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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第二章 アステル
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天樹Side3:図書館の再会4

「……『だから』の後に、果てしない論理の飛躍があった気はするけど」


 ややあって、発せられた水杜の言葉は、むしろ自分自身を落ち着けようとするかのように、ゆっくりとしたものだった。


「確かに、過去に何度か、貴方よりも成績の良かった試験はあったかも知れない。でも本多君、優れた軍人が、学生時代の成績も優れていた例はあっても、学生時代の成績が優れていた人間が、必ずしも優れた軍人になるとは限らないわ。本多君は前者、私は後者。……あまり買い被られても困るんだけど」


 かろうじて、苦笑未満の表情を水杜は浮かべたが、天樹は「ああ……」と呟いただけで、同意する様子を見せなかった。


「そんな事は、君は気にしなくていいよ。その時は俺がただ、見る目がなかったんだと上層部に責められるだけの話だからね」


「……それは……」 


 尚更、反論に行き詰まった水杜に、天樹は繰り返し、君が必要なんだと語りかけた。 


司狼(しろう)先生も、もうこの世の人じゃない。このままで良い筈なんてないのに、そんな簡単な論理(こと)にさえ、気付いている人間(ひと)が少ない。

それじゃ十年どころか、いつまでたっても戦争は終わらない。君はそう思わないか、若宮さん?俺は、それを見過ごす事が出来ない……」


 水杜が反論に行き詰まっていたのは、必ずしも天樹の勢いに気圧されたからだけではない。


 心のどこかで、彼の言葉を否定しきれない自分に気付いていたのである。


(そう……私は、分かってる……)


 今のままでは、戦争の終結も、恒久の平和も、全てが絵空事だと言う事なら――最初から。


 水杜の沈黙を、自分自身への怯みと見たのだろう。口元に手をやりながら、天樹が話運びの性急さを、謝罪した。


「悪い。俺の都合で喋りすぎたよ」

「本多君、キレたら怖いタイプなのかな」

「……ごめん」

「ああ、違う違う。今のは、話を混ぜ返そうとした、私が悪いし、気にしないで」


 微かな笑みをお互いが浮かべたものの、会話はそこで途切れてしまう。


 何も、今すぐ決断を下せと、天樹も要求している訳ではないにせよ、何らかの「答え」を望んでいるのも、また確かだった。


 水杜は沈黙を嫌うように、右手で髪をか上げる仕種を見せ、足元へと視線を落とした。


「どうして私を……って、聞いても構わない?本当のところを」 


 天樹も、今度はゆっくりと、言葉を選ぶように、そうだな……と、呟いた。 


「俺は君も、今のままでは何一つ解決しないっていう事を知っている人だと思った。敢えて軍とは全く関わりのない進路を選んでいるからこそ、ね。だから、協力しあえる筈だと思ったんだ。買い被りだとは思っていないよ。この五年で、人を見る目は充分養われたと思っているしね。俺に言わせれば、君が、自分自身を過少評価しているよ」


 ただ、とそこで微かに天樹は笑った。


「君が、俺を上官としてはとても認められないから拒絶すると、そう言われてしまえば、俺にはどうしようもないんだけどね」


「それは……そんなことは――」


「ここへ来る前」


 答えようがなく、困惑する水杜の言葉を、天樹は最後まで聞かなかった。

 どうしても、誰かに聞いて貰わずにはいられない思いが、水杜の言葉を遮らせていたのだろう。


「俺は親しかった友人の死を知らされた」


 唇をかみしめるその表情は、少し、険しくなっていたかも知れなかった。


「もう、何もかも投げ出してしまいたい願望も、正直言えばあるよ。けれど現在(いま)の俺に、それだけは出来ない事も良く分かっている。俺は戦争を――いや、()()()()()()()ために、戦い続けなきゃならない。君の言い方を借りれば、結局はそれが、俺の『意志』と言う事になるのかな」


「全てを終らせる……ため?」


「太陽系から戦争を一掃したい。理想論だからこそ、共感者も欲しい。いや、対立命題(アンチテーゼ)でも構わないんだ。そこから起きる議論だけが、理想論を夢物語から脱却させられる。俺が望んでいるのはむしろ、軍事的な才能とは言い難いよ」


 それは、上官たるウィリアム・クレイトンにすら吐露していない、天樹の偽らざる心境である。


 そう、一気に言い放った天樹は、わずかに息をついた。


「何故と問われれば、自分の望んだ道を広げたいがため、としか答えようがないかな。勝手だと怒鳴られるのは、充分に承知してる」


 わざと偽悪的な言い方をしたのは、水杜に余計な気を遣わせないためだろう。

 それを察した水杜も、言葉ではなく、ただ、かぶりを振った。


「若宮さん……」 

「個人的に、拗ねて兵役を拒否しているよりは、確かによほど前向きな『生き方』なのかも」


 ――今はまるで、夢物語だったとしても。


「それは違うよ、若宮さん」


 天樹の口もとに、ほろ苦い笑みが広がった。


「君のように、外の世論から戦争の罪悪を訴える人間も、確かに必要だよ。何がより良い方法なのか、現在(いま)は誰にも分からないんだから。俺はただ、それを軍の内側からやろうとしているだけだ。こんなくだらない争いは、出来れば俺の代で終らせてしまいたい」


