表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第二章 アステル
14/108

水杜Side3:図書館の再会3

「俺が高校を首席で卒業出来たのは、誰かさんが転校していった結果なんじゃないかとも、思うんだけどね」


 仮に複雑に揺れる水杜の心の内が見えたとして、現在軍人である天樹に、それ以上の言葉がかけられよう筈もない。


 それ以上おどけた風な会話も出来ず、話は本筋へと戻された。


「それに……俺も兵役には就いていないよ。俺は“アステル法”の行使を受けて、軍に入った人間なんだ。知ってるだろう、アステル法の事は?」


「……え?」


 よほどその言葉が意外だったのか、その時確かに、困惑も露だった水杜のその面持ちに、凄然たる知性の兆しが浮かび上がった。


「――アステル法」 


 個人的な好き嫌いに関わらず、これからの歴史書には必ず登場するであろう、法律の一つ。


 一兵卒の兵役ではなく、尉官級以上の待遇をもって軍へ入るという、特殊な人材のための、特殊な法律だ。


 兵役軍人と正規軍人との大きな違いは、一つには、配属の希望も、転属の希望も、ある程度許されていると言うところにあった。もちろん、最終的な人事の決定権は、総務局人事部が握っている訳だが、比較的、本人の希望が通りやすい。


 当然、アステル法をもって軍に入る人間についても、それに準じて、法を行使する上官の下に配属される権利が保証されていた。


 本多天樹が現在、一見して高い地位にあると分かる軍服を着ているのは、彼の能力からすれば、それほど意外な事ではない。


 むしろ水杜にしてみれば、常に他人と争う事を避け、目立たない学生生活を送ろうとしていた彼が、誰の招きにせよ、そのアステル法を受けたという事の方こそがが、意外だった。


「ひどいな…それだと俺が、まるで自分の意志のない、八方美人のいい子だったみたいだ」


 正直に意外さを口にした水杜に、天樹はただ、苦笑した。その穏やかさでは、やはり根底で、彼はあまり変わってはいないのだろうとも思える。


 だが、そんな水杜の感情を見透かしたように、天樹はゆっくりとかぶりを振った。


「多分俺は、自分でも意識しないうちに疲れていたんだよ。周囲の期待に沿おうとしつづける事に、ね。アステル法を受けたのは、今にして思えば、随分とマイナス思考をした結果だったのかも知れない」


「本多君……」 


「今だって、それほど愛国心に溢れているようには見えないだろう?それでもこうして生き永らえている訳だから、他人から見れば、随分と罰当たりな存在なんだろうね、俺は」


「……っ」


 その瞬間、確かに違いの胸に、微かな既視感(デジャヴュ)がよぎった。



 高校の頃、クラスは違えど一度だけ、お互いの進路について言葉を交わす機会があった事を思い出す。


『自分で何がしたいのか分からない以上、扶養家族の身としては、周囲にかどを立てず、家の期待を踏み外さない程度に、勉強しておくしかないんじゃないのかな』


 当時同じ大学の説明会に来ながら、その志望動機に一点の接点もなかった事に、水杜は驚いたのだ。


 半ば呆れて、全く繋がりのない問い掛けをした事も覚えている。


『本多君って、もしかしてこの世で一番、自分自身が嫌いだったりする?』


 その時、天樹は心底驚いた様に、水杜を見返したのである。


『……そうだね。非の打ち所もなく、それが正しいね』



 ――その彼をして、何が家の期待を()()()()()()のか。


 水杜は少し、知りたい気もした。


「本多君……やっぱりまだ、この世で一番、自分自身が嫌い、とか?」


 水杜の言葉に、天樹も同じ回想をしていたのかも知れない。

 何とも言えない表情で、水杜を見返していた。


「その話、今は恥ずかしいな……要は、将来のレールを勝手に引かれていた自分が、面白くなかっただけなんだよ、多分」


「じゃあ、今は好きになった?」


「どうだろう……俺のこの生き方が正しかったかどうかなんて、俺が生きている内には、きっと分からないだろうからね。なるべく後悔しないように生きていく位の事しか、今は出来ないよ。俺に関わる全ての人を、一人も悲しませる事なく生きていけると思う程、俺も傲慢じゃないから」


