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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第三章 再会の波紋
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天樹Side1:レイニーデイ2

「おはようございます。あいにくの雨ですね、閣下」


 二日連続で、緊急用の通路から現れたともなれば、従卒の少年も、そうそう驚くものではないらしい。


「ああ、おはようニール」


 ニール・ギブソンは、この春幼年学校を卒業したばかりで、年齢もまだ14歳と、若い。


 本多天樹の昇進のスピードに、人材の確保がままならず、急遽士官学校への進学を飛び超えて、異色の配属を決められたのである。


 空色の髪と瞳は、少年の前途そのものであるかのように、天樹の目には時折眩しく映る。


(人材の確保と称した、特例措置ばかりが増えていく)


 まばゆい筈の少年の未来を閉ざしはしないか……不安にかられないと言えば、嘘になる。


 無論、その特例措置の象徴たる位置に自分が置かれている事は、天樹も良く分かっていた。


 実際、少年は天樹の脱いだコートを受け取ると、嬉々とした仕種でそれを片付け、コーヒーの準備にとりかかっている。


 (ニール)はその若さで現在の境遇にある事を、光栄に思いこそすれ、疑問には思っていないのである。   


 少年には聞こえない程度の溜め息をつきつつ、天樹は雨が叩きつける窓を、ふと見やった。


「雨、か……」



.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜



『……すみません。(かづき)がどうしても来れないと……』


 確か五年前の()()()も、こんな雨の降る日だった。


 マスコミによって〝トリックスター事件(ケース)〟とまで名付けられ、国中を震撼させた出来事であったにも関わらず、犠牲者の大半が学生だった「関係者」の葬儀は、それぞれの家庭が執り行うだけという、実に質素なものだった。


 犠牲となった若宮水杜の妹・愛と、結果として事件を収拾した本多天樹の弟・神月とは、互いの兄、姉同様の同級生同士だった。


 どうやら互いに、それ以上の「好意」らしきものは持ち合っていたようなのだが、さすがの神月もその件に関してだけは、兄である天樹にさえも、何も語らなかった。

 ただ、頭を下げただけである。


 しばらく軍の事情聴取で拘束されるであろう自分の代わりに、若宮愛の葬儀に出てくれないか――と。


『……いいのよ』

   

 降りしきる雨の中、弔問客一人一人に丁寧な挨拶をしながら、若宮貴子は、天樹に対して、一切の憤りを見せる事なく、(かぶり)を振った。


 本多神月が、何故この場に駆けつける事が出来ないのか、既に察している表情だった。


 ――そういう女性なのだ。


 オクトーブ地区の、小さな教会の礼拝堂には、中央に十字架を仰ぐ祭壇があり、故人のの遺影はそこに飾られる。


 貴子に目礼して、中へと足を踏み入れた天樹は、その祭壇に飾られた遺影が、一つではない事に気付いて、思わず足を止めた。


「……っ」


 この〝トリックスター事件(ケース)〟に前後して行われていた、何度目かも数え切れない程の、金星への遠征と戦闘の中で、若宮母娘はその夫(父)をも、失っていた。


 そしてそれが宇宙空間での出来事である以上は、棺の一方にあるのは遺品だけである。

 

