天樹Side6:偶像崇拝
――若宮水杜本人が聞けば、またしても「買い被り」だと苦笑したに違いない。
「それで俺が“アステル法”を行使したとして、受け入れられそうか、ディーン?」
「軍法的には何の問題もない。それに何より、の段階じゃ横槍の入れようもない」
そう言って肩をすくめたディーンに、それを確かめたかったんだ、と真顔になった天樹が頷いた。
何と言っても若宮水杜は、故人となってしまったロバート・デュカキスに、何ら劣らぬ人材だと――少なくとも周囲からは、そう見られる。
またもや「妨害」の手が伸びないとも限らないのだ。
「今回は、どう軍法に照らし合わせても、おまえが合法だ、タカキ。俺も強気な人事権は発動出来る。ただ、彼女が軍属になった時点から、その知略を試したがる手合いがゴロゴロと出てくるだろう。そこまでは押さえきれないとだけは、言わせて貰っておく」
「分かってるよ、ディーン。その責は俺が負うもので、俺が、何とかする」
静かな中にも決意をこめて、そう口にした天樹を、少し物珍し気にディーンが見つめた。
彼の知る天樹は、概ね周りに流されない、沈着冷静さが最大の売りだった筈だ。
「……ここだけの話、どうやって彼女の首を縦に振らせたんだ?彼女、今まで、誰がどうやっても、門前払いもいいところだったって聞いていたぞ。それを――」
「何もしていないよ。生半可な条件闘争で動く女性じゃないって事は、俺はよく知っているからね」
興味津々、と言った表情を見せたディーンに、天樹は苦笑して、かぶりを振った。
「と、いうと?」
「かつての同級生だからね、彼女は」
「……え?」
「だから絶対に、協力してくれると思っていた。それだけだよ。彼女のことは、俺なりに少しは知っているつもりだからね」
その時浮かんだ天樹の笑みが、喜色なのか人の悪い笑みだったのか、とっさにディーンには判断がつかなかった。
「……実は臆面ない男だったのか、タカキ」
やや引き攣った顔で、そう呟くのが精一杯である。
「悪いけど、俺は利己主義者だよディーン。哀しいかな〝トリックスター事件〟以後、それは自分でも良く分かっている事だ」
「……そうやって、偽悪的になるのが、おまえの悪いクセだって事も分かってるか?」
「俺は事実を言っているだけだよ」
「…………」
重ねてディーンは否定しようとしたものの、天樹の表情の硬さに、結局、呆れたように肩をすくめるしかない。
アルコールもない、深夜の対談としては不毛だった。
「話を戻すが、“アステル法”については、一般的にはまず申請をして、その後約一週間を置いて、軍幹部による諮問会が開かれる事になる。その可否が決定されるのが、そこからさらに五日後。だが……アステル法の「申請があった」という情報自体は、早ければその日の内にも広がる。ある程度は、ブランデーの何杯かで押さえてやってもいいが…本当に、本気で、彼女を招くというのなら、覚悟しておけよ、タカキ。敵が軍内部だけに留まるとは限らないからな。――絶対にだ」
フッと、そこで天樹が視線を動かした。
「それは、どういう……?」
ディーンは大きな溜め息をついた。
「若宮女史の立場を知らなさすぎだ、タカキ。本人の意思に関わらず、彼女は反戦派にとっての〝女神〟だったんだ。彼女自身の容貌もさることながら、兵役の拒否っていうのは、それほどまでに目立つんだよ」
「女神……」
「それが、だ。いきなり方針を180度変えて、軍に入ったなんて知れたらどうなる?この際、その経緯など一切問われない。問われるのはその結果だけだ。反戦派の中の過激派連中と、軍の“地上組”の連中とが、手を組んで 彼女の追い落としにかかったとしても、俺は驚かない」
まさか、と言いかける天樹を、片手でディーンは制する。
「飛躍した論理じゃない。誰も“堕落した女神”は必要としない。利害は一致している。例えそれが、極論だとしてもな」
「――――」
とっさに反論出来ずに、天樹は眉をひそめた。
……どこかに、ディーンの言葉を是とする声がある。
「何故、彼女を招くのか。招いたのか。いつでも己に言い聞かせておけという事か……ありがとう。今のは効いたよ、ディーン」
「その言葉の信憑性は、後日ボトルの数で判断させて貰うことにする」
今日一日が目まぐるしかったであろう天樹の心情を思いやってか、わざと明るい言い方を、ディーンはした。
裏を返せば、今日は話の潮時という事である。
今はまだ“地上組”と“宇宙組”の軋轢は、深い溝となって横たわっている。たとえ深夜 と言えど、長居はお互いの為にならなかった。
それと察した天樹も、さりげなく腰を上げる。
「今日はありがとう。遅くに悪かった」
「……いや」
ディーンは軽く頷いただけであった。現時点で“地上組”である彼にとっての、それが精一杯であり、その事は天樹も良く分かっていた。
――後は、自分次第だということも。
だからまさか、この時の会話を、後日憮然とした面持ちで反芻する事になろうとは、二人共が思ってはいなかったのである。
〝女神〟の偶像が、どれほど一人歩きしていたのか――思い知らされる事になるとは。
彼らは、気が付いていなかった。
――偶像は、既に破壊されてしまっていたのだと言う事に。
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簡素な部屋だった。
本棚と、ベッドとデスク。全てが黒に統一されており、生活感を全く感じさせない。
部屋の住人は一人。デスクに固定された、デスクトップコンピュータの画面を、無言で、鋭い視線で見つめていた。
部屋にはキイを叩く音だけが響いている。
「……なっ」
低い呟きと共に、その手が止まったのは、無事?日付も変わった、深夜の事である。
「馬鹿な……っ」
画面を凝視するその表情は、困惑か、驚愕か…自分でも整理しきれていない感情が、隠し切れずに浮かんでいる。
「水杜……?」
愕然としたように、キイボードから離れた手が、口元を覆う。
(何故、君の名が……)
にわかには、信じられなかった。
(何故ここに君の名が出てくる、水杜!)
唇を、切れそうなほど強くかみしめながら、上着を手にした「彼」は立ち上がった。
(どう足掻いても、明後日には拡がる情報だ。だが今なら…もしかしたら!)
空いた片方の手で、素早くキイの幾つかを叩く。
〝消去しますか?〟
そんな画面が、文字の羅列にとって代わる。
一瞬の躊躇はしかし、表に感じた人の気配に断ちきられた。
(――まだ間に合うかも知れない)
その手が押したのは〝確定〟のキイ。
「シオン?」
――ややあって、気配の主がその姿を部屋に現した時、部屋は既に無人となっていた。
開いた窓から風が吹き込み、月光だけが、ブラックアウトしたコンピュータを、密やかに彩っている。
「……どこへ……」
無人の部屋は、何も答えなかった――。