天樹Side3:トリックスター事件(5年前)2
学校に戻ろうとすればするほど、周囲が右往左往する人で溢れて、前へ進めない。
せめてわずかでも、事のあらましを掴めないものかと、天樹が辺りを見回した時、そこで突然、誰かに強く二の腕を掴まれた。
「何をやってるんだ、本多! まさか、今から学校に戻る気か⁉」
厳しい声は、クラスメイトの手塚玲人のものだった。
「ほかに、どう見える?」
「……おい」
眼鏡越しの手塚の表情が、あっと言う間に険しくなったが、ここで言い合ったところで埒もあかないため、天樹は呼吸を整えて、なるべく声を落ち着けるように、手塚と向かいあった。
「弟が家に戻っていない。状況が知りたい」
――両者が視線を交わしたのは、ほんの一瞬。
人ごみの中で立ち尽くすのを嫌うように、言い合う事をやめて、歩道の端へと視線を促したのは、手塚だった。
「よせ、死者が出てる」
「――――――」
引っ張られた歩道の先で、天樹が弾かれたように顔をあげたが、手塚は天樹に言葉を続けさせなかった。
「それと、中学・高校棟の中で、かなりの人数が連携して、当事者の軍人を人質に、立てこもりを始めた。校舎の周囲は、軍警察じゃなく、軍隊治安を預かる、保安情報部が動きき出してるって話だ。一般論が通じる相手とは思えないぞ。行かない方が良い」
天樹が通う高校において、本多家の後継者としての教育を施されていた天樹と、当時成績を張り合っていたのは、2人。
そのうちの1人である前生徒会長・手塚玲人は、天樹とはまた違った知性と威圧感を与える、鋭い視線を天樹に向け、冷静に状況を告げて見せた。
「……そうか」
ただし、そこで怯む天樹ではなかった。
「よくおまえは無事だったな」
「……っ」
天樹と張り合い、学年でも三指に挙げられる程の手塚が、天樹の切り返しに一瞬、虚を突かれる。
「………本多」
「その立てこもり連中と、何か話したんじゃないのか、手塚?まあ今は、その詳細を聞くつもりも時間も、俺にはないが――――いや、違うな」
話をしながら、ふいに天樹は自分自身で、何かに気が付いたようであった。
手塚の表情も、苦々しげに歪む。
「……そこに神月がいるんだな」
報道すら混乱を極め、まだ少数の人間しか事態を把握していないと思われるのは、その情報自体が、事態収拾の為の「切り札」にさえなる。
それを一介のクラスメイトにすぎない筈の天樹に漏らした事で、手塚はそれが、天樹には無関係な話ではないと、逆に口を滑らせた形になったのだ。
「…………」
短い沈黙の後、舌打ちとともに、折れたのは、手塚だった。
「見抜かれると思ったがな、おまえには」
「手塚」
「その通り。弟クンは、中にいるどころか、高校棟の連中やら教師やらをたきつけて、率先して軍人を拘束して、たてこもっているよ」
「なっ……」
天樹はさすがに、一瞬絶句した。
あいつ……っと、低く呟いているのが、かろうじて手塚の耳にも聞こえる。
「まぁお互い、中学と高校とは言え同じ前・生徒会長だ。少しくらい手を貸してやっても罰は当たるまいと思ったんだが、兄貴はご不満かな」
良すぎるくらい頭の回転の良い手塚が手を貸すとなれば、どうなっているのかと天樹は問い詰めたくもなったが、現況を鑑み、なるほど…と低い呟きを残すに留める。
沈着冷静をうたわれる天樹とは対照的だとされる神月を思えば、分からなくもない事態ではあったが、どちらにしても母・星香からすれば、卒倒ものの事態には違いない。
口もとに手をやって、一瞬だけ、天樹は考える仕種を見せた。
「……まあいい、ともかく俺は中に入るよ」
「……今の話、理解していない訳じゃないよな?」
「軍に強行突破される前に次の手を打っておかなければ、無駄に傷つく人間を増やすだけだろう、手塚。お前と神月が示しあわせた事の中身は想像つくが、主導権を軍に取られていては、元も子もなくなる」
「あっさり想像つくとか言うな、むかつく。それで、何か手段があるとでも?」
そんな場合ではないと思いつつ、いつものように憎まれ口を挟む手塚に、天樹は苦笑と共にわずかに首を横に傾けた。
「俺がやる事は、相手をそう仕向ける事だけだよ、手塚」
「――――」
沈黙と、視線の交錯は一瞬。
軽い溜息と共に、手塚が天樹の肩を叩いた。
「行くのなら、西門の方が今は手薄だ」
「……手塚」
「あとしばらくなら、軍の強行突破を押さえておけるだろう」
「助かる」
「そこまでは、弟クンと約束した事だ。気にするな。だが、そうだな……いずれ兄弟で、何か奢ってもらおう。無論、イヤとは言わせない」
口の端に笑みを乗せ、身を翻した手塚だったが、天樹が学校へ向かおうと足を向けたまさにその瞬間、思い出したように天樹を呼び止めた。
「本多。若宮さんを見たか?」
「え?」
脈絡なく出てきた同級生の名前に、天樹も面食らったように、足を止める。
「いや……何故だ?」
「………」
「手塚?」
避難に右往左往する生徒たちの中で、二人だけが際立って静かに見えた。
「……彼女がこの状況下で、黙って引き下がる筈がない。かと言って、誰が本気の彼女を押し留められる。俺かおまえでなきゃ、無理だ」
同じクラスではない少女の名を、二人がそれでも気に留めているのには、理由がある。
――――学年三指の、最後の一人。
若宮水杜。
天樹とて、常に学年首席を維持している訳ではない。
3人が複数回首席の座を取るからこその、三指なのだ。
だが、この場でその名が出てくる不自然さに、天樹は眉をひそめた。と言うより、手塚の物言いの迂遠さにこそ、眉をひそめたと言っても良かった。
「……確か彼女の妹は、神月と同い年だ。俺と同じように、妹の安否を確かめようと、何らかの行動を起こしていても、不思議じゃない」
その上確か、弟と彼女の妹・若宮愛とは、かなり親しい間柄だと、聞いた覚えもある。
「いや……」
そんな天樹から視線をそらした手塚の表情が、苦しげに歪んだ。
「……この騒動で出た死者の一人が、その妹だと言ったら?」
「……⁉」
「時間がないな。あとは弟に聞け、本多。若宮さんが独自に動いている可能性があるとだけ、頭に入れろ」
それだけを口にした手塚は、天樹が何かを言いかけるよりも早く、人ごみの中にその身をまぎらせた。
恐らくは彼も自宅へは戻るまいが、今の天樹にそれを確かめる余裕はない。
(だから、か!)
神月が何故、自ら先導する形で、軍と対峙したのか。
天樹はたちどころに、その理由を理解したのである。