 苦労をしたのだろう、と敢えて口にする事は、水杜はしなかった。


 人が一つの境地に辿り着くためには、どうあっても、相応の苦悩と時間は必要だ。


 軍と言う、非日常的な空間に自らを置いているからと言う理由だけで、彼が現在の心境に辿り着いているとは、水杜も思っていない。


 〝トリックスター事件(ケース)〟を知る者だけの、それは暗黙の了解なのかも知れなかった。


「五年前」


 それかけた話を戻そうとするかのように、今度は天樹の方が、口火を切った。


司狼(しろう)・ファイザード先生が……ああ、若宮さんは知らないかな?中学の時、初級の宇宙科学を教えていた先生だったんだけど」


「うん。直接は教わってない、かな」 


「君は文系を選択していたからね。…その司狼先生が、俺に言ったんだ。軍を変えようとしている人がいる、って。俺たちの生まれる前から続いている、このくだらない争いの本当の原因が、どこにあるのかを知っている人は、確かに軍の中にいるんだ…ってね」 


 軍服を着ての発言としては、相当辛辣であると言って良い。水杜は気圧される形で、口をつぐんだ。


「現実論として、今すぐ戦争を終わらせる事は出来ないだろうけど、けれど十年後、平和になっている為の努力は、すべきじゃないのか…とね。一体何人の人間が、十年後の世の中の事なんて、考えていると思う?少なくとも俺はその時、自分の視野の狭さを思い知らされたよ」


「……十年後……」


「司狼先生も、そう言われて“アステル法”を受ける決意をして、学校を辞めたと言っていた。確かに軍人や、戦争を蔑視しているだけじゃ何も変わらないだろうし、やみくもに金星(ヴィナス)軍と争い続けたところで、やはり何も変わらないだろう。それを理想論だとはねつける事はたやすい。ただ俺には、今日明日の財閥の存続よりも、意義のある事だと思えたんだ。ましてや俺が、その事に対して役に立てると言うのであれば、尚更……ね」


 気圧される水杜に、もっとも……と、自分自身を落ち着かせるように、ひと呼吸、天樹は置いた。


「俺がどんな理屈をつけて、どんな選択をしたところで、それは『偽善』以外の何ものでもないと言う人もいるけどね。……君はどう思う、若宮さん?」


「え?」


 突然、話の水を向けられて、水杜が困惑混じりに、天樹を見返した。


「……それは戦争の『罪悪』の話?それとも本多君の、『生き方』の話?」


「俺の生き方が、誉められたものじゃないって事くらいは、分かってるよ」


 こんな時間から、昔話どころか自虐ネタを披露されても困るのだが。


「それでも、厄介でも何でも、今の生活を本多君が続けている以上は、それも一つの『意思』じゃない?それこそ、本多君が生きている内は、自分の生き方に関してなんて、誰も判断の出来る話じゃないと思うんだけど……」


「俺の『意志』か……確かに、今、生きて、存在しているという『結果』から、俺という人間を量られるのであれば、それこそが本望なのかも知れない、うん」


「……何だか他人事ね……」


 さすがに水杜も、眉を(ひそ)めている。


「それも極論じゃない、本多君?結局のところ、どっちにしても兵役金を払ってるだけじゃ、何の進歩も望めないんだから、何かやってみろと、そう言いに来たの?」


「……君も極論だよ」


 そんな水杜の舌鋒を、天樹は苦笑とともに受け流す。


「まぁ、当たらずとも遠からず…とは言っておくけどね。正直俺は、君ほどの人を一兵卒としてなんて、軍に招きたくはないんだ。ただそれは、あくまでも俺の我儘(エゴ)だからね」


「……一応、誉めてもらったのかな」


「そう取って貰って良いよ。だから、軍に来ないか、若宮さん?兵役としての一兵卒じゃなく、“アステル法”を受諾した、軍の官僚として」


「……え?」


 さすがの水杜が、天樹の話運びについていけずに、その後の言葉を続けられなかった。


 絶句、と言うより「鳩が豆鉄砲を喰らった顔」と、後々まで言われる事になった、素で面食らった表情をそこで見せたのである。


「……本多、君?」

「俺は本気だよ」


 答えた天樹の声からは、昔を懐かしんでいた、柔らかさが消えている。


「君に来て欲しいんだ……俺の麾下に」

「……っ」


 何の冗談だ、とでも言いたげな表情を、水杜はハッキリと浮かべて見せたが、どこまでも真摯な天樹の姿には、言いかけた言葉を飲み込まざるを得なかった。 

 


 ――驚愕と言う名の、無形の嵐が静かな部屋を駆け巡り、水杜はしばらく、言葉を模索するかのように、黙り込んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