天樹Side5:それは仕組まれていた
軍の内部には、非公式であるにも関わらず所属軍人ほぼ全員が知る通称として、後方官僚を中心とした軍人たちを“地上組”と呼び、前線士官を中心とした軍人たちを“宇宙組”と呼ぶ慣わしがあった。
それは同時に、前線と後方との間に、容易には超え難い、深い溝がある事の証左だとも言えた。
ただ、もともと“宇宙組”でありながら、戦傷と共に“地上組”へ退いたため、ディーン自身は天樹ら“宇宙組”軍人に対してのわだかまりは少ない。
ロバート・デュカキス大佐が“地上組”と乱闘を起こし、簡易軍事裁判の結果、次期出兵時の最前線艦隊への異動が決定した事を知らせたのは、たまたま裁判書記として、その場に立ち会わされたディーンである。
当初ディーンは、親切心からの裁判の経過報告のつもりで声をかけたのだが、天樹は上官でありながら、その時点まで事件そのものを知らなかった。
天樹よりも上の階級にいる士官の承認があったために、その暴挙が可能だったのだ。
あらゆる手を打ち、召還の手続きを試みた天樹だったが、結局、そのどれも報われることがなかった。
アステル法適用者の台頭として、傍目からはウィリアム・クレイトンの懐刀ともみなされている天樹は、軍の中枢からは、その軍閥化を恐れられていたのである。
――それは、天樹の「力」を削ぐためだけの、偽りの乱闘劇だった。
『前線軍人の権限を、なるべく押さえておきたいという発想は、ごく初級の政治的発想だ。理解できないとは、俺も言わない。ただそれを戦略的見地から見直せば、利敵行為以外の何物にもならない。そんな単純な事に思い当たらない輩が多すぎる。最大の罪悪は、そんな連中が、一番無駄に権力を持っているということだろうがな……すまない、せめてもう少し、俺に力があれば良かったんだが……』
さすがに、ロバート・デュカキスだけを処罰の対象とするのは、あからさますぎるとされたのか、乱闘の当事者として、人事部の幹部も左遷された。
代わって一躍その長となったグレッグ・ディーンの、天樹に対する最初の一言がそれであり、以来二人は、付き合いの親密度を深めるようになった。
それでも、あくまでもディーンは“地上組”の人間であり、何気ない言動が、彼自身の処遇にも直結しかねない事を思えば、ディーンが「あれは“地上組”の嫌がらせでした」と、面と向かって言える筈がない事もまた確かで
ある。
天樹は軽く片手を挙げて、己の問いかけが浅慮だったと、詫びた。
「すまない、ディーン」
「いや。お互い、明るい未来はまだまだ先だと言う話だな……話を戻そうか。TV電話で言いかけていたのは“アステル法”の件、だな?」
「察しが早くて助かるよ」
わずかな笑みを見せた天樹の真意を図りかねたように、ディーンは一呼吸おいて、姿勢を正した。
「さっきも少し言ったが“アステル法”を行使出来る人間は、将官クラスと限られている。だが今現在、少将であるタカキがそれを行使するのに、基本的に問題は――」
そこまで言いかけて、ふとディーンは、己の発言の持つ重みに気付いて、口を閉ざした。
ちょっと待ってくれ、と渇いた声が口から滑り出る。
「タカキ、まさかデュカキス大佐の後任を“アステル法”で充てよう、なんて思っているんじゃないだろうな……?」
――天樹の微笑は、崩れなかった。
「ああ……非の打ち所もなく、それが正しいよディーン。こんな時に冗談が言えるほど、俺は器用な人間じゃない」
「…………」
ディーンはしばらく呆然と、発言者の、穏やかに研ぎ澄まされた容貌を見つめた。
「それは……確かに送信したリストの中に、上層部からのお達し以外にも、有望と思しき民間人を混ぜたのは認めるが……何もそれは、デュカキス大佐の代わりを、と思ってのことじゃない。副官や、司令部付きとしてならともかく、仮にも将官として艦隊を率いるタカキのその補佐に、実戦経験を一切持たない民間人を抜擢するなんてのは、正気の沙汰とは思えないぞ。だいいち、兵士の士気ってものも――」
「ディーン」
あくまで穏やかに、諭すような口調で、天樹がディーンの発言を、そこで遮った。
滅多にないことなので、ディーンも困惑したように口をつぐむ。
「俺が行使する“アステル法”を、受け入れてもいいと言ってくれたのは、地球国立図書館の若宮水杜女史だよ。それでも、問題はあると……?」
「……若宮女史?」
ディーンが、その記憶を辿ったのは、半瞬。
「何だって⁉」
夜更けにも関わらず、声を張り上げて身を乗り出したディーンに、天樹が気圧されたように身を引いた。
「若宮女史って、上層部がこの数年、躍起になってスカウトしようとしてた、あの民間人最高峰と言われる才媛だろう!地球国立図書館が誇る、現在世界最高の歴史学者とも謳われていて、“アステル法”の候補者リストには毎度絶対に、有無を言わせず名前が放り込まれている、あの――⁉」
「……俺より詳しいな、ディーン」
「おまえ、なぁ!」
思わず階級差を忘れて、ディーンがテーブルを叩く。
本多天樹は、とかく他者の、特に権力欲からくる動向には関心が薄い。それが過ぎたが為に、今回のデュカキスのケースのように、足元をすくわれてしまった程だ。
彼がいなくなってしまった以上、艦隊内でそれを指摘出来る人間は、確かに必要だ。
「彼女は地球未統一時代、すなわち五百年以上前の主言語を網羅した、恐らくは現代でただ一人の人物だ。特にここ数年、未解読資料として国立図書館に眠っていた書物を、次々と解読していると聞く。彼女のその動向が、今、軍にも波紋を呼んでいる。何より金星軍お得意の暗号通信が、全て、その古代言語に拠っているともっぱらの噂なんだ。総務局にしろ、他局にしろ、その知識を欲してここ数年、どれほどアプローチをしてきたか――」
「……なるほど」
呟いた天樹の口調は、どこか他人ごとのように、淡々としている。
話の勢いを削がれたディーンは、そういう奴だよな、と呆れたように椅子に座りなおすしかなかった。
(その打算のなさが……あるいは、若宮女史の鉄壁のガードをも崩したのか?)
兵役金を払う事で、軍に背き続けてきた彼女は、軍人の権力意識には、誰よりも敏感な筈であった。
もしかしたら、とディーンは期待をしてしまう。
その事が、かえって“地上組”の陰湿な策謀を止める事が出来るのだろうか、と。