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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第三章 再会の波紋
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ガヴィSide4:レイニーデイ4

「こんばんわー……って、あれ?」


 同日・同時刻。


 さすがに帰宅している筈、と借りていた本を片手に、若宮家を訪れたガヴィエラは、挨拶もそこそこに、血相を変えて飛び出して来た貴子を見て、驚いた。


「……ガヴィちゃん」


 明らかにそれは、ガヴィエラではない、別の人物を期待していた表情である。

 玄関先で、ガヴィエラは怪訝そうに小首を傾げた。


「あの、この前借りてた本を返しに来て、出来れば、また何か貸してもらおうか……とか、思ったりなんかしたんですけど。水杜さん、まだなんですか?」


「え?」 


 先日の闊達さからは程遠い、引きつった笑みを浮かべて、貴子は慌てて手を振った。


「あ……違うのよ、ちょっとこのところの騒ぎであの子ったら体調を崩したみたいなのよ。だからお医者さんが来たのかと思って、焦ってしまっただけなのよ」


「そうなんですか?」

    

「だから悪いわね、今日はせっかく来て貰ったんだけど、その本だけ預からせて貰うわ」


「そういう事なら、日を改めて出直させて貰いますけど……」


 言葉をまともに受け取れば、確かに門前払いされても仕方のない理由ではあったのだが、幾つもの戦場を潜り抜けて養われた、天性の勘が「何かおかしい」と思わせたのだろう。


 思案の末、ガヴィエラはその「出直し」を、即、翌日に実行したのである。


「……せっかくだけど……あの子まだちょっと……」 

 

 そして貴子の歯切れは、昨日にもまして悪くなっていた。


 ガヴィエラは、自分の勘の正しさを確認しつつ、眉をひそめた。

 

「雨の降った次の日って、外気温が下がって、秋と言えど、寒いんですよね」


「……え?」


「暖かくて美味しいコーヒーを一杯だけ下さい、貴子さん。そうしたらすぐ帰りますし、水杜さんに会わせろとも言いませんし、明日も来ません」


「…………」


 言葉の代わりに、見るからにホッとしたような表情を、貴子は浮かべた。


「散ちらかったままなんだけど……」


 そのまま、彼女(たかこ)はガヴィエラをダイニングルームの方へと招き入れたのである。


 ガヴィエラは一瞬だけ、水杜の部屋のある方へと視線を投げたが、敢えて強硬な手段に出る事は避け、貴子が湯気の立ち昇るコーヒーヒーをテーブルに置くまで、静かに椅子に腰掛けていた。


「……ダメじゃないですか、貴子さん?」


 そうして、ゆっくりとコーヒーを手にして、首を横に振ってみせる。


「……え?」


 コーヒーポットを持つ貴子の手が、一瞬止まった。


「ホントに水杜さんが家にいて、体調を崩して寝込んでるんだったら、怒鳴りつけてでも私を追い返すべきなのに、貴子さん、逆の事してる」


 貴子の手を離れたコーヒーポットが、テーブルの上で、がたんと大きな音を立てた。


 日頃の性格はともかくとして、恐らくは早くに結婚して、戦場や軍隊とは無縁の世界にいたであろう貴子とは、くぐってきた修羅場の数に、明らかな開きがある。

 

 この時点で、ガヴィエラに分があるのは当然だと言えた。


「貴子さん、教えて下さい。いったい何が――」

「!」


 ハッと貴子が身じろぎをしたのは、ガヴィエラの追及に、押された所為(せい)ではない。


 二人の会話に割り込むように、TV電話(ヴィジフォン)の呼び出し音が部屋中に鳴り響いたのである。


「どうぞ、貴子さん。()()()()()()


 そう言って、わざとらしくコーヒーを啜る音をたてたガヴィエラを、困ったように貴子は見つめたが、電話の音が鳴り止む気配は全くない。


 さらに数度の呼び出し音をやり過ごして、貴子がようやく、諦めたように通話ボタンに手を伸ばした。


「……本多君」


 えっ、と思わず呟いたガヴィエラだったが、慌ててコーヒーを啜るのをやめると、電話に内蔵された、小型カメラの可動範囲から外れるように、そっと椅子を動かした。


 ……注意深く、会話へと聞き耳をたてながら。


「え、今日あの子と約束を?」


 貴子の声色は、明らかにいつもと違っているのだが、本多天樹の表情を窺い知ることが出来ないガヴィエラは、黙ってやりとりを見守るしかない。


「ごめんなさいね、実はあの子、図書館で倒れちゃって、今、部屋で寝てるのよ。…いいえ、大したことはないのよ。いろいろと、残務整理とかが必要になっちゃったから、無理したのよ、きっと。それより少将閣下に待ちぼうけくらわせちゃったのね、ごめんなさいだわ。起きたら叱りつけとくから、今度夕食でも奢らせてやってちょうだい。……ええ、ありがとう。それじゃ、また」


 貴子の、通話を終えた後の溜め息が、ハッキリとガヴィエラの耳にも届いた。


 右手を口もとにやりつつ、何やら考える仕種を見せたガヴィエラだったが、すぐに何か思いついたのだろう。そっと貴子の側に歩み寄ると、立ち尽くす彼女を、TV電話(ヴィジフォン)の前から、軽く押しやった。

               

「ちょっと電話貸して下さいね、貴子さん」


 それまで自分が腰掛けていた椅子に、無理やり彼女を座らせると、貴子の返事を待たずに、暗記済みの電話番号を素早くプッシュする。


「……あ、もしもしキール?」


 カメラには、自分の姿だけが映るように、立ち位置も変える。


「そう、私。……うん。あのさ、ちょっと今から付き合ってくれないかな?その格好からすると、今帰ってきたばかりでしょ?すぐに出られるよね?え、場所?場所は……っと、貴子さん、ここの電話番号って何番ですか?」


「……え?」


 事態が飲み込めないまま、自宅の電話番号を呟いた貴子に、聞き返す事をガヴィエラはしなかった。


「今の聞こえたよね?…そうそう、そこ。私、今そこにいるから。あ、来る前に一つ『調べもの』もしておいてくれる?……うん、それはあとで説明する。…うん、そういうこと。それじゃ、ヨロシクね」



 ところどころ、貴子の耳に届かない程度の小声で話しながら、ガヴィエラは通話を終えた。


「あ、貴子さん。今の、空戦隊の私の相棒なんです。迎えに来てくれる交渉成立したんで、すぐに帰りますから」


「……え?」 


 話の流れについていけない貴子が、もはや普通の精神状態ではないと、分かってはいたが、今は敢えて口を差し挟まずに、ガヴィエラは黙って、貴子の向かいに腰を下ろすと、冷めかけのコーヒーを再び手に取った。 


(ま、あとはキールからの電話次第かな) 

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