れた天樹を出迎えたのは、弱冠35歳にして、シストール社アルファード地区を統括する技術部長、ステュアート・マーリィだった。
「こんな時間からすまない、マーリィ」
「いえ。聞けばギルティエ社のネットワークを介さずに、どうしても入手したい情報がおありだとか。我々シストール社の者が、それに否と答えましょうか。ましてや、他ならぬ天樹さまの頼みとあっては、尚更」
「その『天樹さま』は、やめてくれないか」
入り口からエレベータへと向かう傍ら、天樹が僅かに顔を顰めた。
「俺は、今はただの軍人だよ」
「ですが天樹さま――」
「いや、違うな。こうして無理を承知で、頼み事を持ちかけている時点で、俺にも本多家の血を引く者としての増長はあるんだろう。なるべく、これっきりにしておくよ」
そんな事を言いたいのではない、とマーリィの目が不満げに訴えていたが、天樹はあえてそれを無視した。
「メインコンピュータがある部屋は何階なんだ、マーリィ」
「25階です。容量と保安、双方の観点から、部屋を目的別に分けているのですが…どの部屋を?」
天樹を先導するようにエレベータに乗り、25階のボタンを押しながら問いかけたマーリィに、天樹が一瞬だけ、思案する仕種を見せた。
「通信衛星システムと、車両通行システムに関する部分か……ああ、部屋は俺一人にしておいてくれて構わないよ。シストール自慢の若手技術者に、何かあったら大変だからな」
無論、天樹が自分のやろうとしている事に関わらせまいとしているのは承知の上で、マーリィは、首を縦には振らなかった。
「我が社の製品をお疑いですか?このような時間に来られる事を思えば、ご希望の情報と言うのが正規のものではない事くらい、私にも想像がつきます。ですがこの事で、軍におけるギルティエ社の独占市場が突き崩せるのなら、天樹さまと一蓮托生でも私は本望ですよ」
「マーリィ……」
さすが、若くしてシストール社の技術部を担うだけあって、マーリィの意地とプライドも、生易しいものではない。ましてやここは首都であり、地球軍の本部がある地区だ。当然、この地区でのギルティエ社との市場争いは、社をあげての命題とさえなっており、マーリィとて、滅多な事で引き下がれよう筈もなかった。
25階に着き、エレベータを降りて、マーリィの半歩後ろを歩きながら、まいったな……と天樹は頭を振った。
「マーリィ、ここだけの話としてはっきり言えば、軍内部に、ギルティエ社と癒着して、軍の情報を金に換えている人間がいるんだ。俺がやろうとしている事は、並の企業戦じゃない。分かるな?」
「それならば尚更、天樹さまをお一人にはしておけません。私が鳴海会長に叱られてしまいます」
「ありえないよ。俺は親の期待に背いた不肖の息子だよ」
「……本気で言っておいでですか?」
「…………」
「――失礼しました。出すぎた事を申し上げました」
「いや……」
並の親子関係など、とうに崩壊しているだろうが、そんな事を今、ここで言い出しても意味はない。
いくつかのコンピュータに電源を入れ始めるマーリィを、どう説得したものか天樹が思案しはじめた時、事態は思わぬ方向――それも彼の最も望まぬ方向へと、傾いたのである。
「おっはようございまーす!」
「……っ⁉」
聞き覚えのある声が、人気のない部屋に大きく響き渡り、天樹はまともに言葉を詰まらせてしまった。
当然、その声の主を知る由もないステュアート・マーリィは、絶句してその場に立ち尽くしている。
「ああ、よかった。やっと追いついた」
ゆっくりと入口を振り返った、彼の目に飛び込んで来たのは――見慣れた金髪の美少女。
そして当然、彼女が一人で来る筈もない。
「とりあえず、後でゆっくり、俺たちを忘れていった理由は伺いますよ、先輩」
「ガヴィ……キール……」
どうしようもない、と言った風情で、天樹が天を仰いだ。
二人が未だに軍服を脱いでいない事からすれば、事態の想像は容易についた。
「石頭が三人に増えた、か」
石頭扱いされたガヴィエラが、ちらりとマーリィの方へと視線を投げたが、構わずに抗議の声をあげた。
「石頭はどっちですか?先輩一人に危ない橋渡らせて、私たちが放っておけるとでも思ってたんですか?」
「放っておいてくれて構わないんだよ、いっこうに」
「先輩!」
「天樹さま!」
見知らぬ二人組は、どうやら天樹の軍における部下のようだと察しはしたが、現状を鑑みるに、マーリィでさえ、表立って誰かと問う訳にもいかない。
たださすがにその発言は看過出来る類のものではなく、声をあげたが、天樹の鋭い視線に、それ以上を遮られたのだ。
「その呼び方は、よせと言っている筈だ」
「――――」
その剣幕には、当のマーリィだけでなく、部屋にいた全ての者が、個性に応じた怯みの色を浮かべる。
そんな3人に視線を投げつつ、天樹は僅かに嘆息した。
「俺は、軍の一部高官しか知らない筈の情報を、たかだか一反政府組織である筈の“使徒”が知っているという点に疑問を持っているんだ。ギルティエ社のネットワークとて、日常業務に支障をきたすほど、そう不完全なものでもない筈だ。とすると考えられるのは、その『一部高官』の誰かが、ネットワークのセキュリティを故意に緩めているか、自身で金に換えているかの、どちらかと言う事になる。ならばその流れを、まずは断ち切らない事には、何も始まらない。限られた時間の中で、障害が増える一方だ」
「だったら、先輩……!」
「俺は、失敗して失脚するのは、俺一人で充分だという話をしているんだよ、ガヴィ」
天樹の口調には、常の穏やかさがない。
思わず即答しそこねたガヴィエラを、かばうように、キールが口を挟んだ。
「先輩がそこまで危惧するほど、事態の根が深いのであれば、俺たちも尚更引きませんよ、先輩」
「キール……」
「今の第九艦隊が、正直、先輩抜きで成り立つと思っているんですか?先輩が失脚したが最後、それこそ全員滅亡への淵をまっさかさまですよ。全員が全員、先輩が信頼してやまない、アルフェラッツ少将やダングバルト少将の麾下に入れる訳でもない。俺はどちらかと言えば、自分が生き延びるために、先輩に失脚していただく訳にはいかないと思ってるんですよ。命の危険なら、この今の事態に対しての方が遥かに少ない。そうじゃないですか?」
さすが「技のガヴィ」の対となり「知のキール」と称される青年である。天樹自身の命ではなく、その配下の、何万という兵士の未来を突きつけて見せたあたり、自分自身の評価に厳格な天樹の性格を、十二分に承知した論法だった。
案の定、天樹は眉を顰めたまま、不本意げに黙り込んでいた。