天樹Side1:レイニーデイ7
「――ガヴィちゃん」
天樹、キール、ガヴィの玄関先でのやりとりが、奥からでも耳に入った
のだろう。
そっと、貴子が家の中から顔を出した。
「いいわ、みんな入ってもらって」
「え、でも……」
「本多君が、察しのいい子だっていうのは、昔から知ってるのよ。電話があった時点で、分かってしまうだろうとは思ってたわ。ただ私は、彼が自分を責めてしまうと、それも分かっていたから、なるべくなら何も知らせずに解決してしまいたかったのよ。…たとえ彼自身が、後でその事で私を責めたとしてもね」
「貴子さん……」
そんな貴子に、ガヴィエラを押しのけるようにして、天樹が一歩前へと進み出た。
「お気遣いは有難いと思います。けれど、彼女を招いたのは、他の誰でもない、この俺です。決断をしたのは彼女でも、そう誘導したのは俺なんです。この地位にある限り、俺は自分を責めない訳にはいかない。と言うより、他人の命を預かる以上は、そうでなくてはいけないんです。もちろん、彼女の命を預かる覚悟も出来ているつもりです。ですから何があったのか、話して下さい。お願いします」
「本多君……」
それが軍の教育にしろ、家庭の教育だったにしろ、人の上に立つ自覚と資格は充分にあると、貴子には分かった。
ガヴィエラ達の表情も、それを充分に裏付ていたし、何より貴子自身も――その言葉に心を動かされた。
何も知らせずに解決してしまいたかった、という言葉に、彼が甘えるような人間であったならば、彼はもう少し、違った人生を送っていたに違いない。
だが、そうはいかないほどに、彼は自分自身の目で、物が見えすぎた。
そうね……と呟く貴子の声が、かすかに天樹の耳に届く。
「私は……私や水杜の事ばかりを考えていたけど、貴方にだって、貴方の意地くらいは、あるわよね。ごめんなさい、考えなかったわ」
そう言って貴子は二、三度、首を横に振った。
そして毅然と告げてみせる――事実だけを。
「水杜は昨日から帰っていないのよ。恐らく、あの子の“アステル法”の件を知った“使徒”の誰かが、関わっているんでしょうけどね……」
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2595年現在の地球は、事実上、軍人政権である。対金星との攻防が激化した頃から、政治的対談よりも武力衝突が先立つようになり、世代を経て、国家の主権を束ねるのは、宇宙艦隊を束ねる軍人へと変わっていった。
あらゆる技術、個人の才能、全てが軍事的に利用可能かどうかの判断に左右される世の中となって、反政府・軍部勢力もまた、変貌を遂げていく。
若宮水杜のように、どの組織にも属さず、活字に頼った「無言の反抗」を貫く者は稀であり、大半の者は武器商人と通じ、軍部に対抗する力を得るために、時には正面から、時には水面下から…と、様々な攻防が繰り返されてきたのである。
そしてまた、今日のように金星軍との戦争が硬直しがちな世の中にあっては、軍の存在と戦争の無意味さを問う声は、日増しに大きくなっている。
反戦組織の存在は、軍部にとっても、無視出来ない存在となりつつあったのである。
――“使徒”は、そんな反政府・軍部勢力の中でも、常にブラックリストとして挙げられる組織の一つだった。
カテリーナ、アルシオーネのディシス姉弟が中心となって組織をまとめ、軍の研究局のデータを流出させたり、クラッシュさせたり、会計局の端末に侵入して、武器・弾薬の補給データを改ざんして利益を奪ったりするなど、実は過激派の要人テロ以上に、やっかいな活動を繰り広げていたのである。
「……つまり要人テロならば、検挙の口実も作りやすいが、技術リークや贈収賄に関わる部分での『利ざや』をかっさらっているとなれば、やぶへびになるから、誰も手が出せないと言う事になる。狙いをつけたアルシオーネにしろ、現場を仕切るカテリーナにしろ、相当な――いや、二人が手を組んでいるが故の、相乗効果と言うべきなんだろうな」
夜更けの若宮家で、キール・ドワイト・レインバーグ持参の資料に目を通しながら、本多天樹はそう、中身をまとめた。
若宮貴子は、天樹が無理やり部屋に下がらせた。一時間でも、二時間でもいいから休息を…と言いはしたが、どこまで実行されているのかは、定かではない。
「でも妙ですね、先輩」
天樹が読み終えたページを一枚、無造作に手にしながら、キールが小首を傾げた。
「それだと今回の行動は“使徒”らしくないものになりませんか。若宮女史に“アステル法”を蹴らせたからと言って、直接彼らに、何か利があるとでも?」
「目に見える物だけが、利益とは限らないさ。彼女を招きたいと思うのは、軍だけじゃないと言う事に、初めから俺が思い至っておくべきだったんだよ」
「その結論も早急だと思いますけどね。確か、まだ軍では非公開なんですよね“アステル法”の件は?誰かが噂に踊らされたと見るには、まだ早すぎるし、かと言って、アルシオーネ・ディシスの動きが“アステル法”と無縁に起きたものとも思えない。どちらにしても、今の段階で決論の方向性を定めてしまうのは、良くないと思いますよ」
虚を突かれたように、天樹が手持ちの資料から視線を上げた。
キールの発言は、的を射ている。というよりは、自分の方に冷静さが欠けていると言う事なのだろう。
かぶりを振って、なるべく自分を落ち着けようと、試みる。
「……今回の件に“使徒”が関わっているのは、確かなんだな」
「それは確かです。アルシオーネ・ディシス本人と思しき人物の交信記録が、この家の通話記録に残ってました……っと、事後承諾ですみません。軍警察のシステムに、ちょっとだけ、アクセスさせて貰いました」
「私が頼んだんです、ごめんなさい」
そう言ってガヴィエラも、軽く頭を下げた。
「若宮さんを預かる、と貴子さんに言ってたのも確かなんです」
「……?」
キールが微かに眉を顰めたものの、天樹はそれに気付いた風もなく、口もとに手をあてて、頭の中で情報をまとめようとしていた。
「それなら、明日にでも“使徒”の動きを追跡してみれば、何か分かるかも知れないな……っと、二人はここまでだな。後は俺の問題だ。自分で何とかするよ。ありがとう、今日は助かった」
「……は?」
「え?」
若宮水杜は、まだ正式な軍人でも何でもない。彼女を招こうとしている天樹自身は、業務を滞らせてでも、何とかしなければいけない立場にはあったが、少なくともキールやガヴィエラを巻き込むいわれはないのである。
後戻りのきかない部分は多分にあったにしろ、二人が当然のように若宮家に留まっている事を、当初より訝しむべきであった。
「先輩……」
天樹の意図は充分察した筈だったが、キールもガヴィエラも、露骨に不満げな表情をそこで浮かべた。