 思ったより障害は大きいけどね、という最後の呟きには、心底、感情がこもっていたように、水杜には思えた。


「それで、君に助けて貰えればと思って……そっちの方が、俺の本音には近い」


 天樹の口調ほどには、話の内容は柔らかなものではない。


「……何だか、責任の重い話に聞こえるわ」


()()()それが分かってくれただけでも充分かな」

「…………」


 天樹の切り返しは、むしろ水杜には皮肉に聞こえた。それが表情にも出たのだろう。そこで初めて、こらえきれず、天樹が笑った。


「ごめん。笑い事じゃなかったな」 


「あんまり変わってないみたいね、本多君。元気そうで何よりだわ」


「どこまで喜んで良いのか判断に困るな。けれど君は、今更驚かないだろう?」


「威張るところじゃないんだけど。今の『実は性格悪いんじゃないの?』っていう嫌味なのに……一応」


「威張っているつもりはないよ。それに俺のは、お願いと言うより、ただの脅迫だ」


「自分で、それ言っちゃう?余計、始末に負えないわ。確信犯なんて」


 呆れた様な水杜の嘆息は、そう長い間の事ではなく、やがて何かを己の中に飲み込

むように、ゆっくりと天井を仰いだ。


「ううん、本多君のそれって……脅迫と言うより、むしろ『未必の故意』かもね」


「未必の故意?」


 興味深げに、その言葉を聞き咎めた天樹に、そうよ、と水杜が再び、視線を戻した。


 声からも表情からも冗談の要素を消して、正面から天樹と向き合う。


「だって本多君、最初から私が断わると思って、来ていないでしょ、ここへ。…違う?」


「若宮さん……」


 質問をしているのか、批判をしているのか、答えを必要としているのか、いないのか。


 とっさに分からない台詞だったが、どちらにしても、天樹に(おもね)った話し方では、決してなかった。


 それは、天樹にとってはいっそ清々しいと言うべきで、水杜の言葉の真意にとうに気付きながらも、彼は黙って、彼女の言葉をしばらくかみしめていた。


「こんな私でも役に立てると言うのなら……貴方に身柄を預けるわ、本多君」


 ――五年前の自分自身を思い起こさせる、彼女のその言葉を。


「若宮さん、君にも……」

「え?」


 約束された将来を、否定してみたい「何か」があったのか――。


 彼自身の既視感(デジャヴュ)から、天樹はそう、口にしかけたが、それが自分自身の「生い立ち」をも明らかにしてしまうと気付いたのか、結局は、その言葉を飲み込んでしまった。


 本多財閥に関わる全てのことは、誰もが知る話ではない。


 天樹は言葉の代わりに、右手だけを水杜の方へと、静かに差し出した。

 彼らしからぬ、非個性的な一言と共に。


「なんでもない。……ありがとう、若宮さん」


 どういたしまして、とその手を握り返した水杜も、静かに微笑む。


「ごめん、でも『閣下』…って言うんだったかな?多分、すぐには呼び慣れないと思う」


 天樹の手を握ったまま、そうおどける水杜に、構わないよ、と天樹も笑った。


「正直、それは君一人の事じゃないから」

「……そうなの?」

「俺に威厳が足りないのは確かだし、他にも理由は……まあ、すぐに分かるよ」


 そう言った天樹はちらりと壁の時計に視線を投げると、水杜から手を放し、入館後、一度は脱いだコートの袖に、再び腕を通した。


「いずれ日を改めて、“アステル法”受諾の手続きについての詳しい話をさせて貰うよ。今日は、遅くまで引き止めたみたいで、ごめん。送る」


「……え?」 


 遅い?とそこで問い返した水杜の表情は、真顔だった。


「ああ、私の事なら気にしないで。いつもはもっと遅いし。仕事もまだ残ってるから。気を遣って貰わなくても大丈夫」


「……それはそれで問題なんじゃないか?」


「そうね。労働時間は、そのうち本多君に考慮して貰うわ。でも真面目な話、今日は本当に、仕事がまだ途中なの。気持ちだけ受け取っておく」


 本多君を信用する、しないの話じゃないから、と水杜は軽くウインクした。


 確かに、彼女が図書館在籍中である今は、天樹は引き下がらざるを得ない。


「2~3日中には、また連絡するよ」


 自身の発言にそぐわず、背筋を伸ばし、凛とした雰囲気を漂わせて歩き去る本多天樹の姿には、将としての充分な威厳があるように水杜には思えた。


 二、三度頭を振った水杜は仕事を再開し、結局帰路についたのは、それからさらに数時間、経過してからの事だったのである――。

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