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虚空のシンフォニア――序奏・黎明の迷宮――  作者: 渡邊 香梨
第二章 アステル
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水杜Side1:図書館の再会1

 『現時点での科学力は、人類をして、一ヶ月足らずで太陽系を行き来させる事を可能にしている。外宇宙の営み、などと言うものは、未だ人類の認識の外に置かれてはいたが、それでも、輝かしい【宇宙航海時代】の幕開けは、目前であるかのように思われていたのである。 太陽系を、制しさえすれば―――それは巧妙な刷り込みだ。人々は、宇宙に夢を抱いている。現実として、そこが軍需産業と最先端技術の品評会会場にすぎない、などとは誰も考えない。だからこそ、私たちは―――』


「うーん……いまひとつ陳腐、かな……」


 コンピュータのキイを叩いていた手をふと止めて、若宮(わかみや)水杜(みと)は小首を傾げた。


 肩よりやや長めに伸びた、黒のストレートヘア。そして同色の漆黒の瞳。総じて知的な印象を与える美貌だが、決して圭角的ではない。


 まもなく23歳を迎えようかというところだったが、奇妙に奥深い光彩を湛えるその瞳は、年齢に似合わぬ、視野の広さを見せているように思える。


 現在、彼女が勤務している「地球(テラ)国立図書館」は、400年以上も昔、地球上に乱立していた中の、一国家の行政府であった建物をそのまま活かしたものであり、白壁の建物自体が、貴重な文化財にもなっていた。


 地球最大の蔵書量を誇るこの図書館、見て回るだけでも数日はかかると言われている程で、蔵書の中には、現代に至っても尚、未解読な蔵書も数多くあった。


 2595年現在の、若宮水杜の仕事は、その蔵書の翻訳及び、整理と分類の作業を中心としたものであった。


 ここしばらくは、古典文献の幾つかを元にした、独自のコラムを執筆中だ。


「どうしても、軍に批判的になるなぁ……」


 閉館時間を過ぎ、人気のなくなった図書館の一室で、ぽつりと水杜は呟いた。

 

 5年前までは確かに、軍人だった父を誇りに思い、尊敬もしてきたが、その父の死を契機とするかのように、彼女自身を取り巻く環境は、大きく変わった。


 父親だけではなく、妹までもを失った「痛み」が、彼女に戦争の愚かさと、無意味さとを強く悟らせるようになったのは、無理からぬ事と言えた。


(名誉ある戦死など存在しない)


 だからこそ、父が通ってみたいと言っていた大学へ入学した時も、父が愛し、休暇中には、わざわざ海を越えて通った、この図書館に就職を決めた時も、残された母は反対しなかったのだと、水杜はそう思っていた。


 ……それが、一般的な娘の辿る進路ではないと、知りつつも。


「……っと」


 その時ふいに、卓上のTV電話(ヴィジフォン)が、静かな部屋の中で鳴り響いた。


 入力作業の行き詰まったコンピュータを、軽く指で弾くようにして、水杜はTV電話(ヴィジフォン)の受信ボタンを押す。


「はい、若宮です」

『どうも、女史。お仕事中、申し訳ない』 


 画面に現れたのは、この図書館の警備責任者、と言うよりは、管理人と言った方がいいほどのベテラン、マルティン・デフォーだ。


 水杜が生まれるより前から図書館に勤めていると豪語するこの壮年の男性も、近頃では画面に映る白髪を少し気にしてか、頭へと手をやる仕種が多い。


「デフォーさん?……もう閉める時間だったかな」


 一般の閉館時間はとっくに過ぎていたが、水杜は常に、そこから2時間は経たないと帰路につかない。


 デフォーに限らず警備の人間は、それを良く分かっている筈であり、閉館時間から1時間がたったかどうかという今、水杜が小首を傾げて見せるのも、仕方が無い事だと言えた。

 

『閉館時間はとっくに過ぎてますよ、女史』 


 デフォーもそれを心得ていながら、悪戯っぽい口調でそう答える。


『いい加減にさせてほしいと、館長からは頼まれとるんですが…それはまあ、今日はいいでしょう。それよりも女史、お客さんが見えてますよ』

  

「……お客様?」


  画面に向かい、不信感も露わに、水杜は眉を(ひそ)めて見せた。

 果たして今日、そんな予定があったかと、思い返したのも一瞬。

    

「……デフォーさんの知る、私の知人以外なら、お断りして頂けませんか?時間的に、遅いと思いますし」


 外は、日が暮れてから、既に2時間ほどは経過している。これでのこのこと出て行って、何かあったとしても、誰も同情してくれまい。


 その答えが冷徹だとは、水杜は思わなかったのだが、デフォーは意外にも、困った表情を画面越しに垣間見せた。


 急に声をひそめるようにして、TV電話(ヴィジフォン)越しに囁きかける。


『どうも、軍人みたいなんだがな』

「軍人?」


 それに反して、水杜の声のトーンが、決して好意的ではない方向に、跳ね上がった。


 戦争で家族を失った、水杜の軍への嫌悪ぶりは、既に図書館内でも有名だった。


 デフォーが慌ててフォローしなければ、態度を硬化させかけていた水杜に、その訪問者は、剣もほろろに追い返されていただろう。


 それは訪問者と彼女にとって、幸いだったのか―――それとも、不幸だったのか。


『いや、本人は女史の「昔なじみ」だと言ってるんだが。ただこちらが、コートの下の軍服に気付いただけのことだ』


「………」 


 デフォーさん、と話しかけた水杜の指が、やや苛立たしげに机で音をたてた。

 全く話が見えなかったのだ。


「……誰ですか、その人?」


 答えは、すぐには返らなかった。見ると振り返って、訪問者本人に再確認しているらしかった。 


(となると、一度もここへは来た事ない人……か)


 5年前、父と妹の死を契機に入学を決めた大学に近い、このアルファード地区に拠点を移した水杜には、この地区での友人は、それほど多くない。


 せいぜい、大学時代の友人が訪ねてくる程度で、それはほぼ、デフォーも把握している筈なのだ。


「……え?」


 だから、その訪問者の名前をデフォーから聞かされた時、あまりの思いがけなさに、水杜はとっさに、何の言葉も返せなかった。


 ある意味不本意な事に、彼女は全く、意表を突かれたのである。


「本多……天樹、君?」


『女史?』


「あ……ごめんなさい、えっと……どうしよう…とりあえず、中にお通しして下さい。構いません……よね?」


 日頃の闊達な口調とは違い、その声は戸惑いも露わだ。


『まあ……女史が、そう言うのなら』


 訪問者を案内する為に、電話は、デフォーの方から切られた。


 水杜はしばらく、視線をTV電話(ヴィジフォン)に固定させたまま、身動きが取れずにいた。

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