水杜Side3:図書館の再会3
「俺が高校を首席で卒業出来たのは、誰かさんが転校していった結果なんじゃないかとも、思うんだけどね」
仮に複雑に揺れる水杜の心の内が見えたとして、現在軍人である天樹に、それ以上の言葉がかけられよう筈もない。
それ以上おどけた風な会話も出来ず、話は本筋へと戻された。
「それに……俺も兵役には就いていないよ。俺は“アステル法”の行使を受けて、軍に入った人間なんだ。知ってるだろう、アステル法の事は?」
「……え?」
よほどその言葉が意外だったのか、その時確かに、困惑も露だった水杜のその面持ちに、凄然たる知性の兆しが浮かび上がった。
「――アステル法」
個人的な好き嫌いに関わらず、これからの歴史書には必ず登場するであろう、法律の一つ。
一兵卒の兵役ではなく、尉官級以上の待遇をもって軍へ入るという、特殊な人材のための、特殊な法律だ。
兵役軍人と正規軍人との大きな違いは、一つには、配属の希望も、転属の希望も、ある程度許されていると言うところにあった。もちろん、最終的な人事の決定権は、総務局人事部が握っている訳だが、比較的、本人の希望が通りやすい。
当然、アステル法をもって軍に入る人間についても、それに準じて、法を行使する上官の下に配属される権利が保証されていた。
本多天樹が現在、一見して高い地位にあると分かる軍服を着ているのは、彼の能力からすれば、それほど意外な事ではない。
むしろ水杜にしてみれば、常に他人と争う事を避け、目立たない学生生活を送ろうとしていた彼が、誰の招きにせよ、そのアステル法を受けたという事の方こそがが、意外だった。
「ひどいな…それだと俺が、まるで自分の意志のない、八方美人のいい子だったみたいだ」
正直に意外さを口にした水杜に、天樹はただ、苦笑した。その穏やかさでは、やはり根底で、彼はあまり変わってはいないのだろうとも思える。
だが、そんな水杜の感情を見透かしたように、天樹はゆっくりとかぶりを振った。
「多分俺は、自分でも意識しないうちに疲れていたんだよ。周囲の期待に沿おうとしつづける事に、ね。アステル法を受けたのは、今にして思えば、随分とマイナス思考をした結果だったのかも知れない」
「本多君……」
「今だって、それほど愛国心に溢れているようには見えないだろう?それでもこうして生き永らえている訳だから、他人から見れば、随分と罰当たりな存在なんだろうね、俺は」
「……っ」
その瞬間、確かに違いの胸に、微かな既視感がよぎった。
高校の頃、クラスは違えど一度だけ、お互いの進路について言葉を交わす機会があった事を思い出す。
『自分で何がしたいのか分からない以上、扶養家族の身としては、周囲にかどを立てず、家の期待を踏み外さない程度に、勉強しておくしかないんじゃないのかな』
当時同じ大学の説明会に来ながら、その志望動機に一点の接点もなかった事に、水杜は驚いたのだ。
半ば呆れて、全く繋がりのない問い掛けをした事も覚えている。
『本多君って、もしかしてこの世で一番、自分自身が嫌いだったりする?』
その時、天樹は心底驚いた様に、水杜を見返したのである。
『……そうだね。非の打ち所もなく、それが正しいね』
――その彼をして、何が家の期待を踏み外させたのか。
水杜は少し、知りたい気もした。
「本多君……やっぱりまだ、この世で一番、自分自身が嫌い、とか?」
水杜の言葉に、天樹も同じ回想をしていたのかも知れない。
何とも言えない表情で、水杜を見返していた。
「その話、今は恥ずかしいな……要は、将来のレールを勝手に引かれていた自分が、面白くなかっただけなんだよ、多分」
「じゃあ、今は好きになった?」
「どうだろう……俺のこの生き方が正しかったかどうかなんて、俺が生きている内には、きっと分からないだろうからね。なるべく後悔しないように生きていく位の事しか、今は出来ないよ。俺に関わる全ての人を、一人も悲しませる事なく生きていけると思う程、俺も傲慢じゃないから」
苦労をしたのだろう、と敢えて口にする事は、水杜はしなかった。
人が一つの境地に辿り着くためには、どうあっても、相応の苦悩と時間は必要だ。
