ガヴィSide5:レイニーデイ5
実際に、電話が再び鳴り響くまでの間、その沈黙は、お世辞にも心地よいものとは言えなかった。
静まり返った部屋に響いたベルの音は、心なしか、さっきよりも大きく思える。
「あ、これきっと私宛ての電話です。出てもいいですか?」
腰を浮かしかけた貴子を制するように、素早く立ち上がったガヴィエラが、通話ボタンをプッシュする。
「もしもし?」
『まったく、おまえの人づかいの荒さには呆れるよ』
貴子の耳にも、その声は届いていた。ただしガヴィエラが、やはりTV電話の画面をふさぐようにして立っているため、その姿は視界には映らない。
この時点で、キール・ドワイト・レインバーグという固有名詞も、その為人も、貴子は知らなかった。
「ひどい言われよう。声かけなかったら、かけなかったで、怒るくせに。まあ、その話は今はいいか。急いでるから。それでどうだった?」
ガヴィエラの右手が、すっと動いた。
電話の相手は当然、それに対して何かを答えたに違いないのだが、彼女がどこをどうしたのか、その会話は、突然、一方的にしか聞こえなくなった。
家主が知らない機能を、彼女は駆使しているようであった。
「…………へえ」
「――っ」
彼女の口から漏れた、それまでとは違った冷ややかな声に、貴子が目を瞠る。
軍人としての、それは日常なのか。貴子が思わず気圧されたほどの、それは厳しい表情と、声だったのである。
「……分かった。それじゃあ、もうちょっとだけ、そこでデータ揃えてくれないかな……え?うん、どこからにしても、その検索が妨害されてくるまでの間でいいから、お願い」
通話回線を、開いたままにしている事を悟られないよう、TV電話の画面を背に、ガヴィエラはゆっくりと振り返った。
「……『ご無沙汰していました、ミセス貴子。少しの間、彼女をお借りします。僕の未練だと、笑って見過ごしていただけると有難いのですが』……ですか?」
「……っ!」
椅子、テーブル、共に大きな音をたてて、貴子が立ち上がった。
蒼白になった顔色が、その発言の信憑性を裏付けている。
「これ内緒なんですけどね、貴子さん。軍警察って所は、要人の誘拐事件や恐喝事件の証拠能力を高める為とか言って、人ん家の交信記録を、何日分か残してたりするんですよ。で、ちょっと今、相棒にそれ確かめて貰ってたんですけど」
「……ガヴィちゃん」
「ごめんなさい、勝手な事して。でも今、結構、非常事態なんじゃないですか?それでも貴子さんが言いたがらないところを見ると、この電話の相手を、貴子さんは良く知っていて、でも軍関係者、というよりは本多先輩の関係者かな?とにかく、そういう人たちには言いたくない相手、って感じなんですけど、何か間違ってますか?」
凍りついたように立ち尽くす貴子は、すぐには言葉を発しなかった。
「あ……『先輩』って言うのは、私や相棒の士官学校生時代に、とある調査に来た本多先輩をてっきり上級生だと思い込んで、そう呼んでた頃の名残なんですけどね。先輩が、好きに呼んで良いって言うんで、結局そのまま」
貴子の気分を解そうと、わざと違う話題で微笑して見せてから、ガヴィエラは思い切って、自分の推論を貴子にぶつけてみた。
「実は水杜さんの事は、軍の間でもまだ非公開だって聞いてるんで、今の電話の相手が、軍関係者である可能性って、ほとんどないんですよ。だからどっちかと言えば、反戦組織寄りの人たちが、水杜さんを思い留まらせようとして、何か行動を起こしたのかなぁ、と思ったんですけど。……実際、水杜さんの身に、何かあったんですよね、貴子さん?」
「……っ」
「本多先輩の部下としてじゃなく、夕食と本の御礼に、ガヴィエラ・リーン一個人として、協力する。……とかじゃ、だめですか?余計な事かも知れないですけど、貴子さん、独りで辛そうに見えるし」
明らかに動揺の色を見せた貴子に、もう一押しかな、と思ったガヴィエラは、敢えてそこで口を閉ざして、貴子の顔を覗き込んだ。
あとは貴子が、ガヴィエラ・リーンという人物をどう判断するかだけだ。
「……シオン君は……」
そしてどのくらいの時間がたったのか、ようやく決心を固めたように貴子が話し始め、内心でほっとしつつも、ガヴィエラは、それ以上貴子を動揺させる事のないよう、しばらく無言で、言葉の続きに耳を傾けた。
「彼は一年半程前に、国立図書館を辞めて、“使徒”に身を投じた筈の子よ。ずっと、どうしているのかも知らなかった。ただ『ミセス貴子』なんて……あんな呼び方をするのはあの子だけだから。だから……」
「……“使徒”?」
TV電話越しの相棒にも聞こえやすいよう
に、ガヴィエラはその部分だけを、もう一度繰り返した。必要ならば、彼がすぐさま資料を揃えるだろう。
日頃、金星軍にばかり目を向けているガヴィエラには、正直、その名称がピンときていなかった。
「あの子はきっと、水杜に“アステル法”の諮問会とやらを放棄させたいんでしょうね……」
そんなガヴィエラの仕草に気付く事なく続く貴子の声に、ガヴィエラの意識もそちらへと引き戻される。
――貴子の顔に浮かんでいた微苦笑を、確かに見た。
(やっぱり、相手どころか、その動機まで、ちゃんと分かってたんだ……)
確かに、このままいけば、事情はどうであれ、水杜が軍の諮問会を放棄する事になると、今更ながらに、ガヴィエラも気が付いた。
そうなれば、彼女の能力の是非はともかく、上層部からの印象は著しく低下し、当面は軍から敬遠される可能性が限りなく高い。
かと言って、彼女を殺害してしまっては、反戦組織に軍が介入する格好の口実になってしまう――とすれば『監禁』は、これ以上ない妥当な方法だ。
軍の実情など知る由もない貴子にしても、無意識のうちにそれを感じ取ったのだろう。
何と言っても彼女は、若宮水杜の『母親』だ。
「馬鹿よね、シオン君も……」
だからこそ、貴子は苦笑交じりに首を振って、呟いた。
「水杜が、一度決めた事をたやすく覆す性格かどうかくらい、二年も付き合っていたのなら、良く分かってるでしょうに……」