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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第四章 過去からの挑戦状
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水杜Side1:望まぬ再会1

(水杜)


 最初は、遠い声だった。


(水杜)


 その次は、声に聞き覚えがあると思った。


「水杜」


 そしてはっきりと、その声が聴覚を刺激するようになった頃、水杜はその声の主が誰かを確信して、静かに目を開いた。


「……怒っていい?」


アルシオーネ・ディシスは、その第一声に面食らったように、目を見開いた。


 ――沈黙は一瞬。だが水杜の想像に反して、漏れたのは、くすくすと低く静かに笑う声だった。


「やっぱり好きだよ、君のそういうところ」

「茶化さないで。いったい、どうして――」


 アルシオーネに詰め寄ろうと身体を起こした水杜だったが、すぐに目眩にも似た感覚が全身を覆い、再びベッドへと身体を沈めてしまった。


 自分は病気でも持病がある訳でもない筈で、何が起きているのか、とっさに理解出来なかったのだが、ふと、右手首に強烈な違和感を覚えて、無言の視線を手首に投げた。


 そんな水杜を、アルシオーネが静かに見下ろしている。


「うん。悪いけど、その腕輪(バングル)は“束縛の手枷(タクイート)”って言ってね。仕組みは僕にはよく分からないけれど、無理に動こうとすれば、中枢神経系のどこかが切れるそうだよ」


「……っ」


 確かに、言われたところで水杜にもその仕組みは分からないのだが、確かに、手首には点滴が刺さっているかのような違和感があり、恐らくはそれが、動こうとする水杜に何らかの影響を及ぼしているのだと感じられた。


「もともとは、軍の白兵戦部隊が、人手を割かずとも、捕虜を動けなくしておくためにと、開発させた物らしいんだけどね。一種の生物兵器としか僕には判らないが、効き目は御覧の通りだ」


「……どう……して……」


「ただ僕と、一週間ほど旅行に付き合ってくれればいい、心配しないで――と言ったところで、君は頷かないだろう?……だからだよ」


 穏やかに微笑んではいるが、その声に冗談の要素は欠片もない。


 一週間、と妙にはっきりアルシオーネが期限を区切る事にも不審を覚えたのだが、そちらの方には、すぐにその理由に気が付いた。


(私を諮問会に出させないため……か)


 諮問会にさえ出なければ、軍が彼女を招こうとする事は、少なくとも数年の間はなくなるだろう。


 いくらなんでも、無断の()()()()()を許容するほど、軍も寛容ではない筈だ。


 現時点での地球が法治国家である以上、組織の安全を優先するなら、水杜を殺してしまうのは得策ではない。かと言って、水杜がすんなりと軍に入ってしまっては、彼女を反戦派の象徴として(一方的ではあるが)立ててきた、組織としての存在意義(アイデンティティ)にも関わるのだ。


 だからこその、水杜の「誘拐」であり、それは苦渋の選択だと、アルシオーネの表情は告げている。


 だがそれは、あくまでも“使徒(ディシス)”としての立場、視点であると言う事に、彼は気が付いていない――少なくとも水杜には、そう思えた。


「……ここは、どこ?」


 日ごろからの過労か“束縛の手枷(タクイート)”とやらの影響なのか、身体から、重さと(だる)さが抜けない。


 水杜はそんな自分自身を疎ましく思いながらも、それでも視線だけは周囲へと投げた。


「……チタの、とあるホテルの一室。本当はイサカまで行ってしまおうと思っていたけれど、あまり早々に行先の目星を付けられたくないからね。変更した」


 部屋の中が完全には明るくなっていないところを見ると、まだ夜明け前と言ったところか。短い仮眠をとりながら、水杜の様子をずっと見ていたのだろう。


「行き先は……フィオルティ……?」


 この星の首都は、現在水杜らが住んでいるアルファード地区ではあったが、商業都市としては、北部都市フィオルティの方が発達していると言っても、過言ではない。

 チタ、イサカと、と自分たちが北上を続けている事、そしてアルシオーネの実家、つまりは“使徒(ディシス)”の本拠地がフィオルティにあった事――それらが、水杜の中で繋がったのだ。


「……それも考えたよ」


 しばらく、水杜の様子を窺うように立っていたアルシオーネだったが、“束縛の手枷(タクイート)”の効力を慮ってか、無茶を試みようとはしない水杜に、ほっとしたように、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。


「君に、僕の生まれ故郷を見て欲しいと言う思いはあるよ。ただ“使徒(ディシス)”の連中には盲点になるかも知れないが、軍関係者には目立つことこの上ない土地だからね。やはりそれも、賢明な選択とは言えない」


「何……言って……」


 盲点とはどういう事なのか――それは言葉ではない 視線だけの問いかけだったが、気付かないアルシオーネではない。


 口もとに、静かな笑みを湛えた。


「組織によっては、君を諮問会に出させなくする方法、あるいは君を宇宙に出させなくする方法として、君の生死を問わない実力行使に出る事だってあり得る――君ほどの女性(ひと)が、それに気付かなかった筈はないと思うけど」


「…………」


「まだ正式な軍の関係者ではない君を、軍がどの程度庇護すると思う?かと言って、僕には組織(ディシス)の全てを止めるほどの力はない。僕に出来るのは――そう、君をこの手で留めておく事だけなんだよ」


 それが、こんな形だったとしても――と呟くアルシオーネの手は、微かに震えていた。


 その事で水杜は、今回の一連の彼の行動が、全くの独断であると悟ったのである。



 恐らく“使徒(ディシス)”そのものは、水杜の命を狙ってくる可能性がある――と。

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