 軍事国家である現在、似た境遇の家庭は少なくないのかも知れないが、家族全員が健在である己の家庭を思えば、天樹はそこで一言も、言葉を発する事が出来なかったのである。


『愛は……あの子は、あるいは幸せなのかも知れないわね』


 入り口に立ち尽くす天樹に並んで立つようにして、貴子がぽつりと呟いた。

 その視線は、天樹同様、遺影に向けられている。


『あの人の――父親の死を、知らずに済んだんですもの。ふふっ、それとも愛が寂しがるといけないと思った、あの人の付き合いが良すぎたのかしら』


『……貴子さん……』 


 涙よりも辛い笑みがあると――その時、天樹は初めて知った。 


 視線を外すように辺りを見渡して、ふと気付くと、そこに若宮水杜の姿はない。


 天樹の視線に気が付いたように、貴子が「ああ……」と静かに言った。


『水杜なら、奥で教会の(かた)と打ち合わせをしているわ。そうね、自分で辛い事の方をわざわざ引き受けてしまうあたり、あの子は父親に似たのかも知れないわね』


『そう……ですか』


『全部が終わって、私を休ませて、そうして独りになってから…初めて泣くのよ、あの子は』


 呟いた貴子の声は、震えていたように天樹は思う。


『そういう子なのよ』



.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜.゜*。:゜ .゜*。:゜ .゜*。:゜



「コーヒーをお持ちしました。……あの、閣下?」


 漂うコーヒーの香りと、不安げに自分を呼んだ、従卒のニール・ギブソン少年の声に、天樹の回想は、そこで断ち切られた。


「あ、ああ……すまない」


 秋雨の叩きつける窓から、無理やり視線を剥がすようにして、天樹は、書類が山積みとなったままのデスクへ、改めて歩み寄って、腰を下ろした。


 いみじくもカーウィンが指摘したように、将官クラスともなれば、戦場以外の場においても、決裁が必要とされる業務は山とある。


 もっと若宮水杜に“アステル法”の何たるかを説明する時間が欲しかったのだが、容易にはこの部屋を出られそうにない。


「……大変ですね」

  

 書類を一瞥した天樹の視線が、相当辟易しているように見えたのだろう。デスクの空いたスペースに上手くコーヒーを乗せながら、ニール少年が口もとをほころばせた。


「あ、いえそのっ、僕……じゃなくて、自分が言えた立場では、もちろんないんですが……」


 少年は、年齢に似合わず、頭の回転が非常に早い。その時々の状況に応じた会話が、きちんと出来るのである。


 この時も、出すぎた発言ではなかったかと、言外に謝罪の意味をこめて、彼は口もとを両手で覆った。


 そのまま士官学校へ進めば、優秀な幹部候補生になったであろうに、もったいない……と、天樹をからかう友人もいるが、その通りだろう。

 反論の術は、天樹は持たない。


「あの…“アステル法”関連の資料は、それで足りましたか?過去の文献は、出来るだけ集めたつもりなんですけど」


 実際、本来なら参謀や副司令などの側近に任せるべき雑務系の仕事の一部を、天樹はニールに頼んでいる。


 艦内に広がるかも知れない、動揺を慮っての事だと言えば聞こえはいいが、彼自身、確かにニールを必要としていたのである。


「君は驚かないんだな、ニール。俺が“アステル法”で、ロバートの後任を充てようとしている事に」


 珍しく、ニールの問いかけと少しずれた事をにした天樹に、一瞬少年は小首を傾げ

た。

 だがそれは、上官が少年なりの回答を、言外に要求していると分かったので、少年は必死で、己のボキャブラリーを模索した。


「自分自身が、前代未聞の人事で、今、ここにいるっていう自覚があるから、驚かないのかも知れません。若宮女史……でしたっけ?上手くやっていけるといいなって思ってます」


 その答えに、天樹が満足したのかどうかは、少年の理解の範疇の外にあった。   


「俺とやっていけてるなら、大丈夫だよ」  


 そう言って、口もとにわずかな笑みを見せた天樹の表情は、どちらかと言えば自嘲的であるように、少年には見えたからである。


「俺も“アステル法”で来た、特例の人間だ。その俺よりは、接しやすい人だと思うよ」


「僕は閣下を尊敬していますよ!接しにくいだなんて思った事は一度もありません!」


「…………ありがとう」   


 前途ある少年にとって、尊敬すべき愛国者に、自分が見えているのだとしたら、大した偽善者なったものだ――などと、うっかり言いかけて、慌ててねじ伏せた後の一言は、随分と間のあいたものになってしまった。


 戦争の罪悪、政治の罪悪……14歳の少年に聞かせるる話としては、間違いなく、相当に荒んでいる。

 さりげなく咳払いをして、天樹は話を元へと戻した。


「何にせよ、他人の『イメージ』を覆すのには、時間と結果が最良のものだと俺は思うんだ。だから“アステル法”に関して言えば、俺自身は、しばらくの騒動は覚悟している。悪いがニールも、そのつもりで頼むよ」


「あ、はい、もちろんです」


「それと、悪いが俺のスケジュールを調べて、彼女と諮問会の打ち合わせが出来る時間をひねりだしてほしいんだ。それも、なるべく近い日にちで」


「はい!」


 急いでパソコンに向き合うニールを横目に、天樹は卓上のTV電話(ヴィジフォン)を取り上げると、オペレータに地球(テラ)国立図書館への回線を開かせた。


 若宮水杜が通話口に現れるのを見計らったタイミングで、ニールから一枚のメモが差し出される。


 互いに仕事中である事もあり、この日の会話は、天樹のスケジュールに合わせる形で、翌日の夜に時間をとる事で、話がまとまった。


 時間と場所については、この日ニールも、確かに耳にしている。  


「……ああ。じゃあ、また明日」 


 ――だが翌日、二人が会う事はなかったのだ。

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