軍と言う、非日常的な空間に自らを置いているからと言う理由だけで、彼が現在の心境に辿り着いているとは、水杜も思っていない。
〝トリックスター事件〟を知る者だけの、それは暗黙の了解なのかも知れなかった。
「五年前」
それかけた話を戻そうとするかのように、今度は天樹の方が、口火を切った。
「司狼・ファイザード先生が……ああ、若宮さんは知らないかな?中学の時、初級の宇宙科学を教えていた先生だったんだけど」
「うん。直接は教わってない、かな」
「君は文系を選択していたからね。…その司狼先生が、俺に言ったんだ。軍を変えようとしている人がいる、って。俺たちの生まれる前から続いている、このくだらない争いの本当の原因が、どこにあるのかを知っている人は、確かに軍の中にいるんだ…ってね」
軍服を着ての発言としては、相当辛辣であると言って良い。水杜は気圧される形で、口をつぐんだ。
「現実論として、今すぐ戦争を終わらせる事は出来ないだろうけど、けれど十年後、平和になっている為の努力は、すべきじゃないのか…とね。一体何人の人間が、十年後の世の中の事なんて、考えていると思う?少なくとも俺はその時、自分の視野の狭さを思い知らされたよ」
「……十年後……」
「司狼先生も、そう言われて“アステル法”を受ける決意をして、学校を辞めたと言っていた。確かに軍人や、戦争を蔑視しているだけじゃ何も変わらないだろうし、やみくもに金星軍と争い続けたところで、やはり何も変わらないだろう。それを理想論だとはねつける事はたやすい。ただ俺には、今日明日の財閥の存続よりも、意義のある事だと思えたんだ。ましてや俺が、その事に対して役に立てると言うのであれば、尚更……ね」
気圧される水杜に、もっとも……と、自分自身を落ち着かせるように、ひと呼吸、天樹は置いた。
「俺がどんな理屈をつけて、どんな選択をしたところで、それは『偽善』以外の何ものでもないと言う人もいるけどね。……君はどう思う、若宮さん?」
「え?」
突然、話の水を向けられて、水杜が困惑混じりに、天樹を見返した。
「……それは戦争の『罪悪』の話?それとも本多君の、『生き方』の話?」
「俺の生き方が、誉められたものじゃないって事くらいは、分かってるよ」
こんな時間から、昔話どころか自虐ネタを披露されても困るのだが。
「それでも、厄介でも何でも、今の生活を本多君が続けている以上は、それも一つの『意思』じゃない?それこそ、本多君が生きている内は、自分の生き方に関してなんて、誰も判断の出来る話じゃないと思うんだけど……」
「俺の『意志』か……確かに、今、生きて、存在しているという『結果』から、俺という人間を量られるのであれば、それこそが本望なのかも知れない、うん」
「……何だか他人事ね……」
さすがに水杜も、眉を顰めている。
「それも極論じゃない、本多君?結局のところ、どっちにしても兵役金を払ってるだけじゃ、何の進歩も望めないんだから、何かやってみろと、そう言いに来たの?」
「……君も極論だよ」
そんな水杜の舌鋒を、天樹は苦笑とともに受け流す。
「まぁ、当たらずとも遠からず…とは言っておくけどね。正直俺は、君ほどの人を一兵卒としてなんて、軍に招きたくはないんだ。ただそれは、あくまでも俺の我儘だからね」
「……一応、誉めてもらったのかな」
「そう取って貰って良いよ。だから、軍に来ないか、若宮さん?兵役としての一兵卒じゃなく、“アステル法”を受諾した、軍の官僚として」
「……え?」
さすがの水杜が、天樹の話運びについていけずに、その後の言葉を続けられなかった。
絶句、と言うより「鳩が豆鉄砲を喰らった顔」と、後々まで言われる事になった、素で面食らった表情をそこで見せたのである。
「……本多、君?」
「俺は本気だよ」
答えた天樹の声からは、昔を懐かしんでいた、柔らかさが消えている。
「君に来て欲しいんだ……俺の麾下に」
「……っ」
何の冗談だ、とでも言いたげな表情を、水杜はハッキリと浮かべて見せたが、どこまでも真摯な天樹の姿には、言いかけた言葉を飲み込まざるを得なかった。
――驚愕と言う名の、無形の嵐が静かな部屋を駆け巡り、水杜はしばらく、言葉を模索するかのように、黙り込んだ。