ガヴィSide1:官舎には帰りません(前)
若宮水杜がチタのホテルの一室で眠れぬ夜を強いられていた、ちょうどその頃。
ガヴィエラ・リーンは自分の官舎ではなく、路上駐車された車の中で、仮眠をとっていたところだった。
「……ガヴィ」
その車の窓を同じ空戦隊の相棒、キール・ドワイト・レインバーグが、軽く叩く。
「朝メシ買ってきた。まだ早いかも知れないけど、食える時に食っておいた方が良いだろ?」
さすがに11月ともなると、明け方に吐く息は白い。助手席のガヴィエラに袋を放り投げ、キールも肩をすぼめるように、エアコンの効いた車内の運転席へと身体を滑り込ませた。
「先輩、動いたのか?」
「ううん、今のところは何も」
軽く欠伸を噛み殺しながら答えたガヴィエラは、キールに手渡された袋の中から、まだ充分にぬくもりの残るコーヒーを取り出すと、その蓋を開けて軽く口をつけた。
「今更だけど……ホントに先輩、動くと思う?」
「動くよ。あの性格からすれば、十中八九」
一方のキールは、コーヒーを取り出しはしたものの、すぐには口をつけずに、冷えた手を温めるように、缶を手で包み込んでいた。
「ああは言っても先輩は、ギリギリまで俺らに声をかけるつもりはないさ。いざとなったら自分一人で責任をとるつもりなのは、目に見えてる」
「うーん……」
穿った見方だとも思うが、否定する根拠もない。
ガヴィエラは、複雑さの混じる呻き声をあげていた。
そもそも、昨夜本多天樹と若宮家の前で別れた後、戻って仮眠をとるか、こっそり軍のコンピュータに侵入するか思案したガヴィエラを、引き止めたのはキールである。
「本多先輩を見張った方がいい」
地球軍全軍を見渡しても、一、二を争うと彼女が全幅の信頼を寄せる、この同期の青年は、大胆にも上官の見張りを持ち掛けた。
恐らくは、まず一人で動こうとする筈だとキールは言い、反論の根拠を持たないガヴィエラは、半信半疑ながらその提案に従い、今に至っているのである。
「キール、先輩の性格深読みしすぎてない?」
ゆっくりと、身体全体を温めるようにコーヒーを味わうガヴィエラの視線は、それでも一応、本多天樹の住む官舎の方角を向いている。
「一人だけで、水……若宮さんの事、追いかけられるとはとても思えないのに」
むしろガヴィエラの言葉は、いったん協力を頼んだ以上は、黙って動いて欲しくはないという「願望」に近いのかも知れない。
そうと察しているキールも、口もとに微かな笑みを見せただけである。
「自分でも納得しきっていない事を口にしたところで、同意は得られないぞ、ガヴィ。だいいち、これは深読みとかそういう問題じゃない。これが本多先輩じゃなく、俺やおまえだったらどうする?」
「……自分で動くだろうなぁ」
「それだけのことさ」
あはは、とガヴィエラが乾いた笑い声をあげた。
いざという時の物の考え方に、自分たちと上官たる本多天樹との間に、さしたる違いがあるとは、彼らは思っていない。
士官学校の、同一学年における首席と次席を、一人の、しかも民間上がりの新任将校の下につけた事自体が、そもそも規格外なのだ。
結果的には、今や押しも押されぬ艦隊となりつつある第九艦隊だが、何かしら性格に問題がある人間が多かったが故に、他の将校が扱いかねての編成だったのではないかと、彼ら自身が内心で思っていた程である。
――そしてこの日も、そんなガヴィエラやキールの読みを裏付けるかのように、本多天樹の住む官舎の玄関が、静かに開いた。
「ガヴィ、頭を低くしろ。……先輩だ」
二人の乗る車は、そう目立つ場所に留めていた訳ではない。それでも用心のため、二人は車内で低く身をかがめた。
明け方の静かな官舎に、車庫を開ける音だけが響く。
「車で出かけるみたいだね」
「……そうだな」
殊更、自分の読みの正しさを誇る気にもなれずに、キールは身をかがめたまま嘆息したが、ともかくも、今は後を追うより仕方ない。
「しかしこの時間帯だと、車間距離が難しいところだな…下手に近付きすぎるわけにもいかないし」
「うーん……あ、キール、ちょっとこの車、いじっても構わないかな?」
身をかがめたままの姿勢で、ガヴィエラが何か思いついたように、ぱちんと指を鳴らした。
「いじる?」
言葉の意味を掴み損ねたキールが、不審そうに聞き返したが、ガヴィエラはそのキールの返事を待たずに、カーナビゲーションシステムの裏面に取り付けられた、修理用パネルに手を伸ばした。
幾つかのキイを叩いたタイミングに呼応するかのように、車の現在位置を示していた画面が、ふと変わった。
「……何をしてるんだ?」
「カーナビって、衛星通信システム使って、自分の車の現在位置を割り出すシステムな訳じゃない?だったら、ちょっとプログラムをいじって、先輩の車のナンバーを入力すれば、逆に先輩の車の現在位置を割り出してくれるんじゃないかと思って」
画面はいったん、元に戻ったかのように見えたが、やがて本多天樹の車の発進と共に、画面の示す現在位置は、こちらの車とは関係なく、動き始めた。
ビンゴ、と軽くウインクするガヴィエラに、キールは感心したように、視線を投げる。
「やっぱり、おまえ連れてきておいて、正解だった」
「私は便利用品じゃありません。ほら、もういいんじゃない?こっちのエンジンかけても」
天樹の車は、どうやら中心部のオフィス街へと向かっているようである。キールやガヴィエラの住む官舎に寄る様子は、微塵もない。
「やっぱり、先輩にちょっと文句言いたい気分だなぁ…」
車が静かに走り出し、キールが運転を手動から自動に切り替えた頃を見計らうように、ガヴィエラが、助手席でぶつぶつと不満を口にした。
「そりゃ私も、先輩の立場に立てば、自分で動くかも知れないけど、でもやっぱり、水くさいって言うかなんて言うか……」
「……そうだな」
一応の相槌は打ったものの、キールの表情は、固い。
それに気が付いたガヴィエラが、小首を傾げた。




