水杜Side2:図書館の再会2
「本多……君って……」
一般の閲覧者は立ち入り禁止となっている文献室の中は、静まり返っていた。
だが水杜は名前を呼ばれるまで、当の本多天樹がそこにに入って来た事に、気が付かなかった。
「若宮……さん?」
遠慮がちにかけられた声に、ふと顔を上げる。
「……っ」
そして言葉よりも先に、水杜は軽く目を瞠っていた。
「ああ、ごめんなさい。えっと……何だっけ……お久しぶり、で良いのかな」
「そうだね」
そうして短い沈黙が一瞬、場を支配する。
だがすぐに、それを嫌うように、水杜の方が小さくかぶりを振った。
「ごめんなさい。ちょっと、何言っていいか分からなくて……」
分かるよ、と柔らかい声で天樹が答えた。
「俺自身が時々、今の自分に憤りを覚えてるくらいだからね」
いくら簡素であろうと、地球軍の軍服は間違えようがない。
特に本多天樹の中学・高校時代を知る水杜にとって、にわかには信じられない姿だったとしても、不思議ではなかった。
苦笑を浮かべる天樹に、つられて水杜も笑いかけたものの、何に気付いたのか、ふとその笑みを消すように、視線を逸らした。
「……兵役金の支払期限なら、もう少し先だとばかり思っていたんだけど」
「え?」
水杜の論旨を把握しそこねたのか、とぼけた風でもなく首を傾げた天樹だったが、自分の軍服に視線を落とした時、その疑問はすぐに氷解したようだった。
「ああ……」
国家義務として、兵役制度が存在するのは良く知られてはいるが、その果たすべき「義務」に、実は兵役以外の選択肢も存在している事を知る者は、そう多くない。
対象者の内、実に九割もの人間が、躊躇無く兵役に就く事の方を選択するために、むしろもう一方の選択肢は、法の抜け道なのではないかとさえ、囁かれているのだ。
それでも軍にとっては、人的資源に比肩する資源とも言える――財政資源としての「兵役金」は、無視出来る存在ではなかった。
ただし、並の労働者の年収を遥かに上回る額を、通常の兵役期間よりも長く払い続けなければならないとあっては、一般市民からすれば選択肢にさえならないのが実情だ。
本来、母一人子一人の若宮水杜とて、到底「兵役金」など払える立場にはなかったのだが、この地球上で、恐らく現在最も古典文献に精通していると、評判の高かったその頭脳に、地球国立図書館側が理解を示し、兵役金の大部分を負担する事で、彼女の義務兵役を押し留めたのである。
だが彼女に限って言えば、軍は「金」よりも、むしろその「頭脳」を活かしたかった筈で、天樹は全く知らなかった事だが、これまで幾人もの軍高官が彼女を訪ねては、軍への入隊を働きかけていた。
兵役金を払うのもいいが、国民の義務としして、その頭脳は活かされるべきだ……云々と、こぞって力説していたものだったのだが、恐らくは父と妹の件が深く根付いている彼女にとって、その説得は何の意味もなさなかったのだ。
そうこうするうちに、兵役金よりも、兵役を拒否していると言う面ばかりが、クローズアップされるようになり、昨今では彼女の名前そのものが、反戦活動の象徴であるかのように、独り歩きを始めていた。
そんな事もあり、水杜の苛立ちと、軍に対する嫌悪感は、ほぼ振り切れかかっていたのである。
「別に、俺は兵役金の督促に来た訳じゃないんだよ。正直、俺はそれを知り得る立場にはないからね」
義務兵役の管理は総務局の仕事であり、ましてや高校を卒業して5年もたてば、普通、兵役はとうに終わっている。
天樹はさして意識もせず、淡々とそう答えたのだが、水杜はそこで意外そうに、顔をあげた。
「……じゃ、何をしにここへ?」
確かに、5年近く音沙汰もなかったとなれば、旧交を懐かしむと言う理由も、あまり現実的ではない。
だがあまりにも正直すぎるその問いかけに天樹は苦笑し、流石に失礼だと気付いた水杜も、慌てたように両の手を振った。
「あー……うん、ホント久しぶりね。五年ぶり……って訳でもないのかな。いつだったか、アルファードの空港ですれ違った事はあったよね、確か?」
「そうだね。俺は休暇中で、友人を迎えに行っていたところだったから、その時は私
服だった」
「私は、大学のゼミ旅行に行く直前で……お互い慌ただしかったし、ロクに話もしなかったわね、あの時は」
「まさかお互い、こっちの地区に住んでいるとは思わなかったよ」
「ああ……それよ、それ。本多君は、いつから首都に?」
「高校を卒業してすぐだから、もうじき五年かな。そうか……君は、卒業間近の冬に転校してしまっていたから、お互い、行く先なんて知らなかったのか」
何気なくそう言ったものの、そこで言葉を詰まらせたのは、天樹自身である。
卒業を目前に、水杜が転校を余儀なくされた――あるいは決意した理由なら、むしろ天樹の方が、良く分かっていたのだ。
――〝トリックスター事件〟
犠牲者の一人は、彼女の妹だ。
なおかつ、それと前後するように、兵役途中に少尉となり、その才覚から、軍に留まり、中佐にまでなっていた彼女の父・若宮透も、戦死していた。
天樹の想像の域を出る話ではないが、母一人子一人になってなお、二人の思い出の詰まるその土地で、とても暮らしていけなかったのだとしても、何ら不思議ではなかった。
「……本多君も、さしずめ兵役から抜けられなくなったクチかな。昔から、頭良かったしね」
無言の天樹から気遣いを感じたのか、水杜は口元に笑みを浮かべつつ、自分から話
題を変えた。
天樹は一瞬だけ目を閉じ、その意図を受け止めた事を彼女に垣間見せた。